2つの術式を組み合わせて前代未聞の手術に挑戦
アメリカから帰国後、井上氏は前代未聞の手術に挑んでいる。これまでくも膜下出血を3回引き起こした患者で、脳底動脈先端部に動脈瘤があったものの他院では開頭クリッピング術ができず、血管内治療でコイルする処置が施されていた。しかし、4回目の動脈瘤の再増大があり、破裂を防ぐために開頭手術をしてほしいと紹介されてきたのである。
血管内治療をするためのステントを置く道筋はなく、繰り返す治療による癒着や大型化のため、開頭手術では脳幹とつながる血管を損傷するリスクがあった。もし血管を傷付ければ、患者は寝たきりになってしまう。開頭手術に熟達した医師でさえ、「やれることはない」と断言するような症例だった。
何か手立てはないかと上山氏に相談をすると、「ステントを置く道筋がないならバイパスをつないで道筋を作ってはどうか」と、思いもよらぬアドバイスをくれた。今まで誰もやったことがない手術だったが、自身の技術を冷静に客観視し、できると思った。
手術に向けて、脳内で何十回もシミュレーションを行う。これは井上氏の習慣である。頭を固定するためのピンを打ち込むところから、どこに手を添えて、メスはどのくらいの圧で持ち、どの層まで切るのか。全ての段階の動きを確認しながら、完璧に手術が完了するイメージが持てるまで繰り返す。手術をするときには、すでに頭の中で何度も手術が終わっているような状態だ。
そして迎えた手術当日。開頭手術で深部の血管をつなぎ合わせて迂回路を作ると、そのままアンギオ室に移動し、つないだばかりの血管を通してステントを留置し、動脈瘤にコイルを詰めた。朝10時にスタートした手術が終わったのは、夜の7時半だった。
ブリガム病院の恩師であるサルタン氏に手術の詳細を話すと、「そんな手術は聞いたことがない! バイパスをするだけでも大変なのに、それをツールとして使うなんて。お前にしかできない素晴らしい仕事だ」と絶賛された。手術を終えた患者は無事に退院し、4回目の破裂はいまだに起こっていない。
現在、同院の脳神経外科では年間500件の手術を行っている。チームのモットーは「世界最高水準を柏で」。井上氏が本気で目指しているのは、名戸ヶ谷病院で最強のチームをつくり、国内外から患者が訪れる世界最高水準の脳外科手術ができる病院にすること。そのためには、最良の医療を論文として発表し、優秀な人材を集め、高度な教育により開頭手術もカテーテル手術も“人類の価値”として伝承していかなければならない。それが井上氏の挑戦なのである。
「もしかしたら僕は失敗したことがないように見えるかもしれませんが、それは成し遂げるまで決して止めないからなんです。これからも、まだ誰もやったことがないことに挑戦していくつもりです」