診療録等に記載のない事項の裁判上の取り扱い

vol.243

医師に大腸がんを見落とした過失が認められるとしたうえで、その過失がなければ死亡当時なお生存していた相当程度の可能性が認められるとした事例

東京地裁 平成19年8月24日判決(判タ1329号194頁)
医療問題弁護団 渡邊 隼人 弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただいております。

事件内容

亡D(女性)は、平成13年8月30日、高血圧を主訴として、Y病院の内科を受診し、Y病院との間で診療契約を締結した。

そして亡Dは、同日から平成14年6月24日(以下、特に断りがなければ平成14年を表す)までの間に、Y病院内科・循環器内科に合計14回通院している。

この間、平成13年9月20日には小球性低色素性貧血であると診断され、同年10月11日には貧血の程度は少し改善されているものの経過観察とされた。

2月25日の診察の際、亡Dから「アムロジンを服用すると下痢をする」という訴えがあったため、アテレックに変更し整腸剤も処方している。

3月25日の診察の際には薬変更後に全身状態は改善したものの、便に血が混じるとの訴えがあった。

5月17日、亡Dは軟便、肛門の腫れ・出血を主訴としてY病院外科を受診した。

H医師は内痔核を疑い、直腸診と直腸鏡による検査を実施し、内痔核が認められた。

なお、Y病院外科には同日~7月15日の間に合計6回通院した。

その後、亡Dは7月15日に被告病院で施行された胸部・腹部レントゲンおよび腹部エコー検査で、両側肺野および肝臓に転移性のがんが認められ、全身状態不良もあって緊急入院となった。

亡Dのがんは、その時点ですでに末期の状態であり、8月20日、転移性肝がん、直腸がん、肝不全等により死亡した。

判決

裁判所は、患者が軟便、肛門の腫れ・出血を医師に訴えた5月17日の診察時に、大腸がんを疑い、直ちに注腸造影検査や大腸内視鏡検査等を実施しなかった点に過失を認め、仮に医師が5月17日の時点で直ちに大腸内視鏡等の検査を実施していれば、8月20日の時点でなお生存していた相当程度の可能性があると判断した。

この判断の過程で、カルテに記載のない事実の有無が争点の一つとなった。

具体的には、(1)内科のG医師が他科受診を勧めたか、(2)外科のH医師が注腸造影検査等を勧めたか等である。

(1)内科医師が他科受診を勧めたか

G医師は、診療経過の中で消化器科や外科の受診を勧めたと主張するものの、カルテ等には何ら記載がなく、問題となった。

裁判所は、貧血があった場合、婦人科系あるいは消化器系の疾患を疑い精査を要することおよび特別な理由なく便通異常が継続した場合に大腸等の消化器の精査を要することは基本的知見であること、看護師の証言とも整合すること、平成13年9月20日のカルテに“小球性低色素性貧血”と赤字で記載していること、亡Dが外科の問診票の照会した医師欄に「内科G先生」と記載していること、亡Dが家族に「外科受診を勧められた」と話していたこと、内科のG医師は5月20日のカルテに「外科を受診し症状が改善された」旨の記載をしていることから、G医師は消化器科や外科の受診を勧めていたと判断した。

(2)H医師が注腸造影検査を勧めたか

外科のH医師は、5月17日の外科初診時に便潜血反応検査および注腸造影検査を勧めたものの亡Dがこれを拒否したとし、また6月21日の診察の際にも亡Dに対して注腸造影検査を勧めたものの亡Dが同検査に消極的な態度を取ったことから実施しなかったと主張したが、いずれもカルテ等に記載がなく実際に検査を勧めていたのかが問題となった。

まず、裁判所は、H医師の証言が曖昧であること、外科初診時の診療録には「おちついたところで便潜血→注腸造影を」と記載されているのみであること、7月7日の欄には「便潜血反応検査を実施することとした」と記載されていること、亡Dは初診時に直腸診、直腸鏡による検査、その後も胃内視鏡検査を受けているのであって、医師から勧められた便潜血反応検査および注腸造影検査を拒否する、あるいは検査に対し消極的な態度を示す理由が見当たらないことから、H医師は5月17日の外科初診時に上記検査を勧めたとは認められないと判断した。

また、裁判所は、6月21日の外来診療録には胃内視鏡検査を勧めた旨の記載があるのみであること、亡Dが医師の勧める注腸造影検査について消極的な態度を取るべき理由は見当たらないことから、6月21日の診察時に注腸造影検査を勧めたとは認められないと判断した。

裁判例に学ぶ

診療録等は、医師にとって患者の症状の把握と適切な診療のための基礎資料として必要不可欠なものであることや、医師法24条により作成が法的に義務付けられていること等から、一般にその記載内容は真実性が担保されていると考えられている。

そのため、訴訟では、診療録等の記載内容は事実に即した記載であると認められるのが原則となり、特段の事情がある場合に限り例外的に診療録等の記載内容が事実として扱われないことになる。

医療訴訟の中では、診療経過など事実関係については、基本的に診療録等に基づいて確定されることとなり、診療録等に反する事実関係の主張は、患者、医療機関ともに原則として認められないことになる。

例えば、医療機関が「診療録等の記載は誤記だ」として診療録等の記載と異なる事実関係の主張をしたケースでも、種々の事情を考慮したうえで、診療録等の記載に反する医療機関の主張が排斥されている。

もっとも診療録等に記載がない事実関係の有無が訴訟で争われることも珍しくなく、このような事実については診療録等に記載がなく、客観的証拠の裏付けがないため立証は相対的に困難となるが、諸事情を総合的に考慮して判断されることになる。

本件も診療録等に記載がない事実関係が大きな争点の一つとなっている。

まず、本件訴訟では内科医が消化器科や外科の受診を勧めたか否かが問題となったが、カルテ等には他科受診を勧めたという記載はされていなかった。

裁判所の判断の詳細は上記の通りであるが、カルテ等の他の記載(外科の問診票の記載、5月20日のカルテの記載内容等)と整合すること、当時の亡Dの症状からすれば他科受診を勧めるのが医学的に合理的であること等を理由に、カルテに記載はないものの、他科受診を勧めたと認定している。

他方で、外科医が注腸造影検査を勧めたか否かについては上記の通り否定した。

これは、カルテ等の他の記載(外科のカルテの記載内容)と整合しないこと、診療経過として不合理であること(注腸造影検査等のみに消極的な態度を取る理由が見当たらないこと)等を理由に外科医は注腸造影検査を勧めていないと認定した。

本件では、診療録等に記載されていない事実関係の有無について、裁判所は、診療録等以外の記載と整合するかどうか、診療経過からして医学的に合理的か否かといった観点で判断をしている。

上記裁判例が判断にあたり診療経過との整合性や医学的合理性という要素を重要視していることからも、診療録等に全てを記載しないと当該事実はなかったものと扱われるわけではなく、診療上必要な情報が適切に記載されていることこそが重要であることが理解できる。