独学で自らの道を切り拓いた内視鏡治療ESDのトップランナー 大圃(おおはた) 研

大圃(おおはた) 研
NTT東日本関東病院
内視鏡部 部長

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/皆木優子

消化器早期がんの内視鏡治療、ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)の第一人者として、海外からも指導に声が掛かる大圃研氏。国内ではほとんど手掛けていない時期に独学で習得。これまで行ったESDは、2800件を超え、自身が率いる内視鏡チームは大腸ESDで国内トップの症例数を誇る。医局に属さず独自の道を切り拓いてきた大圃氏に話を伺った。

2800例を超える実績圧倒的なスピードを誇る

大圃研氏のESDを見た者は皆、「とにかく速くてうまい…」と口を揃えて言う。学会で発表した際には「早送りをしているのか?」と、勘違いされるほど突出したスピードを誇る手技だ。

これまで大圃氏が扱った症例数は、2800例を超える。日本のみならず、海外からも訪れる見学者たちは、まずその驚異的な速さと高度な技術に目を見張る。

圧倒的なスピードは膨大な経験によって培われたものだが、そのテクニックにも違いがある。通常、病変を剥離するときには、フットスイッチで主に凝固波を使いながら処置を進めていく。しかし、大圃氏の場合はできるだけ凝固波を当てずに、ほとんど切開波のみで行っている。出血しやすいというリスクがあるが高度なテクニックで血管をかわし、迅速で無駄のないESDができるのだ。

そうしたテクニックに加えて〝効率よく切る〞ということを大圃氏は常に頭に置いている。どこからどのように切るのか、戦略を立てる。大圃氏が「1日に10人の手術をしている」ことが信じられないと思われているようだが、それは事実なのだ。最近ではESDで1時間を超えるようなことはめったにないという。

大圃氏率いるNTT東日本関東病院の内視鏡チームは、大腸ESDの年間症例数が日本一。最も難しいとされる大腸の症例が特に集中しているが、胃や食道などの他の消化器がんの治療数も国内トップ10に入る実績だ。臓器ごとにチーム分けがされているわけではなく、単一のチームで全ての消化器を扱っていることを考えれば、いかに膨大な数をこなしているかが分かる。

黎明期に目を付け独学でESDを極める

1998年に国立がんセンター病院(現国立がん研究センター中央病院)の小野裕之氏らによって開発されたESDは、早期がんに対する内視鏡治療として、現在では一般的に行われている。それまで主流だったEMR(内視鏡的粘膜切除術)では、2cm以下の病変までしか切除できず、分割切除による遺残や再発の可能性も高かったことに比べると、病変周囲の粘膜を全て切開し、粘膜下層を剥離することによってがんを一括切除することができるESDは画期的な方法だった。

大圃氏がESDに出合ったのは2000年。開発からわずか2年という黎明期で、ESDを導入していた病院は数えるほどしかなかった。まだ技術が確立されていなかったため、7〜8時間かかることもある危険な処置として、多くの医療機関では二の足を踏んでいた。また、3時間以上かかる場合には途中から従来のEMRに切り替える「3時間上限」という措置をとっていた病院も多い。

機器や技術もまだ確立されず、携わる数少ない医師たちも試行錯誤を繰り返していた時代だったが、そんな中、大圃氏は、ESDの可能性を信じ、ひたすら独学で習得を試みる。何時間かかってもESDでやると決め、ひたすら続けた。最長で14時間かかったこともあったという。そこまでしても、この技術を身に付けたかったのだ。

連日遅い時間までかかる処置にも、サポートする看護師たちから文句が出たことは一度もなかった。技術を習得するまで諦めないという強い意志が、周囲の人たちをも動かしていた。そのことに大圃氏は今でも感謝していると話す。

大学医局に属さないから他病院から依頼された

ESDをできる人がまだ少ない時期に腕を徹底的に磨き、大圃氏は内視鏡治療の第一人者として全国の病院からESDの依頼を受けるまでになった。しかし医師としての道は順風満帆ではなかった。

どの大学の医局にも所属しなかったため、特殊なキャリアを歩むことになったのだ。今でこそ医局に所属しない医師は珍しくなくなっているが、大圃氏が卒業した1998年当時は、卒業すると医局に所属するのが当たり前だった。

大圃氏は「内視鏡の技術を身に付けたい」と研修先の病院に残ることを選択したが、与えられた身分は「非常勤の嘱託」というかなり不安定な立場だった。もともと存在しないポストのため、当初は無給。月に2万円ほどの謝礼が支払われるだけの待遇が1年半続いた。アルバイトも月2回の救急病院での当直の他は、ほとんどしなかった。気付いたら10年目になるまで、非常勤待遇のままだった。

それは、アルバイトの時間も惜しんで勉強がしたかったからだ。医師となり最初の数年は、どのような医師になるか自分のスタンスを決める重要な時期。

たとえ収入が無くとも、その大事な時期に時間をかけて身に付けた技術や知識は自分の財産として残ると考えた。あの時に頑張っておいて本当によかったと大圃氏はふり返る。

無給で働いていることは同じ医師の仕事をしている親に知らせず、一切頼らなかった。周りの医師からの「辞めた方がいい」「まともな医者にはなれない」という忠告も受けた。

しかし、そういう立場だからこそできたことも多かった。他の病院からESDをやってほしいと依頼された時や国内外からいろいろな招聘を受けた時、非常勤だったからこそ自由に出向くことができた。どんな環境でも本人の考え方次第でポジティブに変えることはできるというのが、大圃氏の持論だ。

また、同じ科に年配の常勤医と研修医しかいなかったため、フットワークが軽い若手の医師として、多くの治療を一手に任せてもらえたことも大きかった。

病院に来る症例数ではなく、自分の経験した症例数で手技の習得に差が出る。確かに、自分と同じ年齢や立場の医師が多くいる環境では安心できる。しかし、それでは腕が上がらない。

「有名な指導医がいて、最新の機器がそろっている環境でなければ一流になれない、という考え方とは違うと思います。環境はとらえ方ひとつで変わる。医局というシステムから外れて自分のやりたいことを独自に突き詰めていく方法が、私には合っていたのです」

周囲の状況にとらわれずに、懸命に治療にまい進するうちに、周りが変わっていった。

マンツーマンの指導でスペシャリスト育成を

増え続けるESDの依頼に対応するため、2007年にNTT東日本関東病院に移った。後進の指導にも力を注ぎ、大圃氏が率いる内視鏡チームのメンバーは、この10年で3人から9人にまで増えた。既に巣立っていった者もいる。

「教えてもできないのは、教える側の責任。できない人をどうにかしてできるようにさせることが教えるということです」

指導では、必ずすぐ後ろに付いてその処置を見る。できない人がいれば、なぜできないのか、一人ひとりの手技を分析してその理由を考えていく。

テクニックは感覚的なものだと思われがちだが、きちんと教えるためには技術を言語化し説明していくことが必要だという。「センスがないからできないのだ」というのは簡単だが、教える責任を放棄している言葉でしかないと大圃氏は言い切る。

全国から出身大学の違う医師たちが、大圃氏の元に内視鏡治療を学びたいと集まってくる。しかし、すぐに技術を習得できるわけではない。「最低3年間は続けてほしい。そうすれば、どこに移っても、内視鏡技術が〝別格〞といわれるようにしてみせます」

その分、一緒に働くチームのメンバーには、同じ目標に向かい一丸となって進むスタンスが求められる。これまでにチームを巣立っていった医師たちは10人ほど。大圃氏自身が直接治療できる患者の数は限られているが、ESDの技術を普及させ、確かな腕を持った医師を増やしていくことで、結果的に多くの患者を救えるようになる。

指導の場は日本だけにとどまらない。海外から招聘される機会は年々増え、特に中国からは年に20回以上招かれた。中国の学会で行ったライブ手術がきっかけで、依頼が殺到するようになったという。

内視鏡治療の先駆者として高みに登り詰めたが、決して満足はしていない。人に教えるようになって、さらに技術は向上している。今後について尋ねると、「まだまだ上手くなりたい」と、飽くなき挑戦者としての熱意をのぞかせていた。

P R O F I L E

おおはた・けん
1998年 JR東京総合病院 内科研修医
2000年 JR東京総合病院 消化器内科 入局
2007年 NTT東日本関東病院 消化器内科医 入局
2011年 NTT東日本関東病院 消化器内科 医長
2013年 NTT東日本関東病院 内視鏡部 部長
消化器内科 主任医長
2014年 中国 大連医科大学付属 大連市中心病院 消化内鏡二科 特聘教授
帝京大学医学部附属溝口病院 消化器内科 非常勤講師
中国 Qilu Hospital of Shandong University 客員教授
2016年 東京女子医科大学附属成人医学センター 消化器科 非常勤講師

◇専門医・認定医
日本消化器内視鏡学会専門医・指導医、日本内科学会認定医、日本消化管学会暫定胃腸科専門医、日本消化器内視鏡学会関東支部評議委員

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2016年10月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

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