自分にしかできないことで外科医として一番になる
外科医として自分にしかできないことは何か。大村氏にとって、その答えが数々のオリジナルの術式を生み出すことだった。しかし、TACMI(匠)法を考えた当初は、周囲からの猛烈な批判があったと振り返る。
「医師になって3年目でアンブロック法を試したときには、『危ない』『ありえない』と医局で大問題になりました」
創立130年、日本で最も歴史のある東京慈恵会医科大学の耳鼻咽喉科学教室。それまでの主流だった手術法を変えることへの反発は大きかった。一時は「大村をちゃんと見張っていろ」と言われたこともあったという。日本での学会発表を断念した大村氏だったが、アメリカで知り合った医師たちにTACMI(匠)法の手術動画を見せたところ、思いがけず「Congratulations!すごいじゃないか!」と絶賛された。そこで海外での論文発表を決意。会ったばかりのアメリカ人医師に手伝ってもらい、何度もやりとりをしながら完成させた。論文を発表したことで、大村氏が考案した術式が正式に鼻科の世界で認められたのだ。
「オリジナルの術式を作れたことで、人生が大きく変わりました」
それが、外科医としてのターニングポイントになった。2016年に獨協医科大学越谷病院(現・獨協医科大学埼玉医療センター)へと移った大村氏は、臨床の現場で積極的にアンブロック法を手掛けていく。その結果を国内の学会で発表すると、次々と他の病院から患者が送られてくるようになった。
「もし自分の親や友人に手術をするとしたら、低侵襲な方法でやってあげたい。その強い思いが、アンブロック法を続けるモチベーションでした」
鼻副鼻腔腫瘍のうち内反性乳頭腫は、世界的なデータでも12%ほどが再発するといわれている。しかし、大村氏が執刀したアンブロック法の手術では、3年のフォローアップ期間でこれまで一人も再発していない。2018年に再び東京慈恵会医科大学附属病院に戻る頃には、院内の医師たちからも「アンブロック法で手術をしてほしい」と依頼されるようになっていた。
「それまで反対していた先生たちも、患者さんにより良い治療を提供したいという気持ちは同じ。これまで臨床を重視してきた慈恵だからこそ、アンブロック法の安全性や侵襲度の低さを評価してもらえたのだと思います」
長い伝統を塗り替えた瞬間だった。現在では、同院の鼻副鼻腔腫瘍の手術は可能な限りアンブロック法で行われている。