二度の「洪水」を乗り越え タフなチームに気付いた
院内連携もさることながら、最も苦労したのが院外連携である。山上氏が部長に就任してから10年あまり、“オール神奈川プロジェクト”の名の下、体制作りを進めてきたが、当初はイニシアチブを取れるような立場ではなかった。
「救急調整室を発足させたころ、大淵先生たちと近隣の病院に一件ずつ挨拶に伺いました。当院が医師会に入ったのが2018年と比較的最近で、そこから少しずつ連携の輪が広がり始めました」
湘南ERでは夜中に複数台の救急車を同時に受け入れることも日常茶飯事である。ある冬の日の深夜2時、満床で30人近くの患者が入院待機をしている中、二次救急の病院に圧迫骨折の患者の受け入れを依頼した。すると「緊急性がないのに、どうしてこんな時間に――」という反応が返ってきた。
「その患者さんは家に帰せない、でも次の患者さんのために一床でも空けたい。他院では他の地域から来ているアルバイトの先生が当直をしていることもあり、こちらで何が起こっているのかが分からない場合もあります。その都度転送先の責任者に電話でお願いし、理解を得るよう努力しています」
そんな草の根運動を続けていると、期せずして潮目が変わった。働き方改革によるマンパワー不足から救急車の受け入れが困難になった病院から、湘南ERで診断のついた患者の転送を積極的に受け入れたいと依頼が来るようになったのだ。
「嬉しいことに今年の4月には、近隣の3院から転送を受け入れたいとの申し出がありました」
救急を縮小すれば入院治療につながらず、収益の低下につながる。湘南ERからの急性期入院を受け入れることで、経営的なダメージを抑えたいという思いもあるのだろう。
「救急はシステムであり役割分担ですから、こういった連携で全ての患者さんがスムーズに治療を受けられることが理想です」そう語る山上氏の一貫した思いにはいつもブレがない。
ここ数年、湘南ERの受診者数は毎年約1万人ずつ増加しているが、「断らない救急」を標榜する以上、患者の受け入れを制限するつもりはない。本田技研工業創業者の本田 宗一郎氏はキャパオーバーの状況を「洪水」と表現したが、救急医療の現場で「洪水」が起こるのは多くの場合、感染症のパンデミックの時だ。湘南ERの「洪水」経験としてまず挙がったのは、2013年のインフルエンザの大流行だった。
「1日400人ほどが来院して、トリアージできていない患者さんが60人も待つような状態でした」
もう一つは、記憶に新しい新型コロナの大流行だ。敷地内にプレハブの発熱外来と仮設の専門病棟に180床を設置し、地域の医師たちの力も借りながら病院一丸となって全ての患者を受け入れた。
「非常時に何が必要か、何ができるかは、その時になってみないと分からない。でも、今ある人的資源や医療資源でできることを確実にやっていくという“姿勢”さえ持っていれば、どんな洪水があっても乗り越えられると思っています」
二度の「洪水」を経て、チームがタフになったのでしょうか?と聞くと、山上氏はこう答えた。
「スタッフみんなが精神的にも肉体的にも“タフだった”ということに気付きました。普段から必死に救急医療に取り組んできた経験が力として蓄えられていた。自分たちのやってきたことは間違っていなかったと分かり、チームの自信につながったと思います」