失明〝ゼロ〞を目指し 眼科の可能性に挑む「近視の女王」 大野 京子

東京医科歯科大学
医歯学総合研究科
眼科 教授
[時代を支える女性医師]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/武末明子 撮影/緒方一貴

眼科に残された最後のビッグマーケットとして注目を集める分野がある。それは、「強度近視」だ。

強度近視とは、その名の通り近視が強い状態のこと。目を細めず遠くから指を目の前に近づけて、眼前11センチまで来ないと指紋がはっきり見えないと強度近視といえる。通常の眼球は球形だが、強度近視の眼球は前後に伸展しラグビーボール状になっている。そのため、焦点が網膜まで届かず近視が強くなる。

だが、通常の強度近視ならばどれだけ重症化しても失明することはない。眼鏡やコンタクトなどで矯正できるからだ。

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しかし、「病的近視」という近視には失明のリスクを伴う。

病的近視の世界的トップランナー、東京医科歯科大学医歯学総合研究科眼科教授の大野京子氏に話を聞いた。

病的近視は、強度近視がエスカレートして発症するのではなく、近視がなくても眼球の一部がいびつに突出することで起こる。眼球は「飛び出た脳」といわれ、頭蓋骨が損傷すると脳に障害が出るように、眼球もまた、網膜や視神経などを入れる器のような役割をし、損傷すると視神経に障害が出る。つまり病的近視は、眼球の「形状異常」が原因なのである。

病的近視の発症は50代がピーク。その分、70〜80代で発症する加齢黄斑変性などに比べて、残りの人生への影響や社会的損失が大きい。

しかも、近視はなぜかアジア人に多いという特徴がある。強度近視や病的近視を発症する日本人は5%で、その数は白人の5倍以上。また、男性よりも女性の方が2〜3倍も発症するリスクが高い。なぜ、アジア人や女性に多いのか、はっきりしたことは分かっていない。しかし、研究者である大野氏にとって、アジア人に多い疾患はチャンスでもある。薬の開発や臨床研究で、アジアが欧米をリードする可能性があるからだ。

世界初の「強度近視外来」新手術で合併症をゼロに

東京医科歯科大学医学部附属病院眼科の強度近視外来は、世界初の専門外来として1974年に誕生した。開設当時に教授だった所敬氏が病的近視に専門を絞ったのがきっかけ。大野氏が後を継ぐ現在も、病的近視の患者に特化している。

このように専門性の高い「強度近視」外来は国内でもここだけしかない。そのため、患者は日本のみならず、アジアや欧米諸国からもやってくる。

病的近視の眼底は特殊である。所見では見分けるのが難しく、合併症の種類も少なくない。医師には網膜、眼底、黄斑、視神経などをまんべんなく診断できる技術が要求される。中には、的外れな治療を続けているうちに進行してしまい、大野氏の元へ来た時には「手遅れ」になっている場合も少なくない。

病的近視の診断基準は、大野氏が国際機関と共同で策定した。それは、「眼球に一定以上の萎縮性変化があること」、または「眼球の裏側にある黄斑部から、後部ぶどう腫と呼ばれる腫瘍がいびつに突出していること」の2点。

最も多い合併症の1つは近視性牽引黄斑症で、これは眼軸が前後に伸展する際に、眼球後部にある黄斑部の網膜が引っ張られることによって起こる疾患である。網膜分離、網膜剥離、黄斑円孔などを伴い、失明する可能性も高い。

大野氏の研究チームは、過去にこの近視性牽引黄斑症の網膜分離手術で、世界的な功績を挙げた。網膜分離を起こした眼球は、網膜表面の内境界膜という膜が病的に固くなっている。手術では網膜を傷めずに表面の病的な膜だけをきれいに剥がす必要があり、従来は15%の患者に、黄斑部に穴が開いてしまう「黄斑円孔」という合併症が出ていた。

病的近視の患者の眼軸はもともと長い。手術で眼底まで器具を届かせるには直角に近い角度で挿入しなければならない。医師にとって極めて困難な手術となる。その状況に風穴を開けたのは、大野氏と同じ研究メンバーの島田典明氏だ。

近視性牽引黄斑症の患者に対し、あらかじめ網膜表面の内境界膜という厚さわずか40ミクロンの膜に切れ込みを入れることで表面の緊張を緩める方法を思いついた。さらに、黄斑部周囲を円状にトリミングして残せば、網膜を損傷せず保護することもできる。大野氏は、この方法を実働部隊の手術に取り入れることに成功した。これにより手術で黄斑円孔が起こる確率はほぼゼロに。

この術式は「中心窩周囲内境界膜剥離手術」と名付けられ、その後、世界中で好評を博した。東京医科歯科大学は現在、世界トップレベルの100件もの手術実績を有する。

眼科初の3D MRIで「生きた眼球の全貌」を解明

いつしか、大野氏はこの世界で「クイーン・オブ・マイオピア」(近視の女王)と呼ばれるようになった。

だが、大野氏自身にも重度の「強度近視」があることはあまり知られていない。眼科に進む直接のきっかけは医学生時代に見た眼球が「あまりにきれいだった」ことだが、「明日は我が身」という意識も、研究へのモチベーションにつながった。

入局して3年後、前教授の所氏から「強度近視外来」のスタッフに抜てきされたのを機に、この世界にどっぷりとのめり込んだ。当時は、週末を返上して過去40年間に来院した全ての患者のカルテに目を通し、学びを深めたという。そしてある日、これまでは治療の必要がないといわれていた疾患の眼底に、高い確率でひび割れがあることに気付いた。それは、眼球変形を起こす最初のサインだった。

小さな発見であったが、「教科書ではなく患者さんから学ぶことが大切である」と実感した。上司の「病気は始まり方にこそ本質がある」という言葉にも影響を受け、真実を突き止めることが自分の使命だと思うようになっていた。それからは、病的近視一筋に道を進んできた。

実は、眼科にはまだ分かっていないことが多い。正常な目とは、近視の定義とは、眼軸と身長は比例するのになぜ小柄なアジア人に近視が多いのか、などだ。

そして、かねて疑問に思っていたのが、眼球の全体像はどうなっているのかだ。これまでの眼科では「生きた人間の眼球全体」を見ることができなかった。大野氏はこの課題に真っ向から対峙した。そして2010年、世界初となる「眼球3D MRI」の開発に成功したのだ。

3D MRIは、撮影した画像から眼球部分だけを取り出し3次元化する。病的近視は眼球の変形を伴うのでとても有効である。リスクが高いのはどの変形パターンなのかを事前に突き止めることができるようになる。その結果、病的近視には紡錘型・樽型・鼻側変位・耳側変位型の4つのパターンがあることが分かった。このうち視神経障害を起こす確率が80%と最も高かったのが、「耳側変位型」で、眼球から突出するぶどう腫が耳側に向かって飛び出すパターンである。

だが、パターンを解明したからといって、予防までできるわけではない。

自分の子供の近視が将来失明に至るか、その合併症のリスクは学童期にある程度分かるようになった。あとは、いかにして予防するかだと、大野氏は考える。

そして今、大野氏はこの予防策として強膜を補強する研究に精を出す。

病的近視の眼球は、強膜の薄くなっている部分から飛び出すことに着目、弱った強膜を事前に補強しようというのだ。「眼科でいまだに『失明』する疾患が存在するのは恥ずべきこと。在任中、必ず病的近視の失明をゼロにするつもりです」

□眼科が切り開く他科の未来世紀の発見につながる予感

眼科研究の進化はとどまるところを知らない。すでに、うつ病やアルツハイマー型認知症の治療にまで発展していく展望も出てきた。

白内障の手術をした後に認知症のスコアが良くなることもあり、逆に、目が見えなくなると認知症が進行する、という現象が以前から起きていた。大野氏も自身が担当する、統合失調症を合併している重度の白内障の患者が、手術後に別人のようにコミュニケーションが取れるようになったことがある。目から入ってくる光や情報の刺激は、目以外にも大きな可能性を秘めていそうだ。

大野氏は、アルツハイマー型認知症の原因タンパク質となっているアミロイドβが、加齢黄斑変性の原因物質であることを、研究ですでに突き止めている。「加齢黄斑変性は目のアルツハイマー病である」という解釈もできる。今後は、眼科の診断がアルツハイマー型認知症の早期発見につながる希望も出てきた。

大野氏の抱えている研究は、あらゆる眼科分野に及ぶ。そして、その曇りなき目で眼科の可能性を追求している限り、この分野の発展が終わることはない。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2016年8月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

おおの・きょうこ
1987年 横浜市立大学医学部 卒業
1990年 東京医科歯科大学 眼科
1994年 東京医科歯科大学 眼科 助手
1997年 東京医科歯科大学 眼科 講師
1998年 文科省在外研究員(米国ジョンズ・ホプキンス大学)
1999年 東京医科歯科大学 医歯学総合研究科 眼科 講師
2005年 東京医科歯科大学 医歯学総合研究科 眼科 助教授
2007年 東京医科歯科大学 医歯学総合研究科 眼科 准教授
2014年 東京医科歯科大学 医歯学総合研究科 眼科 教授


2002年度日本眼科学会学術奨励賞、第2回Pfizer Ophthalmic Award受賞
専門医・指導医
日本眼科学会専門医指導医