尊敬する指導者の背中を追い 「何でもできる」医師を目指す
長崎大学を卒業後、清田氏が研修先に選んだのは飯塚病院だった。たまたま全国の有名研修病院を行脚していた知り合いから、「すごい研修病院がある」という情報を聞きつけ、在学中にすぐに見学に行った。今でこそ飯塚病院は人気の研修先として全国的に有名だが、当時はまだほとんど知られていなかった。それにもかかわらず、病院を見学した清田氏は、迷わず「ここだ」と確信したという。学生ながらに衝撃を受けたのが、内科の指導医をしていた安部宗顕氏の診療スタイルだった。
「丁寧に身体診察をされて、そこから『〇〇があります、△△もあります』と何でも的確に診断をつける。そうした診療のやり方は、大学では全く見たことがありませんでした」
安部先生の下で学びたい。その思いで、医局に入らない決意をした。清田氏が飯塚病院に赴任した当初、常勤医のポストはすべて埋まっていたため、研修後は他の病院に移らなければならない状況だったという。しかし、2年間の研修が終わる頃、その状況が変わった。飯塚病院では「専修医」という特別枠を設け、後期研修プログラムを立ち上げることになったのだ。その後総合診療科も開設された。
「専修医の仕組みがなければ、病院には残れなかった。誰かが私の頑張りを見てくれていたのだと思います」
専修医になってから積極的に学んだのが、放射線科の扱う領域である。そこで出会った医師たちが、現在の清田氏に大きな影響を与えている。その一人が消化器病学に精通していた植山敏彦氏である。植山氏は、内視鏡検査、透視検査、病理検査まで一人でこなしてしまうような、万能医師だった。
「私は安部先生から一般内科を教えていただいたほかは、専門内科についての研修は循環器内科を除き行っていません。植山先生から消化器疾患の形態学を学んだことが、今の総合診療科での診療に大いに役立っています」
もう一人の指導医が、米国で放射線医学を修め、当時放射線科部長だった鬼塚英雄氏である。
「鬼塚先生は、全身を診ることができるGeneral Radiologistです。胸部レントゲン写真を見ながら、『清田君、この患者さんには貧血がある?』と言うのでデータを確認すると、見事言い当てている。すごいスキルだと思いました」
放射線科で学び、9カ月かけて読影スキルを磨いた。身近にロールモデルとなる医師たちがいたことが、幅広い知識を身に付けたいというモチベーションになった、と清田氏は振り返る。