日本でクローズドICUを立ち上げ急性期と慢性期の架け橋に
アメリカで6年間の経験を積んだ後に帰国し、集中治療医として東京ベイ・浦安市川医療センターに着任した。同センターに、アメリカと同レベルの医学教育とクローズドICUを導入したいという誘いがあったという。
ここでクローズドICUの定義について確認したい。日本の一般的なICUは、各科がICUの場所を借りて自科の患者の治療を独立して行うもので、オープンICUと呼ばれる。それに対して日本におけるクローズドICUとは、単独科だけでさまざまな専門医をそろえ、他科は患者の治療に関与しない自己完結型のICUを指すことが多い。しかしアメリカのクローズドICUとは「全てのICU患者の診療に集中治療医が関わり、他に主治医がいる場合でも主治医と共に責任を共有するICU」を指す。
米国型クローズドICUは、患者にも主治科にもメリットが大きい仕組みである。
「術後管理や急変対応に長けた集中治療医が常にいるので、外科医は手術に専念できます。また、集中治療医はいわゆる重症患者の総合医ですから、臓器横断的に患者さんを診ることができ、適切な診療科にコンサルできます」
この仕組みが機能するための絶対条件は、集中治療医と主治科が治療プランを共有することだ。そのためには回診を一緒に行うなど、コミュニケーションを強化する必要がある。また薬や検査のオーダーは集中治療医に一本化されるか、主治科がオーダーした場合は必ず集中治療チームへの報告が必要になる。つまり米国型クローズドICUは、医療チームのコミュニケーションを強化することによって、患者の安全と医療の質を担保するシステムであると言える。
則末氏が導入を目指したのはこの米国型クローズドICUだが、多くの医師にとってなじみがなく、導入するための道のりは平たんではなかった。
「集中治療医として赴任しましたが、初めはICUの患者さんを任せてもらえず、総合内科医として一般病棟の患者を診ながら頻繁にICUに顔を出しました。ICU内で急変があれば主治医が来る前に初期対応をしたり、患者について各科の医師と意見交換をしたりして、各科の先生に『患者を任せても大丈夫』という信頼を一つ一つ得ていきました」
このような粘り強い取り組みが功を奏し、内科、一般外科、循環器内科、脳神経外科、心臓血管外科と患者を任されていき、ICUの全ての患者を救急・集中治療科が担当する今の体制が構築された。
ハワイ大学で医療倫理や終末期に関する考察を得て、その後も集中治療医・呼吸器内科医として慢性期や急性期を含む多くの患者と向き合ってきた則末氏。慢性期と急性期の医療者が終末期に関する認識を共有し、両者の分断が起こらない仕組み作りが必要だと考えている。
「慢性期と急性期、それぞれを担当する医師が終末期に関する共通認識を持っていなければなりません。急性期の医師が『終末期とは何をしても救命ができない状態であり、その状態でなければ完全緩和という選択肢を提示することが許されない』という誤った考えを持っていたとします。そのような場合はたまたま集中治療室に運ばれてきてしまった患者さんが『これ以上、つらい治療は受けたくない』と考えていたとしても、亡くなる瞬間まで四肢を拘束するような延命治療が行われてしまいます。これでは患者中心の医療とは言えません」
則末氏の現在の目標は、急性期医療と慢性期医療をつなぐ架け橋となること、そして同じように架け橋となってくれる集中治療医の仲間を増やすことだ。そのために教育を自身の最大のミッションと位置付けている。
「私が努力を続けられる最大のモチベーションは、目をキラキラさせて学びにやって来る研修医の存在です。私一人で救うことができる患者さんの数は限られていますが、集中治療医を増やすことで、患者中心の医療が実践されていくことに貢献できたら、これほどうれしいことはありません」