急性期と慢性期の架け橋になりたい 則末 泰博

東京ベイ・浦安市川医療センター センター長補佐
救急・集中治療科 集中治療部門 部長
呼吸器内科 部長
[Challenger]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/横井かずえ 撮影/皆木優子

呼吸器内科、集中治療の専門医である則末泰博氏は、東京ベイ・浦安市川医療センターで呼吸器内科と救急・集中治療科(集中治療部門)2部門の部長を兼務する。6年間アメリカで集中治療を学んだ経験を生かし、同センターに米国型クローズドICUを導入した。全てのICU患者に対して、集中治療医が責任を持って診療に当たる体制を整えた。呼吸器内科と集中治療科の二つの領域に精通するからこそ見えてくる視点を生かし、「急性期と慢性期の架け橋になりたい」と語る則末氏に、医師を志してから今日までの道のりを伺った。

心理学の限界を感じ医学の道へ ベッドサイド回診に貴重な学び

則末氏の1日は、メインの集中治療室での診療に加えて、呼吸器内科医として外来、一般病棟患者のコンサルト、気管支鏡、肺がんの化学療法を並行して行うなど目まぐるしい。しかし多忙な中でも午前中の大半を使い、各科の医師や救急・集中治療科のレジデント、フェローと共に行うベッドサイド回診は欠かさない。

「ベッドサイド回診では、研修医が患者さんの病歴や所見、アセスメント、プランなどをプレゼンしてみんなで方針を決めます。その際、研修医が言った内容と指導医が実際に見た内容が乖離(かいり)していることがあります。例えば、研修医は身体所見、バイタル共に問題なしと言ったものの、実際には苦しそうにシーソー呼吸をしていてその場で気管挿管を決断したケースもありました。指導医が患者さんを実際に見ないで治療方針を決定することは極めて危険です」

このベッドサイド回診での学びを求めて、則末氏の下に集まってくる多くの研修医を指導する際に、則末氏が心掛けているのは「思考過程を言語化すること」だ。

「指導医と研修医のアセスメントが異なる場合、なぜ異なるのかを必ず言語化して説明しています。そうすることで、次から研修医は指導医と同じように考えることができるのです」

そもそも集中治療医でありながら呼吸器内科医でもあるという異色のキャリアは、どのようにして築かれたのだろうか。則末氏は医学部に入学する前に慶應義塾大学文学部心理学科を卒業し、認定心理士の資格を取得している。一度は心理学の世界に足を踏み入れたものの、医師を志すようになったのはなぜか。

「カウンセラーになりたくて心理学科に入学しました。しかし入学して間もなく、カウンセラーが介入してコントロールできる領域は、極めて限られていることに気付いたのです。うつ病の人に対して100時間カウンセリングを行うよりも、医師が抗うつ薬を処方する方がよほど効果的。もっと多くの手段をもって患者さんと関わりたいと思い、医学部に入学し直しました」

アメリカではスタンダードな呼吸器内科と集中治療科を兼務

医学部入学後、則末氏が熱心に取り組んだのはアメリカで臨床研修を受けるためのECFMGを取得することだった。

「学生時代から、将来アメリカに行きたいと思っていたので、ECFMGの取得は必須でした。しかし、人より遠回りして医学部に入学した遅れを取り戻すため、多くの症例を経験できる沖縄県立中部病院での初期研修も希望していました。中部病院での初期研修中は勉強をする時間が取れないことが予想されたので、学生の間に全て取得したのです」

集中治療医を志したのは、大学5年生の時。ニュージーランドのオタゴ大学への交換留学がきっかけだった。

「もともと救急医に憧れていたのですが、留学先は救急科の受け入れがなかったため、深く考えずに集中治療科へ行きました。そこではたまたまアメリカでトレーニングを受けた集中治療医が指導医につき、ベッドサイド回診をしながら生理学を中心に学び、強い興味を覚えたのです」

集中治療室では、則末氏にとって忘れることのできない衝撃的な経験をした。

「心臓血管外科術後、縦隔炎と多臓器不全を起こし、2カ月間も回復しない患者さんがいました。そこで指導医が、家族と患者さんに『全力で治療したが残念ながら良くなって退院できる見込みはありません。治療を続けますか?』と聞いたのです」

医師から事実を告げられた患者は首を横に振って治療継続拒否の意思を示した。その後、聞き方を変えて何度も同じ内容を質問するが、患者の答えは一貫していた。そこで集中治療医は「あなたは十分がんばった」と言って、全ての侵襲的な治療を中止し、当然のように緩和ケアへの移行を始めたという。日本ではこんな光景を見たことがなかった。

アメリカでの集中治療医の役割は、医学的に正しい情報を提供した上で、患者および家族と頻回にコミュニケーションを取りながら、患者が価値観に合った医療を受けられるように意思決定を支援するものだった。

「意思決定におけるヒエラルキーの頂点にいるのは、医師でも法律家でもなく患者さんでした。このことを日本で伝えようとしても、なかなか簡単には伝わりません。しかしこの経験から、延命治療に関して患者さんと家族が後悔しない意思決定ができるように、医療環境を整備することが私のライフワークの一つになったのです」

集中治療医に求められるものは生理学や救命措置だけではなく、もっと奥深いものだと知り集中治療医を志すように。一方で沖縄県立中部病院での研修において、最も興味深く感じたのは呼吸器内科だった。アメリカ行きを決めていた則末氏は、アメリカでは呼吸器内科医が集中治療医を兼ねることが一般的だと知り、自然の成り行きで呼吸器内科と集中治療科の二つのスペシャリティを目指すようになったという。

延命治療になるかは患者次第 初めて終末期医療の回答に出合う

沖縄県立中部病院での初期研修修了後から3年間、ハワイ大学で内科レジデントとして勤務した。ハワイ大学では医療倫理について学びを深め、研修医時代に感じた終末期における意思決定のジレンマに対する答えを見つけたと語る。

「ハワイ大学では3カ所の病院を回り、臨床倫理教育に力を入れている指導医に出会いました。この医師からは、患者の価値観と自己決定を尊重することの重要性を教えられました」

例えば、人工呼吸器一つを取ってみても、それが延命治療になるかどうかは患者自身の価値観によって異なる。人工呼吸器依存の状態になったとしても、家族とコミュニケーションが取れて、好きな読書などができ、患者が満足するのであれば、それは延命治療と言えないというわけだ。

「日本では終末期の医療について、家族の希望や主治医の意思が最優先になってしまうことがよくありますが、最も重視すべきは患者さん本人の価値観です。人工呼吸器であれ、胃ろうであれ、本人の価値観として治療の負担や救命後のQOLを許容できれば延命治療ではなく、許容できなければ延命治療になるのです」

ハワイ大学での勤務後、さらに3年間アメリカのセントルイス大学で呼吸器内科・集中治療科フェローとして勤務した。ここではさまざまなICUを回り、中でも神経集中治療室での経験が則末氏の考え方に大きな影響を与えたという。

「神経集中治療室では最大限、脳の機能を守るために努力します。指導医が常々言っていたのは『いくら救命できても脳を助けられなければ、人生を助けたことにはならない』ということ。ここでの経験から私は、心臓と肺、さらに脳、この3つの臓器だけは絶対に妥協せず、どのような知識であっても吸収しようと決めました」

日本でクローズドICUを立ち上げ急性期と慢性期の架け橋に

アメリカで6年間の経験を積んだ後に帰国し、集中治療医として東京ベイ・浦安市川医療センターに着任した。同センターに、アメリカと同レベルの医学教育とクローズドICUを導入したいという誘いがあったという。

ここでクローズドICUの定義について確認したい。日本の一般的なICUは、各科がICUの場所を借りて自科の患者の治療を独立して行うもので、オープンICUと呼ばれる。それに対して日本におけるクローズドICUとは、単独科だけでさまざまな専門医をそろえ、他科は患者の治療に関与しない自己完結型のICUを指すことが多い。しかしアメリカのクローズドICUとは「全てのICU患者の診療に集中治療医が関わり、他に主治医がいる場合でも主治医と共に責任を共有するICU」を指す。

米国型クローズドICUは、患者にも主治科にもメリットが大きい仕組みである。

「術後管理や急変対応に長けた集中治療医が常にいるので、外科医は手術に専念できます。また、集中治療医はいわゆる重症患者の総合医ですから、臓器横断的に患者さんを診ることができ、適切な診療科にコンサルできます」

この仕組みが機能するための絶対条件は、集中治療医と主治科が治療プランを共有することだ。そのためには回診を一緒に行うなど、コミュニケーションを強化する必要がある。また薬や検査のオーダーは集中治療医に一本化されるか、主治科がオーダーした場合は必ず集中治療チームへの報告が必要になる。つまり米国型クローズドICUは、医療チームのコミュニケーションを強化することによって、患者の安全と医療の質を担保するシステムであると言える。

則末氏が導入を目指したのはこの米国型クローズドICUだが、多くの医師にとってなじみがなく、導入するための道のりは平たんではなかった。

「集中治療医として赴任しましたが、初めはICUの患者さんを任せてもらえず、総合内科医として一般病棟の患者を診ながら頻繁にICUに顔を出しました。ICU内で急変があれば主治医が来る前に初期対応をしたり、患者について各科の医師と意見交換をしたりして、各科の先生に『患者を任せても大丈夫』という信頼を一つ一つ得ていきました」

このような粘り強い取り組みが功を奏し、内科、一般外科、循環器内科、脳神経外科、心臓血管外科と患者を任されていき、ICUの全ての患者を救急・集中治療科が担当する今の体制が構築された。

ハワイ大学で医療倫理や終末期に関する考察を得て、その後も集中治療医・呼吸器内科医として慢性期や急性期を含む多くの患者と向き合ってきた則末氏。慢性期と急性期の医療者が終末期に関する認識を共有し、両者の分断が起こらない仕組み作りが必要だと考えている。

「慢性期と急性期、それぞれを担当する医師が終末期に関する共通認識を持っていなければなりません。急性期の医師が『終末期とは何をしても救命ができない状態であり、その状態でなければ完全緩和という選択肢を提示することが許されない』という誤った考えを持っていたとします。そのような場合はたまたま集中治療室に運ばれてきてしまった患者さんが『これ以上、つらい治療は受けたくない』と考えていたとしても、亡くなる瞬間まで四肢を拘束するような延命治療が行われてしまいます。これでは患者中心の医療とは言えません」

則末氏の現在の目標は、急性期医療と慢性期医療をつなぐ架け橋となること、そして同じように架け橋となってくれる集中治療医の仲間を増やすことだ。そのために教育を自身の最大のミッションと位置付けている。

「私が努力を続けられる最大のモチベーションは、目をキラキラさせて学びにやって来る研修医の存在です。私一人で救うことができる患者さんの数は限られていますが、集中治療医を増やすことで、患者中心の医療が実践されていくことに貢献できたら、これほどうれしいことはありません」

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2021年6月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

のりすえ・やすひろ

2004 沖縄県立中部病院にて初期研修
2006 ハワイ大学 内科 レジデント
2009 セントルイス大学、呼吸器内科・集中治療科 フェロー
2012 東京ベイ・浦安市川医療センター 呼吸器・集中治療科
2012-2018 日本ARDSガイドライン作成委員
2015-2020 日本集中治療医学会倫理委員

専門領域
人工呼吸管理における患者・人工呼吸器間の非同調
人工呼吸管理における食道内圧モニタリング
間質性肺炎の急性増悪
神経集中治療
重症患者に関する困難な意思決定

愛読書: 小泉八雲集
影響を受けた人: 平岡 栄治(ハワイ大学の先輩で当院総合内科部長)
好きな有名人: 渥美 清
マイブーム: ゾンビ映画
宝物: 最近買ったロボット掃除機(Minimaruちゃん)
座右の銘: もっと勇気を

新たなキャリアの可能性を広げましょう

「チャレンジをしたい」「こういった働き方をしたい」を民間医局がサポートします。
求人を単にご紹介するだけでなく、「先生にとって最適な選択肢」を一緒に考えます。

ご相談はこちらから