キャリアを積み、女性医師が活躍できる道を切り拓く 草野 央

医師のキャリアコラム[Challenger]

北里大学医学部 消化器内科学 主任教授

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/皆木優子

取材中、「寒くない?」「部屋までちょっと遠いけれど大丈夫?」と、終始笑顔で取材陣を気遣う草野央(ちか)氏。気配りの人、というのが第一印象だ。2021年8月に北里大学医学部消化器内科学の主任教授に就任してから、ちょうど半年がたったタイミングで話を聞くことができた。国内の大学の消化器内科で女性が主任教授になるのは、草野氏で3人目。重責を担うポジションに就きながら、どこか飄々(ひょうひょう)とした雰囲気を漂わせ、気負いは感じられない。外科からキャリアをスタートさせ、ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)の発展期に消化器内科へと舵を切った。そこには「胃がんを早期に見つけたい」という医師としての強い思いがあった。これまでの歩みとともに、主任教授としての新たな決意を聞いた。

トップに立つ女性の少なさ 日本の後れを目の当たりに

「これは、相当後れているのではないだろうか……」

北里大学医学部消化器内科学の主任教授として学内の教授会に初めて参加したとき、草野央氏の頭には、そんな感想が浮かんでいた。会議室に集まった約40人の各講座の主任教授の中で、女性はたったの3人。しかも、他の2人は生理学と解剖学の基礎系講座で、臨床分野では草野氏ただ1人だった。多様性の時代といわれる今、実が伴わないその光景に違和感を覚えた。

「さすがに女性が少なすぎると思いました」

主要ポストに就く女性が少ないのは、北里大学に限ったことではない。全国の大学の消化器内科で女性が主任教授に就任したのは、草野氏で3人目なのである。男性と女性では体力面でも、ライフイベントにも違いがある。だから、医師の中で男性がトップに立つのは仕方がない。心のどこかでそう考えていた、と草野氏は振り返る。そうした考えが変わったのは、主任教授に着任してすぐ、元北里大学消化器外科学主任教授の渡邊昌彦氏(現:北里大学北里研究所病院 病院長)から掛けられた言葉がきっかけだった。

――日本ではこれまでほとんど女性を登用してこなかった。そのために世界に30年は後れをとっている。女性の外科医が少ないのは、能力の差ではなく、ただ任せてこなかったから。任せれば手術の上手な女性はたくさんいるはず。今後はどんどん登用していくべきだ。

先駆者となる草野氏に対して、渡邊氏から送られたエールである。

「渡邊先生がそうおっしゃるのを聞いて、これからは女性も前に出て行かなければいけないと思えるようになりました」

自身のキャリアについて、自然な流れに身を任せてきたと話す草野氏。しかし、主任教授になったのは想定外だったという。「荒波にもまれています」と言いながら、笑う声は明るい。どこか飄々とした雰囲気が漂うが、すでに覚悟は決まっている。

「消化器内科のトップに立ったからには、この組織をより良く変えていきたい。そのためには、言うべきことはしっかりと言う必要があると思っています」

がんを早期に見つけたい 外科から内視鏡の道へ

現在は消化器内科を専門とする草野氏だが、大学卒業後に選んだのは外科の道だった。消化器外科医である父と同じ道に進みたい――。その気持ちから、選択に迷いはなかったという。ただ、実際に消化器外科での臨床に携わるうちに、「自分の居場所はここではないのではないか」という迷いが生じていた。

「がんの発見が遅ければ、たとえ手術をしても治せないケースがあります。末期の胃がんで苦しむ患者さんを外科でたくさん診るうちに、もっと早く見つけられればと思うようになりました」

当時、草野氏が所属していた東京女子医科大学病院では、外科は手術に専念し、がんの診断は内科で行われていた。そのため、外科で内視鏡検査や診断のスキルを身に付けたいと思っても、教育を受けられる環境にはなかったのである。

そこで見つけたのが、ESDのパイオニアの医師たちによるデモンストレーションセミナーだった。当時、まだ執刀できる人が限られていたESDの手技を全国に広めるために、開発に携わった後藤田卓志氏ら、5人の医師たちが合同で企画したものである。その初回を見た草野氏は、「これだ!」と直感したという。

「ESDの技術が優れていたのはもちろん、その診断力には驚きました」

そこからの動きは速かった。セミナーの講師を務めた医師たちの病院へ見学に行き、その中から後藤田氏が在籍していた国立がんセンター中央病院(現・国立がん研究センター中央病院)内視鏡科の門をたたいた。2005年、草野氏が医師になって6年目のときだった。同院にはESDを編み出した小野裕之氏や後藤田氏など、国内における内視鏡治療の第一人者が集結していた。

フィードバックをくり返し 内視鏡での診断力を磨く

がんの診断では、まずがんかどうかを見極める質的診断を行う。その上で、がんの範囲と深達度を明らかにする量的診断をする。この2つの診断を正確に行わなければ、ESDの適用を判断することはできない。

「後藤田先生の診断力は圧倒的でした。病変を見ただけで、どこに境界があり深達度はどのくらいか、すぐに見極められる。しかもその診断が、内視鏡で切除した病変とピタリと一致していました」

自分も同じ境地に達したい。その思いに突き動かされた草野氏は、持ち前の粘り強さで診断スキルの習得を目指していく。事前診断をしていた症例は、必ず治療後に振り返り、その診断が合っていたかどうかを確認する。診断の難しかった症例は、積極的にカンファレンスで発表し、他の医師たちとも情報を共有するようにした。その繰り返しで、的確な診断のための判断材料となるデータを、自分の中にひたすらインプットしていった。

当時のことを聞くと、「カンファレンスでは叱られてばかりでした」と話す。あまりの叱られように他の医師からは、「自分だったら無理だ」と慰められたこともあったという。それでも続けられたのはなぜなのか。

「内視鏡が好きなんですよね。好きじゃなかったら続けられないと思います。どんなに叱られても、できるまでは絶対に諦めたくないという強い気持ちがありました」

たとえすぐにはできなくても、必ず問題を解決して、次の機会にはできるようにする。必死で食らいついていく草野氏の姿勢は、いつしか内視鏡科の中で一目置かれるようになっていた。

また、内視鏡治療をする上で強みになったのが、外科での経験だ。当時、ESDは今ほど技術が確立されていなかったため、処置中に出血や穿孔などのトラブルが頻繁に発生していた。そうした場面において草野氏は、「対応力が群を抜いていた」と後藤田氏から高く評価されている。術者が冷静さを失うような場面でも、助手を務める草野氏が患者の全身状態をチェックし、看護師に的確な指示を出す。術者とは違う視点で全体を見ながら、常に落ち着いた対応をしていた。

「外科の領域では、あらかじめ頭の中で手技の手順をイメージし、最善のパターンと最悪のパターンを想定しておきます。内視鏡治療でもそれは同じで、いざというときに冷静に動けたのは、その準備をしていたからだと思います」

検査から除菌治療まで 秋田でのピロリ菌除菌事業の立ち上げ

2010年に国立国際医療研究センターに移り、そこから本格的に草野氏の消化器内科医としてのキャリアがスタートする。2015年からは、日本大学と秋田県の由利組合総合病院を3カ月~半年ごとに行き来しながら、後藤田氏の研究をサポートする形で中学生を対象としたピロリ菌抗体検査事業に取り組んだ。

「秋田県は17年連続で胃がんでの死亡率がワースト1の地域。そのため、ピロリ菌の感染率も高いと考えられていました」

予防のための対策が県としての重要課題になっていたのである。そこで、由利本荘市・にかほ市の中学校、合わせて11校で検査を実施。二次医療圏全域での取り組みとしては、全国でも初めての試みだった。学校健診の際に血液検査と尿検査でスクリーニングし、確定診断のための検査は病院で行う。陽性と診断されれば、除菌治療まで一貫して実施した結果、由利本荘市・にかほ市における中学生のピロリ菌感染率は、4.9%だと判明した。現在までの7年間、行政によって検査事業は継続されているが、このまま除菌治療が進めば、いずれは胃がんの発生率も下がっていくだろう。

日本の医療ではすでに胃がんの早期発見、ピロリ菌除菌治療での予防ができるようになった。そこで現在、草野氏が上部消化管疾患の中で着目しているのが、成人の食道胃接合部腺がんである。食道と胃のつなぎ目の部分にできるがんで、ピロリ菌とは関係なく発生すると考えられている。症例数は少ないものの、地域のがん患者が集約されてくる北里大学病院では明らかに増加傾向にあるという。

「食道胃接合部腺がんができやすい人がいれば、そのリスク因子を探し出し、予防につなげたい。それが私の次の研究テーマです」

女性医師でもキャリアが積める 働き方改革がチャンスに

食道、胃、大腸、小腸、肝、胆膵と、それぞれの領域で国内トップクラスの医師たちがそろう北里大学病院の消化器内科。草野氏は同科を率いる主任教授として、若手医師の育成にも力を入れていく。一人でも多く、患者に喜ばれる医師を輩出するのが目標だ。

「幅広い消化器内科の分野において苦手な領域がないのが当院の強み。その強みを生かして、次の世代のプロフェッショナルを発掘していきたい」

医師として、これまで女性であることを特別意識したことはなかったと振り返る一方で、女性医師がトップに立ちにくい現状を肌で感じている草野氏。

「役職に就くことに、気が引けてしまう女性医師も多いのではないでしょうか。私もその一人でしたが、上の立場に立ったからには、若い世代の女性医師たちをどんどん引き上げていくのが自分の役割だと思っています」

働き方改革も女性医師にとっては追い風になる、と草野氏は考えている。限られた時間内に働くシフト制が導入されれば、子育て中の医師でもキャリアを積み上げられるようになるからだ。最後に、主任教授になって半年での手応えを聞くと、笑顔でこう返ってきた。

「まだまだです。自分が思い描くような組織をつくり上げるには、何年もかかると思っています。5年で種をまいて、10年かけて育てていくようなイメージですね」

P R O F I L E
プロフィール写真

北里大学医学部 消化器内科学 主任教授
草野 央/くさの・ちか

2000 北里大学医学部医学科 卒業
東京女子医科大学病院 消化器外科
2005 国立がんセンター中央病院 内視鏡科 レジデント/がん専門修練医
2010 国立国際医療研究センター 消化器科 医員
2012 東京医科大学 内科学第四講座 臨床研究医
2014 東京医科大学 内科学第四講座 講師
2015 日本大学医学部 消化器内科学分野 助教
2019 日本大学医学部 消化器内科学分野 診療准教授
2021 北里大学医学部 消化器内科学 主任教授

受賞歴

2014 Digestive Endoscopy Best Reviewer
2017 日本農村医学会研究奨励賞(英文誌、医師研究者部門)
2019 日本高齢消化器病学会 優秀論文賞
座右の銘: 財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上
好きな作家: 司馬遼太郎
影響を受けた人: 内視鏡界のトップランナーの先生方
好きなスポーツ選手: 高橋尚子
マイブーム: ボクシング
マイルール: 迷ったらやる
大切にしているもの:

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2022年5号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。