米国流「外来研修」を初導入 臨床研修制度の新潮流 金城 紀与史

沖縄県立中部病院
内科 副部長(総合内科)
金城 紀与史

聞き手/ドクターズマガジン編集部 撮影/太田未来子

プライマリ・ケアの臨床研修の基本となる「スーパーローテート」、「ER型救急」、「屋根瓦方式」。いまや臨床研修を行っている全国の病院で普及している。しかし、まだそこに不足しているものがあった。本格的な「外来研修」システムである。このシステムを、プライマリ・ケア研修の総本山ともいえる沖縄県立中部病院で導入し、軌道に乗せた医師がいる。内科副部長の金城紀与史氏だ。

今後、国内の臨床研修全体を大変革させる力となっている。

救急外来で臨床研修を受けることの限界

全科を臨床研修する「スーパーローテート」、一次から三次救急まで全ての救急患者に対応する「ER型救急」、上級医が教育する「屋根瓦方式」など、いまやプライマリ・ケアの臨床研修を行っている全国の医療機関では、当たり前のように導入されているシステムだ。

しかし、これらの臨床研修のシステムに欠けているものがあった。一般内科外来での研修、指導医が専任で教える本格的な「外来研修」システムである。

例えば、関節リウマチ。commondiseaseの一つだが、激痛ではないため患者は救急外来には来ない。ましてや、患者からリウマチではないかと、問いかけられることもない。病棟研修中に入院患者にリウマチの既往があっても、主訴には対応するが、リウマチは外来での対応となり、これでは研修医が内科医となったとき、リウマチに対応できない。

こういった内科外来ならではの疾患が多く、内科外来で研修することの意義は計り知れない。

「病歴を注意深く聞き取らないと、めまいだから神経内科、吐き気だから消化器内科と診断するわけにはいかない。いろいろな病気に対応できる先生が指導に当たった方がいいはずです。でも、病棟の担当との掛け持ちでは大変。だから、『外来研修』は難しかった」

そう語るのは、沖縄県立中部病院に、2008年に国内で初めて本格的「外来研修」システムを導入した金城紀与史氏である。

米国で内科専門医を取得 6年間診療現場を経験

金城氏は1994年、東京大学医学部を卒業後、亀田総合病院で3年の研修を受けた後、米国に留学する。

米国での医師免許を取得し、米国内科専門医の資格も持ち、トーマス・ジェファーソン大学の内科レジデント、マウント・サイナイ医学校の呼吸器・集中治療フェローで6年間、診療現場を経験し、中でも「外来研修」に注目する。

「米国では外来研修の際、指導医が付きっきりで研修医を指導します。研修医は必ず指導医にプレゼンテーションし、プレゼンせずに患者を帰すことはあり得ません。『何かあったら聞いてね』ではだめなんです」

指導医が一緒に診察室に入って自らも同じ患者に対して身体診察する。診断結果は、その場でフィードバックするので、めきめき腕を上げていく。

「研修医の実力が分かってくると、自己判断を尊重していき、段階的に自立を促すシステムなんです」

米国で指導医の立場に立った時、金城氏がこの方法を実行すると、研修医の実力も見えた。

「診療の合間に彼らのキャリアやプライベートについても聞くこともあるので、何よりも研修医と信頼関係を築くことができます」

日本にもこの仕組みを取り入れたい。金城氏はそう決意したという。

米国での診療経験に中部病院が白羽の矢

2004年に帰国。米国での診療経験を買われ、札幌市の手稲渓仁会病院で臨床研修体制の整備を行う。

当時、手稲渓仁会病院には、沖縄県立中部病院で臨床研修を受けた医師が大勢いた。中部病院に戻った成田雅氏(現感染症内科部長)、引き続き総合内科部長として奮闘中の芹澤良幹氏、今村病院分院の救急・総合内科の西垂水和隆氏などだ。

中部病院出身者全員が人材育成を自らの役割として捉え熱心に指導していたことが、中部病院へ金城氏の興味を引き立てられた。

「臨床能力の高さに驚かされました。中部病院の教育システムには何か特別なものがあるに違いないと」

実はこの時期、中部病院でもある問題を抱えていたという。

徳田安春氏(現臨床研修病院群プロジェクト群星沖縄 副センター長)全ての内科医がオールラウンドの内科医であるべし、という目標を掲げて創設した「総合内科」が岐路に立たされていた。

「徳田先生が考えていた内科のあり方というのは、臓器別の専門内科であっても内科全般を分かっているべきである、というものでした」

看板を下ろしていた中部の「総合内科」を復活

中部病院は地元からのニーズもあり、医療が専門分化する中で内科も分化し、2006年には徳田氏が中部病院を離れ、「総合内科」の〝看板〞も下ろしていた。

内科副部長だった遠藤和郎氏、現八重山病院副院長の玉城和光氏はもちろんのこと、「総合内科」を創設しながら継承者が現れず中部病院を離れていった徳田氏も、金城氏の留学経験などの経歴に興味を持ち、金城氏に白羽の矢を立てた。

専任指導医を置いて付きっきりで集中指導

金城氏は、米国で経験した研修システムを導入することで、中部病院の臨床研修改革に乗り出す。

「遠藤先生との事前調整もあって、やはり『外来研修』をやるべきだということになりました」

まずは外来専任の指導医を置いて、集中的に指導する体制を整えることになった。

当時、内科各科のスタッフが日替わりで2年目研修医に内科の外来指導をしていた。しかし、実際には外来患者が多すぎて、バックアップできない。また、研修医側も指導医に聞きづらい状態だった。内科外来特有の難しさもあった。病棟と掛け持ちの外来指導もなかなか難しい。

そこで、総合内科にいた4人の指導医のうち、ローテーションで1人が指導専任の役割を担うことにした。

専任指導を担当する医師は余程のことがない限り診療には回らず、研修医4、5人に対し付きっきりで指導することになった。それでも対応できなくなった場合に限り、他の指導医は適宜指導や診療を分担する仕組みにした。

離島診療の強い理念が抵抗から後押しに変わる

「『金城』というと、沖縄県出身者と思われがちですが、実は東京生まれの東京育ちです。中部病院のことも帰国するまで知らなかった。だからこそ、『やらせてみよう』となったのではないでしょうか」

沖縄では地元出身者と本土出身者とを区別する傾向がある。そういった風土で、しかも指導医の9割を中部病院出身者が占める中で、金城氏の改革は当初、抵抗もあっただろう。

にもかかわらず順調に進んだのは、離島診療ができる医師の養成という中部病院の研修の理念があったからである。研修を終えた医師は、県内39の有人離島中、病院は宮古島と石垣島だけで、16島の県立診療所も支えなくてはいけない。

離島では臓器の専門分野があってもオールラウンドの内科医が求められるため、消化器内科や呼吸器内科などの部位別内科医だけを育てるわけにはいかないのだ。実際、中部病院の後期研修の最終段階として、離島勤務に付かなくてはならない。

「その責任感が彼らの実力を伸ばします。同時に中部病院を離れていても、我々は離島で診療する彼らを支えるのです」

さらに、「総合内科」復興に集まった同僚と共に一致団結して取り組んだ結果、研修全体のクオリティーも上がり、外来患者数も増えていった。

本格的外来研修の導入で医学生の教育も可能に

米国では、医学生が「クラークシップ」という形で実際の臨床現場に責任を負わせて参加する。中部病院でも米国のような、医療チームの一員として学生が参加する実習を、琉球大学だけでなく他大学の学生からも受け入れている。

「米国では、この制度によって、医学生が忙しいレジデントやインターンに代わって、医学生が率先して患者の病歴を取ります」

さらに、レジデントらが書いた医学生評価表は、ディレクターの元で、推薦状にも反映される。

「マッチング上の成績に直結することもありますが、病棟チームに入り、研修医と一緒に当直したり、回診でプレゼンテーションしたりすることでプロ意識が身に付くんです」

中部病院では4週間の実習期間が設けられているが、病歴診療能力は見違えるように成長、責任感や自覚も自然と芽生えてくるという。医学生のモチベーション向上につながると期待が寄せられている。

現在、米国の医師免許を取得するには、USMLE(United States Medical Licensing Examination)という試験に合格しなくてはならない。ところが、7年後の2023年からは、この試験を受けるために、WFME(世界医学教育連盟)またはAAMC(米国医科大学協会)による国際認証を受けた大学を卒業した学生しか受けられなくなり、ポリクリの充実が叫ばれている。

千人の中部の研修修了者が日本の研修システムを変革

「外圧だ、黒船だといわれていますが、嫌々ではなくて、チャンスとして、医学生を実質的なチームの中に取り込んで、ある程度責任を持たせたり、貢献できるようなところで、活躍させられればと思います」

金城氏が行っている中部病院での研修改革は一見、一病院だけの改革に見えるが、そうではない。

沖縄県は1972年まで米国に占領されていたため、臨床研修を大学病院ではなく一般病院が担うとい特殊事情があった。そのため、沖縄県立中部病院は、独自の臨床研修システムが確立した。それが、いまや、プライマリ・ケアの臨床研修のシステムのモデルとして、全国に広がっている。中部病院の研修修了者自体もすでに1000人を超え、その半数は本土出身者となっている。

金城氏が行っている研修改革は、中部病院にとどまらず、日本全体の研修制度を変えていく。

P R O F I L E

きんじょう・きよし
1994年 東京大学医学部医学科卒業
亀田総合病院 研修医
1997年 トーマス・ジェファーソン大学 内科レジデント
2000年 マウント・サイナイ医学校 呼吸器・集中治療フェロー
2002年 モンテフィオレ医療センター・ニューヨーク大学共催
生命倫理・人文学資格コース修了
2004年 手稲渓仁会病院 臨床研修部
2008年 沖縄県立中部病院
2015年 沖縄県立中部病院 総合内科部長

◇資格・学会
生命倫理修士(ユニオン大学大学院・アルバニー医学部共催)、米国内科専門医、呼吸器専門医、集中治療医学専門医、日本プライマリ・ケア連合学会認定医、日本内科学会認定医

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2016年11月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

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