総合的視点を持ち、クリニックで専門的な血液内科治療を提供 渡邉 健

医師のキャリアコラム[Challenger]

医療法人社団結心会 ハレノテラスすこやか内科クリニック 院長

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/田口素行 撮影/緒方一貴

大学病院や関連病院の血液内科で16年間培ってきた血液疾患治療と全身管理の経験を生かし、血液内科と総合内科を標榜するハレノテラスすこやか内科クリニックを開業。貧血や発熱の症状に隠れる重大疾患を見逃さず、専門的な治療に結び付けている。専門性の高い血液内科を身近なクリニックで診られることは、患者だけではなく大学病院や基幹病院の血液内科医にとっても大きなメリットがある。地域医療を支える臨床医として、血液内科の未来を変えようと挑戦する渡邉氏の信念と生き方に迫った。

最先端治療で患者を救う 夢のような血液内科を専門に

血液内科疾患について地域で気軽に相談できる場所をつくりたい――。

2019年、渡邉健氏は埼玉県さいたま市に血液内科クリニックを開業した。血液内科は内科の中でも専門性が高く、総合病院であっても科を標榜している数は少ない。全国的な血液内科医不足も課題であり、この科に通院する患者は遠方の病院や、混んでいる大学病院まで行かなくてはならず、負担が大きい。

「医療は社会インフラです。患者さんの負担をできるだけ減らし、最適な医療を安く提供する。それが僕のモットーです」

そう語る、渡邉氏の真っすぐな視線に迷いはない。その瞳の先に、血液内科の未来はどのように映っているのだろうか。

渡邉氏が医師になった2003年、血液内科は急速な発展の只中にあった。2000年に慢性骨髄性白血病の分子標的治療薬イマチニブが登場し、2001年には悪性リンパ腫の分子標的治療薬リツキサンが承認された。不治の病であった血液がんに光が差し込み、亡くなる患者は劇的に減った。東京医科歯科大学の内科で研修をしていた渡邉氏は、慢性骨髄性白血病が内服薬で寛解するのを目の当たりにして、大きな衝撃を受ける。

「最先端の治療によって、治せなかった患者さんをどんどん治せるようになる。そんな夢のような科に魅力を感じました」

血液内科の進歩は現在も著しく、最近ではCARーT細胞療法が登場するなど常に医療の最先端を走っている。

当時、研修医は雑用も全てこなし、連日病院で寝泊まりするようなこともよくあった。そんななか、40代前半の急性骨髄性白血病の男性患者を担当した。この患者から渡邉氏は医の原点を教えられる。患者は抗がん剤による骨髄抑制が続き、真菌感染症を発症したことで状態が悪化。輸血のオーダーを出していたが、忙しさに追われてそのことを本人に伝えていなかった。患者は悲しい目でこう言った。

渡邉先生のことはもう信用できない――。

「ハッとしましたね。患者さんとの間に信頼関係がなければ治療を進めることはできない。どんな状況にあっても患者さんと真摯に向き合い、誠実な医療を提供する。その大切さに気付かせてもらいました」

患者の妻のお腹には新たな命が宿っていた。白血病の化学療法は妊孕性を失うため、わずかな希望にかけて行った人工授精による妊娠だった。だが、患者は生まれてくる子どもの顔を見ることができなかった。患者の妻は渡邉氏に声をかけた。

「夫は、『この数カ月で渡邉先生はすごく成長した。研修医のなかで一番お医者さんっぽくなったよね』って言っていました。そして、『最期を渡邉先生に診てもらえて良かった』と」

そう言って頭を下げた。渡邉氏の頬を涙が伝った。

血液内科では劇的に良くなり完治する人もいれば、若くして亡くなる人もいる。医師は神ではない。闘いを挑んでも負け戦になるときがある。だからこそ「どう救うか」だけではなく、「どう最期を迎えるか」つまり、患者と家族にとって良い別れの時間をつくることも医師の重要な使命だということを知った。

渡邉氏はもう一つ、研修医時代に徹底して実践していたことがある。呼吸器内科の指導医であった倉持仁氏(現・インターパーク倉持呼吸器内科クリニック院長)からの教えだ。

「『奪い合うように多くの患者さんを診なさい』と言われました。診た数に比例して実力が伸びるのだと」

その後も、渡邉氏は立て続けに血液疾患の患者を担当することになり、その偶然に導かれるように血液内科へ進んだ。

研修後、東京医科歯科大学の血液内科に入局。外来では患者が途切れることなく、一日60人と、科の中でも最も多くの人数を診た。そんな日々のなかで、渡邉氏はふと疑問を感じた。本来、大学病院は教育や研究、高度な医療を提供する場所。しかし、医師たちは治療後のフォローなど、一般病院でも治療可能な患者対応に忙殺され、研究や論文執筆の時間もままならない。患者も丸一日休みを取って受診し、待合室で長時間待ち続けている。医師にも患者にも疲弊と憔悴があった。

「軽い症状の患者を逆紹介できる病院があれば解決できるのではないか」。その思いで、外勤先や関連病院の外来に患者を集めるように動いてみたがなかなかうまくいかず、渡邉氏の胸の奥には何とかせねばという想いが渦巻いていた。その想いが後の開業に踏み出す動機となる。

医療をもって社会に貢献する その信念と現実との葛藤

2013年、渡邉氏は特任助教として茨城県の病院へ移り、研修医教育も担当した。そこで出会ったあるベテラン医師の一言に大きく胸を揺さぶられる。その医師は強い信念を持った目でこう言った。

「医療をもって社会に貢献すること。それが医師の役割である」

自己実現のために臨床や研究実績を積み重ねるのではなく、社会貢献のために医療を行う。その壮大な信念は、自分が医師として歩むべき道を明るく照らした。だが、それによって目の前で行われている医療と、自分の想いとの間に生じた大きな乖離に悩むことになる。

この頃、血液内科ではハプロ移植の登場により、血縁者の移植適応が拡大され、次々と移植が行われていた。悪性リンパ腫には移植以外に放射線治療の選択肢もあるが、エビデンスやサイエンスが置き去りにされ、実績作りのための移植治療が行われているように感じたこともあった。移植後、すぐに再発して亡くなる患者もいた。

「移植以外を選択していたとしても、助かったとは思いません。ただ、移植による壮絶な闘いをしなくても、放射線治療で病状をコントロールしながら自宅で静かに最期を迎えることもできたはずです」

さらに大学病院では、病棟医長として指導する立場になっており、診療機会が減ってしまったことにも複雑な思いがあった。

「データだけを見て指示を出すのではなく、患者さんの顔を見ながら治療を行いたいと思いました。実際に会うとデータの見解とは異なることが多々あります。自分で診ずに指示を出すのは医師ではなく病気の解説者なんですよね」

こうした渡邉氏の医療の在り方に対する数々の思いと、医師として歩むべき生き方の結晶が、2019年に開業した「ハレノテラスすこやか内科クリニック」だ。

クリニック診療の限界に挑み 隠れた重症疾患を見つけ救う

開業地の埼玉は縁もゆかりもない場所。ここを選んだのは、人口に対する血液内科の医療機関が全国の中で最も不足している県であること、また、近隣に一般内科もなく、医療を必要としている地域であったためである。

クリニックでは血液内科と総合内科を診ている。コロナ禍では陰圧ブースを設置し、発熱患者を積極的に受け入れた。AI搭載検査機器や血液の迅速診断装置なども備え、血液疾患に対しては大学病院と同等レベルの検査が可能だ。その他、小児期に血液疾患治療を終えた患者の移行期医療にも力を入れている。

検査結果を迅速に伝えられることも特徴だ。例えば慢性骨髄性白血病は3カ月に1回受診し、検査による治療効果判定を行う。検査結果自体は1週間後に出るが、大学病院では3カ月後の受診時に伝えることがほとんど。その間、患者にとっては不安である。

「当院では結果が出たらすぐに連絡します。その際、結果の“解釈”も伝えることが重要です。例えばリンパ系腫瘍の診断に用いるIL-2レセプターの数値が250から300に上がっていた場合、患者さんは悪化したと捉えますが、変動範囲で問題はない。安心して過ごしてもらえるよう丁寧にお話しします」

このように渡邉氏は徹底的に患者のニーズに応えている。また他院から紹介された患者は“3回の受診で結果を出す”と決め、最短距離のゴールを目指した医療提供を行う。

さらに、より身近な医療を目指して、オンライン診療にも取り組み始めた。

「自分は血液疾患かもしれないと不安に思っている患者さん、そして血液疾患の診断に迷う医師が全国に多くいるはず。気軽に相談できる環境を整えたい」

そんな渡邉氏のクリニックによって救われ、また望む医療を叶えた患者は多くいる。

動悸によって他病院を受診していた70代の女性が、動悸が治まらないと渡邉氏の元を訪れた。診ると顔面蒼白で口腔内出血もあり、血液検査をすると白血球、赤血球、血小板の全てが減少していた。動悸の原因は再生不良性貧血だった。再生不良性貧血は急激に進行する。もし受診が一日遅れていたら、脳出血などによって命を落としていたかもしれない。

他には、急性骨髄性白血病を何度も再発し、免疫抑制中にムコール症(真菌感染症)に感染した患者がいた。この治療には深在性真菌症治療剤アムビゾームの点滴治療が必要だが、専門医療機関でしか行われていない。だが、患者は自宅に帰ることを強く希望していた。そこで自宅から近い渡邉氏のクリニックで点滴治療を行うことにした。薬剤を卸す業者によると、クリニックにアムビゾームを卸した例は全国でも初めてなのではないか、ということだった。

また、コロナ禍初期、ある患者は長引く発熱で5つの病院を回ったが、「発熱患者は診られない」と言われ、渡邉氏のクリニックを訪れた。診察すると、壊死性リンパ節炎と分かり、すぐに治療を開始した。その他、渡邉氏がコロナ禍で診た発熱患者には腎盂炎、細菌性肺炎、髄膜炎の患者もいた。

立ちくらみなど、貧血を疑い受診する患者も多くいる。ある患者の立ちくらみの原因を鑑別していくと、貧血でも起立性調節障害でもなく、咳が出ない“隠れ喘息”であることが分かった。喘息の治療によって患者の症状は治まった。隠れ喘息の知識がなければ決して鑑別に挙がることはなく、患者は原因不明の立ちくらみに苦しみ続けていただろう。

血液内科医が地域医療で貢献できることとは

渡邉氏は、移植後、免疫機能の低下した患者に各種予防接種を行っているが、その価格に利益は乗せていない。全ては患者のためである。

「経営者なのに利益のことを考えていなくて。日曜日には勉強もかねて、倉持仁先生のクリニックへ診療応援に行っているのですが、いつも『経営は大丈夫なの?』って心配されるんです」

そう言って渡邉氏は大きく笑った。

クリニックで血液内科疾患を診ることは、患者だけでなく、大病院に勤務する血液内科医にも大きなメリットがある。大学病院や基幹病院に勤務する医師にとって、症状が安定した患者を逆紹介できる施設があれば、重症度の高い患者を診たり、研究に時間を費やしたりと、本来の業務に集中できる。実際、渡邉氏の元には逆紹介患者が増えている。他科のかかりつけ医にとっても、身近に血液疾患の疑いがある患者を紹介できるクリニックがあることは心強い。こうした流れが広がれば、各医療機関や医師たちの強みが最大限に発揮され、多くの患者に最短距離で最適な医療を提供できるようになり、救える患者も増える。やりがいを追求できる環境整備により、血液内科に進む医師も増えるだろう。そうした理想の医療を広げていくことは渡邉氏の壮大な挑戦である。

「僕一人の力で変えることは難しいです。でも、クリニックで血液内科を受診できることや、こうした医療のカタチがあることを、一人でも多くの患者さんや血液内科の先生たちに知ってもらい、全国へ波及するきっかけになれば嬉しいですね」

どんなに小さな一歩であっても、その一歩がなければ世界を変えることはできない。渡邉氏の一歩は、患者も医師も幸せにする大きな一歩なのだ。

医療は社会インフラである。その揺るぎない信念を宿した渡邉氏の視線の先には、多くの患者やその家族、そして医師の幸せな未来が映っている。

P R O F I L E
プロフィール写真

医療法人社団結心会 ハレノテラスすこやか内科クリニック 院長
渡邉 健/わたなべ・けん

2003 鹿児島大学 医学部 卒業/東京医科歯科大学医学部附属病院 内科研修医
2004 横浜赤十字病院内科 研修医
2005 横浜市立みなと赤十字病院 内科/東京医科歯科大学 血液内科 医員
2006 国家公務員共済組合連合会 横須賀共済病院 血液内科 医員
2008 東京医科歯科大学 血液内科 医員
2013 東京医科歯科大学 血液内科 特任助教
2014 都立駒込病院 血液内科 医員/東京医科歯科大学 血液内科 医員
2015 東京医科歯科大学 血液内科 助教
2019 ハレノテラスすこやか内科クリニック 開院

所属・資格

日本内科学会(認定内科医)
総合内科専門医
JMECC インストラクター
日本血液学会(血液専門医・指導医)
日本がん治療認定医機構(がん治療認定医)
臨床腫瘍学会
血液疾患免疫療法学会

専門

総合内科、血液がん(白血病・悪性リンパ腫・多発性骨髄腫)、自己免疫疾患、貧血

座右の銘: 油断大敵、初心忘るべからず
愛読書: 『7つの習慣』 スティーブン・R・コヴィー 著、『2020年6月30日にまたここで会おう 瀧本哲史伝説の東大講義』 瀧本 哲史 著
影響を受けた人: 佐々木 宏治先生(MDACC)、倉持 仁先生、豊田 茂雄先生(横須賀共済病院)
好きな有名人: 落合 博満、中田 英寿
マイブーム: ハヤトの野望(YouTube)、Kindleで読書
マイルール: 診断書は頼まれた日に絶対書く
宝物: 家族

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2024年6号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。