オリジナル術式を次々と生み出す、鼻科のトップランナー 大村 和弘

医師のキャリアコラム[Challenger]

東京慈恵会医科大学 耳鼻咽喉科学教室 講師

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/緒方一貴

鼻副鼻腔疾患に対する内視鏡下手術で、日本一といわれる技術力を持つ大村 和弘氏。他院で手術をした患者の再発症例や、腫瘍が摘出しづらい位置にある難症例など、大村氏の元にはその技術力を頼りに全国から患者が紹介されてくる。2018年からの4年間で手掛けた鼻副鼻腔腫瘍の手術件数は200例以上に及び、国内トップクラス。世界でも有数の執刀数を誇り、その中にはE難度の手術が多数含まれる。無駄のない切開ラインと出血量の少なさは、「アートの域に達している」と表現される。さらに技術力に加えて注目を集めているのが、オリジナルの術式だ。これまで発表した術式は12に上る。次々と新しい術式を考案し続ける大村氏の、挑戦者としての歩みを追いかけたい。

出血が少なく低侵襲 12のオリジナル術式を考案

より低侵襲で、より機能が温存できる手術を――。それが、鼻科手術でオリジナルの術式を考案し続けている大村氏が、はじめから変わらず目指していることだ。2017年に発表した、鼻副鼻腔腫瘍に対する内視鏡下手術のTACMI(匠)法に始まり、SLAP FLAP法、DALMA(ダルマ)法、さらには眼窩底骨折に対する新規術式まで、大村氏が世界に示したオリジナルの術式は12に上る。外科領域において新しい術式を考え出すのは、リスクを熟知したうえでのオリジナリティが必要となる。次々とアイデアを生み出せる秘訣は何なのだろうか。

「手術ができないと診断された重篤な患者さんに対して、既存の術式を組み合わせたり、逆のやり方に挑戦してみたりと、何とか治療できないかを徹底的に考えていく。最初に発表したTACMI(匠)法も、切ってはいけないとされる部分を切ってみるという逆説的な発想がきっかけでした」

TACMI(匠)法は、片側の鼻腔をふさぐような大きさの腫瘍に対して、反対側の鼻腔からアプローチする方法だ。それまでタブーとされてきた鼻中隔に切り込みを入れることで腫瘍の位置をずらすと、鼻腔の奥にある腫瘍の根本部分までが見えるようになる。従来は、腫瘍がある側から腫瘍を分割切除していくピースミールリセクションが主流だったが、そのやり方だと、大量の出血により内視鏡で腫瘍の根本が見えづらかった。その点、TACMI(匠)法では、腫瘍に切り込みを入れないため出血が抑えられ、術野がクリアな状態で腫瘍を根本から摘出できるのだ。これまで難しいとされてきた、腫瘍を一塊で取り除くアンブロックリセクション(以下・アンブロック法)を可能にした画期的な方法である。さらに腫瘍を取った後に切開箇所を縫い合わせれば、鼻中隔は自然に元通りになる。

丁寧な手技の積み重ねで まるでアートのような手術

低侵襲で機能が温存されることに加えて、大村氏が手掛ける手術は「美しい」と評される。その美しさは、オリンパス社の4Kモニターのデモ動画に、史上最年少で採用されたほどだ。手術手技を見た海外の医師たちからは、「これはアートだ!」という称賛の声が寄せられた。大村氏にとって美しい手術とは、切開ラインに無駄がなく出血が抑えられている状態を指す。そのため、メスを入れる角度一つにも妥協がない。

「鼻は奥行きがあるので、一連の流れで切開するときには、手前と奥ではメスの角度をほんの少し変えなければいけません。そういうところが難しいのですが、そこまで気にしている人はあまりいないのではないでしょうか」

手術は積み木のようなもの、というのが大村氏の持論だ。例えば、血管に対して垂直に切るのと斜めに切るのとでは、断端が大きくなる斜めの方が出血量は多くなる。難易度の高い手術では、一つ一つの手技をいかに丁寧に積み重ねられるかが重要だという。10時間に及ぶ手術でも、そのやり方は変わらない。

自分にしかできないことで外科医として一番になる

外科医として自分にしかできないことは何か。大村氏にとって、その答えが数々のオリジナルの術式を生み出すことだった。しかし、TACMI(匠)法を考えた当初は、周囲からの猛烈な批判があったと振り返る。

「医師になって3年目でアンブロック法を試したときには、『危ない』『ありえない』と医局で大問題になりました」

創立130年、日本で最も歴史のある東京慈恵会医科大学の耳鼻咽喉科学教室。それまでの主流だった手術法を変えることへの反発は大きかった。一時は「大村をちゃんと見張っていろ」と言われたこともあったという。日本での学会発表を断念した大村氏だったが、アメリカで知り合った医師たちにTACMI(匠)法の手術動画を見せたところ、思いがけず「Congratulations!すごいじゃないか!」と絶賛された。そこで海外での論文発表を決意。会ったばかりのアメリカ人医師に手伝ってもらい、何度もやりとりをしながら完成させた。論文を発表したことで、大村氏が考案した術式が正式に鼻科の世界で認められたのだ。

「オリジナルの術式を作れたことで、人生が大きく変わりました」

それが、外科医としてのターニングポイントになった。2016年に獨協医科大学越谷病院(現・獨協医科大学埼玉医療センター)へと移った大村氏は、臨床の現場で積極的にアンブロック法を手掛けていく。その結果を国内の学会で発表すると、次々と他の病院から患者が送られてくるようになった。

「もし自分の親や友人に手術をするとしたら、低侵襲な方法でやってあげたい。その強い思いが、アンブロック法を続けるモチベーションでした」

鼻副鼻腔腫瘍のうち内反性乳頭腫は、世界的なデータでも12%ほどが再発するといわれている。しかし、大村氏が執刀したアンブロック法の手術では、3年のフォローアップ期間でこれまで一人も再発していない。2018年に再び東京慈恵会医科大学附属病院に戻る頃には、院内の医師たちからも「アンブロック法で手術をしてほしい」と依頼されるようになっていた。

「それまで反対していた先生たちも、患者さんにより良い治療を提供したいという気持ちは同じ。これまで臨床を重視してきた慈恵だからこそ、アンブロック法の安全性や侵襲度の低さを評価してもらえたのだと思います」

長い伝統を塗り替えた瞬間だった。現在では、同院の鼻副鼻腔腫瘍の手術は可能な限りアンブロック法で行われている。

一流の手技を身に付けたい 手術を見ながら言語化

現在、大村氏の元には全国から患者が紹介されてくる。そのほとんどが再発症例や腫瘍が摘出しづらい位置にある難症例で、E難度の手術が求められる。鼻副鼻腔腫瘍の内視鏡手術で日本一ともいわれる手技を、大村氏はどのように身に付けたのだろうか。

「手術手技は、お手本を1回見ただけで完璧にできる人もいれば、10回見ても全くできない人がいる。僕は後者で最初は全然できませんでした。この違いは何だろう……と、悔しかったですね」

利き手ではない左手を使う、頭が冴えるからと断食をするなど、手技を上達させるためにあれこれと試した。その中で最も効果があったのが、手術を言語化する方法だった。手術室に入ったところから、モニターやコンセントはどこか、術者の立ち位置、吸引管や電気メスの配置など、一つずつ実況していく。なぜそこに置かれているのか、その理由まで考えることで、手術の一連の流れが理解できるようになったという。医師になって5年がたつ頃には、自分なりの型ができあがっていた。型が決まってからは、改良をしながらさらに技術を洗練させていった。

「僕の手術はいつも同じところから始めるし、流れも決まっている。どんなに長い手術でもそれは一緒です」

すでに言語化できているため、大村氏の指導は非常に分かりやすい。耳鼻咽喉科の医師たちに手術手技のレクチャーをするときには、まずコーヒーをかき混ぜている動画を見せて、それを言葉にする練習から始める。

大村氏が考案したオリジナルの術式は、今や国内だけでなくアジア各国にも広がっている。術者が増えれば、それだけ救える患者は増える。

「僕にしかできない手技のように思われますが、直接教えた先生たちは全員が手術できるようになっています。今日もカンボジアの医師から連絡があって、DALMA(ダルマ)法の手術の適用になるかどうか、症例の相談を受けました」

目の前の患者のために 難症例への挑戦

大村氏が新しい術式を作るきっかけになった、思い出深い手術がある。鼻に大きな腫瘍がある鼻腔がんの患者で、それまで他の医師が2回手術をしたものの、出血多量で腫瘍が取れなかった症例だ。再手術を依頼されたが、血管造影で血流を見た脳神経外科の医師からは、「これは無理でしょう」と匙を投げられた難症例だった。何とかできないか、悩んだ大村氏が思い付いたのは、眉の下を切って腫瘍にアプローチする方法。眼の腫瘍を取るための手術で用いられることはあったが、当時、鼻の手術では誰も行ったことがなかった。その方法で初めて手術をしたところ、少ない出血で無事に腫瘍を取ることができたのだ。

さらに、その手術を成功させたことで、もう一つ助かる命があった。頭蓋底腫瘍の19歳の青年である。全国の病院から手術を断られて、最後にたどり着いたのが大村氏の元だった。脳神経外科・形成外科との合同手術を行い、31時間以上かかる大手術の果てに、無事に腫瘍を摘出。手術前には余命6カ月と宣告されていたが、それから5年以上生き抜くことができた。

アジアを活動のフィールドに 鼻科医として世界一を目指す

2022年4月からはノースカロライナ大学に留学し、客員研究員として勤務している。

「今、僕は42歳。65歳まで外科医を続けるとしても、あと23年ある。世界に向けてさらに発信し続けるためには、これから何をすべきなのか。次のビジョンを見つけにいきたい」

すでにカンボジア、ミャンマー、ラオスの国立病院から招聘を受け、内視鏡下鼻副鼻腔手術の技術教育を行っている大村氏。今後はさらに、アジア地域で難易度の高い鼻の治療ができるように、各国の主要な大学病院と連携をとり、現地の医師の育成に力を入れていきたいと語る。アジアを活動のフィールドにして、アメリカやヨーロッパの医師たちからも「手技を見に行きたい」と言われるような存在を目指している。

若手の医師たちへ向けては、こう語る。

「外科医だったら技術を磨いて、その分野の一番になってほしい」

一番にこだわるのには理由がある。トップ技術を持つ医師にしか治せない患者がいるからだ。

「大事なのは他人との比較ではなく、常に過去の自分を超えながら自分にしかできないものを見つけることです」

心に刻んでいるのは「Good Surgery, Good Life」。大村氏の生き方は、まさにこの言葉を体現しているのではないだろうか。

P R O F I L E
プロフィール写真

東京慈恵会医科大学 耳鼻咽喉科学教室 講師
大村 和弘/おおむら・かずひろ

2004 東京慈恵会医科大学 卒業
総合病院国保旭中央病院 研修医
2007 NPO法人ジャパンハートにてミャンマーをはじめアジア諸国で医療・ボランティア活動に従事
2009 東京慈恵会医科大学 耳鼻咽喉科学教室 助教
2016 獨協医科大学越谷病院 耳鼻咽喉科学教室 派遣
2021 東京慈恵会医科大学 耳鼻咽喉科学教室 講師
2022 ノースカロライナ大学 客員研究員(留学)

受賞歴

2003 ロンドン大学キングスカレッジ医学部留学生 選抜
2006 総合病院国保旭中央病院Residency Award(最高剖検賞)
UCLA海外研修(総合病院国保旭中央病院エクスターンシップ) 選抜
2018 第25回アジア文化経済振興院大賞 国際交流部門
2020 最優秀発表賞(ダイヤモンド賞) 第59回日本鼻科学会総会
2021 金杉賞:慈大耳鼻咽喉科会総会および第480回三土会
第28回日本鼻科学会賞 第60回日本鼻科学会総会
2022 東京慈恵会医科大学 学外研究員制度 選抜
座右の銘: にこにこ顔の命がけ(平澤 興)
愛読書: 『太公望』宮城谷 昌光著/『親子で読もう「実語教」 』齋藤 孝著
影響を受けた人: 市川 剛、吉岡 秀人、塩尻 俊明、大櫛 哲史
好きな有名人: イチロー、小田 和正
マイブーム: 畑、ライフコーチ
マイルール: 自分のありたい姿を追求し、それに正直であり続ける
宝物: 家族と仲間

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2022年6号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。