文献を追い求め、症例を読み解く 清田 雅智

医師のキャリアコラム[Challenger]

飯塚病院 総合診療科 診療部長

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/松村琢磨

2011年から連載開始した「クリニカルパールズ」はドクターズマガジンで不動の人気を誇っている。2013年~2020年まで連載していた「Dr.井村のクリニカルパールズ」で、全81回のマンガの原作と解説を担当していたのが、総合診療医の清田雅智氏である。主人公のドクター井村(井村洋先生)を支えるコスプレ好きの主要キャラクターとして、印象に残っている読者も少なくないだろう。文献に基づいた膨大な知識から、医学の歴史や疾患を取り巻く背景まで、深く掘り下げて解説することができる唯一無二の存在だ。ひたむきに一つの道を突き詰めてきた清田氏の軌跡に迫る。

総合診療医育成のモデルを 全国の大学へと広げる

総合診療医の育成に力を入れていることで、全国にその名が知られる福岡県の飯塚病院。そこで約60人が所属する総合診療科の重鎮が、清田雅智氏である。今でこそ研修を希望する医師たちが引きもきらず詰めかける大人気病院だが、清田氏が駆け出しの内科医だった20余年前には、わずか5人の医師で診療を担当していたという。夜中の3時、4時に呼び出されるのが日常的だった。

「最初の10年までは本当に大変でした。育てた初期研修医が徐々に定着してくれるようになり、人員が増えたことでやっと現場を回せるようになりました」

これまで清田氏が飯塚病院で育ててきた医師は200人以上。総合診療医を育成するために、現在は院外での活動にも力を入れている。福島県立医大白河総合診療アカデミーで特任教授を務めているのに加え、宮崎大学、産業医科大学、島根大学、横浜市立大学の計5大学で学生教育に携わっている。民間病院に勤務しながら、大学で教育に関わる強みを清田氏はこう話す。

「飯塚病院は約40万人の医療圏の『最後の砦』。圧倒的な症例数で、大学病院でも経験できないような希少疾患を診る機会が豊富にあります。それを教育の場でフィードバックするのが私の役割だと考えています」

総合診療医育成のエキスパートとして、全国から講演会や勉強会の依頼が殺到する清田氏。彼の話を聞こうと多くの研修医らが待ち構えている。その名が広く知れ渡ったのは、飯塚病院で培った総合診療のスキルに加えて、膨大な文献を収集し、深く読み込む類まれな能力によるところが大きい。いつからか「文献ソムリエ」の異名が付けられていた。清田氏が医師としてどんな道を歩んできたのか。そのストーリーをひもといていきたい。

尊敬する指導者の背中を追い 「何でもできる」医師を目指す

長崎大学を卒業後、清田氏が研修先に選んだのは飯塚病院だった。たまたま全国の有名研修病院を行脚していた知り合いから、「すごい研修病院がある」という情報を聞きつけ、在学中にすぐに見学に行った。今でこそ飯塚病院は人気の研修先として全国的に有名だが、当時はまだほとんど知られていなかった。それにもかかわらず、病院を見学した清田氏は、迷わず「ここだ」と確信したという。学生ながらに衝撃を受けたのが、内科の指導医をしていた安部宗顕氏の診療スタイルだった。

「丁寧に身体診察をされて、そこから『〇〇があります、△△もあります』と何でも的確に診断をつける。そうした診療のやり方は、大学では全く見たことがありませんでした」

安部先生の下で学びたい。その思いで、医局に入らない決意をした。清田氏が飯塚病院に赴任した当初、常勤医のポストはすべて埋まっていたため、研修後は他の病院に移らなければならない状況だったという。しかし、2年間の研修が終わる頃、その状況が変わった。飯塚病院では「専修医」という特別枠を設け、後期研修プログラムを立ち上げることになったのだ。その後総合診療科も開設された。

「専修医の仕組みがなければ、病院には残れなかった。誰かが私の頑張りを見てくれていたのだと思います」

専修医になってから積極的に学んだのが、放射線科の扱う領域である。そこで出会った医師たちが、現在の清田氏に大きな影響を与えている。その一人が消化器病学に精通していた植山敏彦氏である。植山氏は、内視鏡検査、透視検査、病理検査まで一人でこなしてしまうような、万能医師だった。

「私は安部先生から一般内科を教えていただいたほかは、専門内科についての研修は循環器内科を除き行っていません。植山先生から消化器疾患の形態学を学んだことが、今の総合診療科での診療に大いに役立っています」

もう一人の指導医が、米国で放射線医学を修め、当時放射線科部長だった鬼塚英雄氏である。

「鬼塚先生は、全身を診ることができるGeneral Radiologistです。胸部レントゲン写真を見ながら、『清田君、この患者さんには貧血がある?』と言うのでデータを確認すると、見事言い当てている。すごいスキルだと思いました」

放射線科で学び、9カ月かけて読影スキルを磨いた。身近にロールモデルとなる医師たちがいたことが、幅広い知識を身に付けたいというモチベーションになった、と清田氏は振り返る。

原因不明の疾患を明らかに 「文献ソムリエ」の原点

「文献ソムリエ」としてその名を知られる清田氏が、文献を調べる面白さに目覚めたのは、研修医1年目での体験がきっかけだった。

「文献を読むことによって、目の前の診療だけでは得られない深い知識を得られる。それを実感できれば、文献を調べる重要性が分かると思います」

清田氏の場合、その実感が得られたのはアルコール性ケトアシドーシスの症例だった。ケトアシドーシスとは、体内のケトン体が増加し、血中のpH値を下げるプロセスのことで、症状が進行すると意識障害を引き起こすケースもある。糖尿病から発症するものが一般的だ。しかし、飯塚病院にはアルコールの過剰摂取の病歴のある人で、糖尿病性ケトアシドーシスに似た症状を来す患者がたびたび搬送されていた。

「明らかにケトアシドーシスの症状があるのに、糖尿病ではない。これは一体何なのだろう……」

そこで思い出したのが、学生時代に習った文献検索の方法だった。「MEDLINE」の医薬文献検索を使い、キーワードを打ち込む。すると91年に米国で発表された1本の論文が見つかった。論文を取り寄せて読んでみると、まさに目の前で起こっている症状について書かれていたのである。

「これだ、と思いました。糖尿病由来ではなく、アルコール性のケトアシドーシスがあると分かったのです。当時、日本ではほとんど知られていませんでした」

それまで飯塚病院では、幾度となく同じ症状の患者に対応しながらも、誰もその原因を特定することはできなかった。清田氏がケトアシドーシスを引き起こす原因を突き止めたことで、診断の精度は格段に向上した。

「そのときの感動が、私が文献を追い求める原点になっています」

文献を深く調べることで 臨床の疑問を解決する

診療を通して生まれた疑問を何とか解決したい。その思いに突き動かされ、文献を深く調べる活動をしてきた道のりが、「文献ソムリエ」へとつながっている。本誌でのマンガ連載「Dr.井村のクリニカルパールズ」の原作を担当したのは、2013年~2020年。清田氏の圧倒的な知識量に裏打ちされた解説に、読者からは称賛の声が寄せられた。解説を書くために、連載時は1、2カ月前から取り上げる症例を決め、関連文献を収集し、月に20本以上読み込んでいたという。

誌面で紹介したまれな疾患を覚えていたことで、実際に患者を診断できたという嬉しい反響もあった。さらに、学生時代の恩師からは、「いつも感心しながら読んでいるよ」と言葉を掛けられた。

清田氏が文献検索でこだわるのは、原書に当たること。誰がいつ発表したのかを知ることが、症状や疾患を理解するために重要だからだ。文献を調べるときは、まず原書とレビュー論文数本を読み、それから直近の論文に目を通す。

「そこまですると疾患の概念が頭にしっかりひもづけられます。一度インプットしておけば、患者さんを前にしたときに『何かあったはず』と閃きます」

原書を読む際には、Googleの英訳機能を活用している。ドイツ語の原書でも、一度英語に翻訳することでほぼ誤訳なく読めるという。

「実は今でもドイツ語はほとんど読めないんです。でもこのやり方であれば、原書がたとえ何語で書かれていても読むことができます」

この先の10年で 総合診療医が育つ仕組み作りを

総合診療医の育成のために全国を飛び回る清田氏だが、不在の間、飯塚病院の診療体制はどうなっているのだろうか。

「以前は外来も病棟も担当していましたが、今は若手の医師が育ってきたので、病棟を任せられるようになりました。私が初診の外来を担当するのは週に2日。そこで後期研修医の外来研修の指導をします」

総合診療科をローテーションしている研修医が診る症例について、すべてチェックしながらフィードバックをする。外来日には1日20~30人の新患を診ている。

「日本で総合診療が充分に機能していないのは、人員が少ないからです。ティーチングスタッフの数が少ないので、関わる医師たちが疲弊してしまう。人材が育つ仕組みさえできれば、そこからいい循環が生まれるはずです」

清田氏は総合診療のスペシャリストであるにもかかわらず、これまで専門医の資格は一つも取得していない。資格取得に興味を持てなかったから、というのがその理由だ。

「私たちの時代と違い、これからは資格も重要になるでしょう。若い人たちが、資格がないことを不安に思う気持ちも分かります。ただ、資格さえ持っていれば能力があるのかといえば、そうではない。肩書は大事ですが、それ以上に医師として何ができるかが大事だと思います」

学生時代、飯塚病院を見学したときに見た憧れの医師たち。今では、そのなりたかった医師たちの姿に自身が重なり、いつのまにか総合診療の教育者として全国から招聘されるようになった。医局に所属せず、独自の道をたどって来たその道程は、新しいロールモデルとなるだろう。清田氏に今後の展望を聞いた。

「総合診療医が専門医に認定されてから、実際に専攻した人はわずか2.4%。米国では40%は必要と推計されているのに、まだまだ足りません。まずは私が総合診療医であるこの10年の間に、10%にすることを目指して教育に取り組んでいきたい」

P R O F I L E
プロフィール写真

飯塚病院 総合診療科 診療部長
清田 雅智/きよた・まさとも

1995 長崎大学医学部 卒業
1995 飯塚病院 研修医
1999 飯塚病院総合診療科 スタッフ
2005 Visiting clinician(division of infectious diseases,Mayo Clinic MN.)
2010 飯塚病院総合診療科 診療部長

所属学会

日本内科学会 会員
日本感染症学会 会員
日本プライマリ・ケア連合学会 会員
日本病院総合診療医学会 会員
日本医師会 会員

院外役職

2015 福島県立医大白河アカデミー 特任教授
2016 宮崎大学 微生物学 非常勤講師
2017 東北医科薬科大学 地域医療学 非常勤講師
2017 産業医科大学 救急医学 大学院 講師
2019 島根大学医学部 統合医療学講座(共同研究員)
2019 九州大学大学院 医学教育学講座(共同研究員)
2020 東京医科歯科大学医学部 臨床教授
2021 横浜市立大学 総合診療医学 臨床教授
座右の銘: 人焉廋哉(ひといずくんぞかくさんや)
愛読書: 『古語俗解』渡部 昇一 著
影響を受けた人: 安部 宗顕
好きな有名人: 大谷 翔平
マイブーム: 知らないeponymの探索
マイルール: 分からないことは調べる
宝物: “Hamilton Bailey”の古書11冊

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2022年2号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。