外傷治療のレベルアップを目指し、情熱を燃やす若きリーダー 乾 貴博

医師のキャリアコラム[Challenger]

帝京大学医学部附属病院 外傷センター/帝京大学 医学部 整形外科学講座 助手

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/緒方一貴

整形外科の手術の約40%を占めるのが、骨折を中心とする外傷の手術。しかし、それだけ多くの割合を占めるにもかかわらず、日本では「外傷治療は若手が行うもの」とされており、まだまだ専門性が確立されているとはいえない。そうした状況に危機感を抱き、外傷治療のレベルアップに熱意を燃やしているのが、整形外科医の乾 貴博氏である。わずか13人で始めた勉強会「JOIN Trauma」を、日本骨折治療学会の委員会にまで成長させ、骨接合術の術前計画の立て方を教える「骨折予備校」を立ち上げるなど、若手整形外科医を巻き込みながら外傷治療の専門性確立のために奔走する。そんな氏の活動を追った。

諸外国から遅れる日本の整形外科・外傷治療の現状

外傷の治療は若手が行うもの――。

「整形外科では、人工関節や脊椎の治療が専門性の高い分野として位置付けられている一方で、骨折の治療は経験が浅い医師でもできる初歩的なものだと考えられています」

そう話すのは、外傷治療を専門とする整形外科医、乾 貴博氏。外傷治療には主に2種類あると説明する。一つはいわゆる救急でイメージされるような包括的な外傷を扱う分野で、もう一つは胸・腹以外の首から下全部を扱う整形外科の外傷分野である。

「日本では、整形外科での外傷治療が海外に比べて遅れをとっているのです」

欧米や韓国などでは、整形外科医に手術をするための専門資格が必要で、外傷学を体系的に学んだ医師が治療を行っている。

日本では、外傷治療を専門とする整形外科医が少ないことで、どんな問題が起こっているのだろうか。

「一番の問題点は、救急医療の現場で連携が取れていないことです。救急医がまず優先するのは蘇生です。例えば、命に関わる大腿骨の骨折などは早急に治療が行われますが、手首や足首の骨折であれば、その他の重篤な症状の治療が優先され、骨折の治療が数週間も放置されてしまうことが少なくありません」

救急医との連携が取れずに外傷治療が遅れれば、機能が回復できない外傷後遺障害を残してしまうこともある。

「一度変形してしまった関節や骨を元の状態に戻すのは、非常に難しい。でも、搬送された時点で可能な処置を施せば、機能を失わずに済む可能性が高まります」

救急医療の現場に外傷を専門とする整形外科医がいれば、どの順番でどの治療を行うかを救急医と連携しながら、蘇生と機能回復のための処置を同時に進めることができる、と乾氏は説明する。

多様なスキルが求められる 実は専門性が高い領域

そうした連携体制を実現させているのが、現在、乾氏が勤務する帝京大学医学部附属病院の外傷センターだ。2009年に大学病院では全国初となる外傷センターとして開設され、整形外科医が20人体制で年間約1,000件の外傷手術を行っている。同センターでは、変形治癒や偽関節などの治療で、他の病院から再建手術の依頼を受けることも多い。

乾氏は週1回、外傷センターの外来を担当し、それ以外はチームリーダーとして手術と病棟を担当。外来がある日の午後は研究に充てている。比較的簡単な手術は後輩たちが執刀できるようにサポートし、自身は脊椎や骨盤の外傷、関節内骨折といった難度の高い手術を集中的に手掛けている。

「外傷治療には、救命、救肢、機能再建、皮弁移植などの形成外科的な技術、リハビリ、後遺症のケアなど多様なスキルが求められます。外傷医と名乗るからには、それら一通りの知識は持っていなければならないと思っています」

乾氏はそうした知識やスキルを、どのように身に付けていったのだろうか。

整形外科医の道を選択したのは、大学時代の自身のケガがきっかけだった。テニス部に所属していた乾氏は、肩を脱臼し、二度の手術を経験した。その主治医の治療やリハビリには、「体の機構をどう再建するか」を根本から考えていく視点があった。

「自分の体の変化を通して、うまく再建できれば、ケガをする前よりも身体機能が高まることを知りました」

当初はスポーツ整形外科医を目指したものの、もっと広い範囲を診られるようになりたいと、ケガ全般について学ぶことを決意する。そこで目に留まったのが、札幌徳洲会病院だった。

「ケガを専門的に診る整形外科外傷センターがあり、皮膚や筋肉をほかの部位から持ってきて移植を行うような重度外傷が多く集まってくる病院でした」

同センターは、二次救急病院でありながら重度四肢外傷にも対応できる体制を整えており、近隣の三次救急病院から局所的に重症なケガを負っている患者が搬送されてくることもあった。とにかく症例数が多く、乾氏は赴任していた2年間で骨折の手術だけでも300例は経験している。当時、まだ医師になって3年目だった。

「血管の付いた皮膚を移植する皮弁手術も執刀させてもらいました。外傷治療に必要な技術はもちろん、急診、骨折治療の基礎はここで叩き込まれました」

全国から学びに来ていた医師たちの中には、後に帝京大学医学部附属病院で共に働くことになる松井 健太郎氏もいた。

「松井先生とは、日本で外傷治療の専門性を確立するためにどうすればよいか、当時からずっと話をしていました。二人でよく飲んでいたのですが、飲みの場でもその話ばかり(笑)。それで立ち上げたのが『JOIN Trauma』という団体です」

治療のレベルアップを目指して「JOIN Trauma」を結成

JOIN Traumaは、松井氏が発起人となり、「外傷治療を学びたい」と、熱い想いを持って集まった13人の若手整形外科医によって結成された。

「整形外科医が扱う外傷は、胸・腹以外の首から下全部が対象で範囲が広いため、一人で論文を網羅するのには無理があります。そこで、メンバーで分担して前年に発表された文献をレビューし、情報共有しました」

2013年からは骨折治療学会の前日に「Fracture meeting」と称して勉強会を開催するようになり、わずか数年で300人が集まるまでになった。そうした活動は日本骨折治療学会でも評価され、2020年には「骨折OTAKU」と名称を変更し、学会内のシステマティックレビュー委員会として組み込まれた。今後、委員会では大腿骨頚部・骨子部骨折のガイドライン作成にも携わっていく予定だ。

JOIN Traumaの活動の一環として、2014年に乾氏が立ち上げたのが「骨折予備校」である。これは、骨接合術の術前計画を実例に基づいて学ぶことのできる講習会であり、全国各地で延べ40回以上開催している。

「骨折の治療では、術前計画が実践できていないケースが多くあります。その理由には、やり方が教科書にも書いておらず、具体的な術前計画の立て方を教わる機会が少ないこと、また、そもそも教えられる指導医も少ないという背景があります」

骨折予備校では、骨折に対して、必要な解剖学的知識を得て、機材を準備し、整復固定の方法を決め、術中に困ったことが起きたらどうするのか、という術前計画に必要な考え方を一般化した統一フォーマットを使用しながら指導している。乾氏が一から教材を作り、JOIN Traumaのメンバー全員が同じクオリティーで講義ができるようにシステムを作り上げた。術前計画の立て方は、外傷治療に必要な知識として、全ての整形外科医が身に付けておくべきだと乾氏は考える。

「現状、外傷治療は『若手が行う(簡単な)もの』と認識されている中で、すぐにその仕組みを変えるのは難しいでしょう。それならば、せめて外傷治療を任せられる後輩たちが正しく骨折の治療ができるように教育していくのが私の役割だと思っています」

外傷治療の専門性確立のために研究やレジストリ構築に尽力

JOIN Traumaの活動と並んで乾氏が力を入れているのが研究である。日本で外傷治療の専門性を確立させるためには、研究で成果を上げ、大学にポジションを作ることが大前提だからだ。「臨床で生まれた疑問を研究で解決していきたい」という臨床研究医としての思いもある。

乾氏は、最新の研究で「髄内型整復はカットアウトのリスクを高める」ということを発表した。大腿骨転子部骨折の手術において、術中透視装置で側面から見た大腿骨頚部前内側部分の整復位として、髄内型・解剖型・髄外型がある。近位の骨皮質が骨幹部の骨皮質の中に入り込んでいるものを髄内型、解剖学的な位置にあるものを解剖型、逆に出ているものを髄外型と分類する。髄内型では体重をかけると、近位の骨皮質が入り込んでしまい、骨折部を固定した金属が飛び出してしまうカットアウトが増えるのではないかと、日本の整形外科医の間では「暗黙の了解」として周知されていたものの、これまでデータで根拠が示されていなかったのである。

乾氏は2,000人のデータを基に特殊な手法で観察研究を行い、髄内型ではそれ以外の方法に比べてカットアウトの発生確率が高くなることを明らかにした。

この研究で、乾氏は2021年の日本骨折治療学会学会賞を受賞。2023年には、整形外科医が論文投稿を目指す世界的に権威のある雑誌『Clinical Orthopaedics and Related Research』に論文が掲載された。実は掲載にこぎつけるまでには苦労もあったという。

「欧米ではそもそも『髄内型』『髄外型』という概念がなく、はじめは『意味が分からない』と言われてしまって。レビュワーとエディターからは100カ所以上のチェックが入りました」

日本では術中に大腿骨の頚部軸に対して、正面・側面・斜めの3方向から画像を撮影するが、欧米では正面・側面の2方向からしか観察しておらず、相違が生じていたのである。欧米では、骨片同士の3次元的な接触方向を正面の画像だけで判断していたため、斜めの角度から見なければ区別できない髄内型・髄外型は、そもそも認識されていなかったのだ。

今回の乾氏の発表で髄内型のリスクが明らかになったことで、今後、欧米でも3方向式が取り入れられるようになるかもしれない。

さらに、現在、乾氏が取り組んでいるのが、整形外科外傷のレジストリ構築である。整形外科外傷領域では、これまで治療データが蓄積されていないことが大きな問題の一つになっていた。外傷手術による機能予後や生命予後、合併症の発症など、治療結果の体系的な記録がなく、その後の治療に生かされていなかったのである。

2020年、乾氏は帝京大学医学部附属病院外傷センターで入院患者のデータを登録するシステムを導入し、順次、関連病院にも広げていく計画だ。レジストリが構築されれば、エビデンスに基づいた治療を行うことができ、外傷治療の発展にもつながる。

手術で大事なのは「考える力」 女性医師も活躍できる

2016年には1年間の国内留学をした乾氏。「命に関わるような激烈な外傷治療をしたい」という思いで、埼玉医科大学総合医療センターへ。脊椎・脊髄の損傷や、重度の交通外傷、ドクターヘリで運ばれてくる滑落事故の負傷者など、救命医と協力して治療に当たらなければならないような症例を数多く経験した。

そのような経験を生かし、現在、外傷医として後進の指導に力を入れる乾氏の下には、全国から若手医師が集まって来る。かつては、整形外科は男性医師ばかりというイメージがあったが、女性医師の数も増えているという。

「もちろん力が必要な手術もありますが、それは周囲の協力で補える。手術で最も大事なのは、考えること。私自身、どんどん後輩に手術を譲っているので執刀数は減っていますが、難しい手術では一つ一つの動作について考え尽くすので、今もスキルは上がっていると感じます」

乾氏にとって外傷治療の面白さとは――。

「やはり手術が好きなんです。症例によって全然違うので、外科医として飽きることはありません。特に関節内骨折のような難しい手術で、ピタッと元通りに戻せたときにはたまらなく嬉しいですね」

そして何より、と乾氏は付け加える。

「外傷治療は学問としてまだまだ分からないことだらけ。若い医師たちが活躍できるブルーオーシャンが広がっています」

P R O F I L E
プロフィール写真

帝京大学医学部附属病院 外傷センター/帝京大学 医学部 整形外科学講座 助手
乾 貴博/いぬい・たかひろ

2009 京都大学 医学部 卒業、神戸市立西神戸医療センター 初期研修
2011 札幌徳洲会病院 整形外科外傷センター
2013 帝京大学 医学部 整形外科学講座 助手
2015 埼玉医科大学 総合医療センター 高度救命救急センター、総合南東北病院 外傷センター
2016 埼玉医科大学 総合医療センター 高度救命救急センター、帝京大学大学院
2017 京都大学大学院 医学研究科 社会医学系専攻 医療疫学分野
2018 帝京大学大学院
2020 帝京大学 医学部 整形外科学講座 助手、帝京大学医学部附属病院 外傷センター

受賞歴

2016 第42回 日本骨折治療学会 学会賞
「頚椎脱臼に伴う完全麻痺患者に対する早期整復は神経学的予後を改善する」
2021 第47回 日本骨折治療学会 学会賞
「髄内型整復はカットアウトのリスクを高める:多施設共同コホート内ケースコントロール研究」
座右の銘: 人生の扉は他人が開く
愛読書: SLAM DUNK(テニス部ですけどね)
影響を受けた人: 今まで出会った気持ちのアツい人みんな
マイブーム: 日本酒のジャケ買い
マイルール: 日本酒は4合2,000円未満、スペックにはこだわらない
宝物: 家族

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2023年11号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。