“自分らしく生きて自分らしく死ねる世の中をつくる”在宅医療の改革者 安井 佑

医師のキャリアコラム[Challenger]

医療法人社団 焔(ほむら)理事長/TEAM BLUE 代表

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/佐藤恵 撮影/緒方一貴

2030年には47万人の「看取り難民」が発生するといわれている。2012年度の内閣府の「高齢者の健康に関する意識調査」によると、人生の最期を自宅で迎えたいと希望する人が55%いるのに対し、実際には73%が病院で人生を終えているという。そんな現状を打破するため、医療法人社団焔の理事長である安井 佑氏は、東京の板橋区、練馬区を中心に在宅医療のしくみづくりを行ってきた。在宅医療を行う「やまと診療所」を中心に、「おうちにかえろう。病院」「おうちでよかった。訪看」「TEAM BLUEリハビリテーション」「ごはんがたべたい。歯科」の各組織は、「TEAM BLUE」として地域の人たちの生を支え、死を支えている。診療所開設から11年目の"現在地"について、安井氏に伺った。

医療者も患者も変わるような「世の中をつくる」ことへの思い

TEAM BLUEの嚆矢(こうし)であるやまと診療所の理念は、「自宅で自分らしく死ねる、そういう世の中をつくる。」だ。安井氏は、これまでも折に触れて「つくる」という言葉で思いを発信してきた。なぜ、「世の中を変える」「医療を変える」ではなく「つくる」なのか。

「既存の枠組みの中では、経験と実績を積み重ねてきた医師の世界を変えるのは難しいという思いが、最初からありました。もともと、『変える』より『つくる』方がワクワクするし、好きなんですよね」

この国では、EBM(根拠に基づいた医療)を患者に届けることは十分に達成されている。戦後の焼け野原から、高度経済成長を経て医療は発展し、病院数も増加。人口1,000人当たりの病床数は13床と世界一だが、目的は“病の完治”。しかし超高齢社会に突入している今、完治を目指すのではなく、病と共に生きざるを得ないのが現状だ。医療のシステムエラーを危惧する安井氏は、ソーシャルワークとしての医療の必要性に行きついた。

「インフォームドコンセントは、いわばソーシャルワーク1.0。医療者が説明をして患者の同意を得る段階ですね。ソーシャルワーク2.0は、患者さんにとってより良い選択肢を提示してナビゲートする段階。それでもまだ主語は医療者です。私たちが在宅医療でやっているのはソーシャルワーク3.0、つまりエンパワーメント。人生の最期を迎えようとしている方たちの幸せを最大化するためには、彼らの意思を引き出すこと、彼らをエンパワーすることが重要なんです。ここでは、医療者と患者さんとの関係性は5:5です」

患者の「意思」とは、「病を持った状態でどう生きたいか」、そして「自分らしく死ぬとはどういうことか」だ。ただ、「人生の最期をどんなふうに生きたいですか?」と聞かれて即答できる人はほとんどいない。死が生活から切り離されて“箱”に入れられ、生死に関わる主体性を失うことに慣れてしまっているからだ、と安井氏は言う。

「『先生、一番いい医療を提供してください』と医師に全てを委ねるのは、自分の人生を手放しているのと同じ。病気でも、痛みがあっても、こんなふうに生きたい、と決められるのは、本人と家族だけです。そこを医療者と患者さんが一緒につくっていくという点で、エンパワーメントなんです」

エンパワーメントに必要なのが、「会話」であり「問い」。問いを重ねることで生まれる、会話という往復運動の中から「これかもしれない」という答えを浮かび上がらせる。それが、ソーシャルワーク3.0の医療なのだ。

「医療者も患者さんも、意識をガラリと変えなくてはいけない。そういう意味でも『世の中をつくる』なんです」

非健康寿命を全うするには“患者に寄り添う仕事”が必要

2000年、厚生労働省による「健康日本21(第一次)」の最大目標として「健康寿命の延伸」が掲げられた。そこから、「健康寿命」を全うする「ピンピンコロリ」が、高齢者の理想の姿として人々の脳裏に刻まれるようになる。

現実的には、健康寿命の終わりから死までは平均8年。安井氏は、人の手を借りなければ生活できないこの期間を「非健康寿命」と呼んでいる。

「非健康寿命について考えたくない、見たくないというのが、人々だけでなく政府の頭にもある。でも今の時代は、非健康寿命をどう生きるかが社会課題であるはず。家族に迷惑を掛けたくないから老人ホームに入りたい、最期まで家族に面倒を見てもらいたい、医療の力でできるだけ長生きしたいなど、いろんな考えの人がいます。そんな多様性を尊重するためには、まず『非健康寿命』を認めて議論するべきなのです」

その議論の核となるのは、患者さんの「どう生きたいか」や「自分らしさ」。しかし、“ゼロリスク志向の時代”にあって、「自分らしさ」を通すのは難しい。「何かあったらどうするの?誰が責任を取るの?」というパワーフレーズが立ちはだかるからだ。

「たまにしか会わないような親戚からそう言われると、とたんに安心安全に舵を切りたくなってしまう。でも非健康寿命の議論の中では、『“何かあったら”を優先することで失われるものって何だろう』と問わないといけない。それが、地域の中で自分らしく生きて死ぬということなんです」

安井氏によると、在宅医療において医療の比率は2割、あとの8割は患者、家族、医療・福祉サービススタッフとの連携や調整、つまり「患者に寄り添うこと」が占めているという。技術職である医師や看護師が調整役まで担うのは、負荷が大きすぎる。そこで独自に生み出したのが、患者に寄り添うスペシャリストとしての「在宅医療PA」だ。PAとはPhysician Assistantのことで、アメリカでは医療行為を行う国家資格として知られている。それをベースに安井氏の定義する在宅医療PAの役割は、(1)医師のアシスト (2)意思決定支援 (3)環境調整の三つ。やまと診療所では医師1人、PA2人の計3人で在宅医療を行う。PAは車を運転し、患者宅ではカルテの記入や医療器具の準備を行いながら、患者や家族とのやりとりを記録する。医師が診察をしている間、患者の様子を注意深く観察することでちょっとした変化に気を配り、家族との何げない会話の中から課題や要望を探り当て、キャッチした情報を診療後に医師と共有する。選択と集中による診療業務の効率化を遂げたことで、医師1人当たりの1日の診療件数を1.7倍にすることができた。

「医療関係者が視察に来ると、『皆さん、仲がいいですね』と驚かれます。移動の車内でベテランのドクターと若いPAが対等に話しているんですけど、話題はほとんど患者さんのこと。われわれはあらゆるところで患者さんについての会話・会議をしているので、フラットに仕事の話をする文化が根付いている。チームの絆はどんどん強くなっていると思います」

みんなで考えてみんなで決める 在宅医の養成にチャレンジ

在宅医療PAの育成期間は約3年、4段階のステップに加えOJTとOFF-JTをプログラム化した指導を行っている。フォーマット化できないPAの仕事を因数分解して整理し、暗黙知を言語化することで、再現性の高いプログラムを編み出した。その肝は何かと聞くと、「部活理論です」という意外な答えが返ってきた。

「大学時代、関東大会で9連覇している少林寺拳法部に入ったんです。強豪校には勝つためのカルチャーがあって、引き継がれる言葉がある。学年ごとに明白な力の差があり、上が下に教えるという役割分担がきっちりできている。また、縦と横のつながりがあるので、壁にぶつかったときに救い上げてもらえる。TEAM BLUEでは『信』を中心にカルチャーをつくり、少林寺拳法部の理論を応用した育成のしくみをつくっています」

3分の2は異業種からの転身というPAの育成は今年で9年目。TEAM BLUEを「人材育成企業」と自任する安井氏が、今年4月から新たに始めたのが「在宅医養成コース」。テーマは「みんなで考える医師になる」。その対義語は「一人で決める医師」だ。

「EBMの中では、一人で決めるのが医師の仕事。ですが、在宅医療では、みんなで考えてみんなで決めなくてはならない。この切り替えは、とても難しいんです」

安井氏の目指す「世の中づくり」を実現するには、多くの人を巻き込む必要がある。しかし、“一人で決める”文化の中でキャリアを積んできた医師がやまと診療所で在宅医療を始めると、“みんなで考える”文化に強いギャップを感じ、離脱してしまうケースが少なくない。ならば、“みんなで考える”文化の中から体系的に在宅医を育てるしかない――。そう思い立ったのは、開業から10年目の春だった。

「教育には時間がかかるので、今の時点での手応えは未知数ですが、患者さんの視点に立つ医療に関心を持つ若手ドクターが増えてきた実感はあります」

「スレスレのキワキワのヒヤヒヤ」で開院した奇跡の120床

今回、取材のために伺ったのは、地域包括ケア病棟の「おうちにかえろう。病院」。2021年度の在宅復帰率は93%。患者自身が「おうちにかえろう。」という気持ちになるための場だ。

安井氏は「初めは病院を持つつもりはなかった」と言うが、在宅医療が軌道に乗った7年目に転機が訪れる。在宅で診ている患者さんが急性期病院に入院すると、その後自宅に戻れなくなるケースが相次ぐようになったのだ。

「それなら、自分たちで病院を持とう」

と、病院開設に踏み切った……ものの、土地の確保から病床権の取得、資金はどうするか、人員は集まるかなど、課題は山積。それらが全てクリアになり、120床で開設できたのは奇跡だった。

「スレスレの、キワキワですり抜けられたことがたくさんある。もう、ヒヤヒヤでしたよ(笑)。ゼロから始めて120床確保できるなんて、日本の医療の歴史にないことですから」

2021年4月、「おうちにかえろう。病院」は地域包括ケア病床80床からスタート。急性期治療を終えて自宅に帰るまでの準備を必要とする「ポストアキュート」、自宅で生活していて状態が悪化し治療を必要とする「サブアキュート」、家族の休息のために入院する「レスパイト」、十分に自宅で生活し最期に入院を希望する「ターミナル」の患者が対象だ。

入院治療が目的の病院ではなく、かといって医療から距離のある自宅でもない。どちらでもないが、どちらでもある“踊り場”のような位置付け。「どんな病院をつくるか」ではなく、「自分たちがつくりたい病院は、患者さんにとってどんな存在(場所)でありたいか」から徹底的に議論を重ねた。

「患者さんは、急性期病院から退院したときに『追い出された』って言うんです。それは、病気の不安を抱えたままだから。病院から自宅に帰るまでに、いったん不安を受け入れることが必要なんですよね。だから、踊り場みたいな曖昧な場所で、自分なりの過ごし方ができるような、濃淡のある空間づくりを意識しました」

開院半年で早くも単月黒字化を達成、1年がたったころには思い描いた医療を実践できるようになった。しかし、2年目に入って試練に直面する。看護師の離職ドミノが起きたのだ。

「熱い思いを持って来てくれた人たちですが、新しい文化に慣れるには時間がかかる。いい会話がたくさん行われているところで人は育つのですが、いい会話ができる人の数が十分ではなかった。さまざまな不安や不満が生まれ、それを吸収できないまま進んでしまったんです」

現状分析と原因究明に当たり、早急に対策を打つことで2年目の終わりにようやく状況が好転し始めた。3年目に入った今年度末には、120床のうち9割を稼働させる道筋が見えているという。

地元住民のマインド形成をし地域医療の“メッカ”にする

やまと診療所開設から10年。在宅で診る患者は約1,100人、年間約500人を自宅で看取っている。常勤医師は15人、非常勤医師が約30人、職員全体で約400人に上る。「今関わっている患者さんたちに対しては、ソーシャルワーク3.0ができている手応えはある」と語る安井氏。まずは、本拠地である板橋区を地域医療のメッカにすることが目標だ。

「地域医療では、医療者、介護従事者、暮らす人たちも含めてマインド形成をする必要があります。それが『地域づくり』であり、『世の中をつくる』ということ。この地域で、安心して最期まで生きられるという事例を、誰の目にも分かりやすい形でつくりたい」

個人的な目標は、40歳から通い始めた体操教室で「側転・バク転・バク宙」の連続技ができるようになること。「『キャプテン翼』の翼くんが、バク宙してオーバーヘッドシュートをするのに憧れて」と、マンガ好きな一面をのぞかせた。医療も趣味も、オーバーヘッドな目標に向かって突き進んでいく。

P R O F I L E
プロフィール写真

医療法人社団 焔(ほむら)理事長/TEAM BLUE代表
安井 佑/やすい・ゆう

1980 東京都新宿区生まれ
2005 東京大学医学部卒業、国保旭中央病院にて初期臨床研修
2007 NPO法人ジャパンハートに所属し、ミャンマーで約2年間国際医療支援に従事
2009 杏林大学病院 形成外科
2011 東京西徳洲会病院 形成外科
2013 板橋区高島平に「やまと在宅診療所 高島平」を開設
2014 在宅医療PAを導入
2015 医療法人社団 焔を設立。診療所の名称を「やまと診療所」に変更
2019 訪問看護・訪問リハビリテーション事業を開始
2020 「TEAM BLUE」を発足
「おうちでよかった。訪看」「ごはんがたべたい。歯科」開設
2021 「おうちにかえろう。病院」を開院
座右の銘: Where there is a chance, dare to be a leader.
愛読書: 『チンギス紀』(北方 謙三)、『ワールドトリガー』(葦原 大介)
影響を受けた人: 吉岡 秀人(NPO法人ジャパンハート最高顧問)
好きな有名人: イヴォン・シュイナード(Patagonia創業者)
マイブーム: 身体能力向上
マイルール: stay fresh
宝物: 仲間

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2023年10号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。