私の半生は病気との戦国時代 いわば百戦錬磨の武将なのです
幸運だったのは、1回に一つか数個ずつしか再発が起きなかったことだという。その都度オリゴメタスタシス(小数転移)に対する局所治療を繰り返すと、新たながんは出なくなった。
「画像を通じて、オリゴメタスタシスに対する局所治療を繰り返すうち、新たな再発・転移が出なくなる患者さんを多く経験しました。他科の先生に根治性はないと言われることも少なくなかったのですが、自分の経験と勘を信じてキャンサーフリーを勝ち取りました」
特筆すべきは、闘病と小児被ばくの仕事が並行して進んできたことだ。
「むしろ、小児の医療被ばく低減という使命があったからこそ、度重なるがんの再発も乗り越えられたのです。立ち上げたアライアンスで一番やりたいことは、全国調査と全国規模での標準化です。全国の特定機能病院と日本小児総合医療施設協議会の加盟施設に依頼し、小児心臓CTの線量調査を実施する予定です」
その不屈の精神はどこから来るのか。「そうですね、よく聞かれるのですが…」と少し考えてから、自身の半生を病魔と闘う戦国時代になぞらえた。
「私は人生で常に病気と闘ってきました。つまり、戦国時代を生き抜いた百戦錬磨の武将というわけです。今さら病気の一つや二つでくじけたりはしません。もしもこれが30代で初めてがんになりました、というなら人生観が変わることもあるかもしれませんが、私にとってはがんですら『ちょっと一戦交えてやるか』と思えるのです」
ライフワークである小児心臓CTの被ばく問題は、さまざまな病気と闘ってきた前田氏の全ての経験が線になってつながって生まれたものだ。
「私自身は、医療放射線のせいでがんになったとは思っていません。しかし病気で頑張る子どもたちが、将来さらなるがんリスクを負うことは、放射線科医としてできる限り避けたい。引き続き、医療被ばくに関する研鑽を積み、小児を中心とするCT被ばくの正当化・最適化・標準化に尽力したいと思います」
2019年、半生をまとめた自伝『Passion~受難を情熱に変えて』(医学と看護社)を出版すると、反響は大きく、一般紙をはじめとする多くのメディアから取材を受けている。がんとの闘いに一つの区切りがついた今、前田氏の次なる展望を聞いた。
「私は放射線医学と関連の深い病気も含めて、多くを乗り越えてきました。当事者の目線で、医療と患者の力になる発信を続けていきたいと思います」
前田氏は、日本医師会の推薦で愛媛県西予市より「第9回おイネ賞全国奨励賞」を受賞した。小児心臓CT被ばくの仕事や、多くの若手・大学院生の指導をしてきたことが評価されての受賞である。
楠本イネはシーボルトの娘で、2歳のときに父が日本から国外追放になった後、西予に渡ってシーボルト門下らに学んで日本初の女性産婦人科医として活躍した。困難な道を経ながらも人並みならぬ努力で医師として大成したおイネさんには、現代の女性医師たちも勇気づけられる。
「いつの時代も、ダイバーシティーはイノベーションの源泉でした。医師も患者も多様化する現代、今後は子育て経験と患者経験を生かし、女性やハンディキャップのある医師・医学生の支援、患者さんのキャリア支援にも取り組んでいきたいと思います」
放射線科医である前田氏だからこそできる、実体験を基にした発信や患者サポートでどのように世の中に貢献できるのか―情熱の火は消えることなく、病を経てより一層熱く燃え盛っている。