応需率100%を追求、搬送件数日本一のERを率いる救急医 山上 浩

医師のキャリアコラム[Challenger]

湘南鎌倉総合病院 副院長/救命救急センター長

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/佐藤恵 撮影/皆木優子

年間総受診者数6万7200人、救急搬送2万2300件。応需率100%を追求する。湘南鎌倉総合病院の救命救急センター、通称「湘南ER」は、正真正銘「最後の砦」だ。病院全体がERとして機能し、近隣病院との連携も含めた持続可能な救急医療のしくみを作り上げている。その盤石な砦を率いるのが、副院長であり救命救急センター長の山上 浩氏。院内外との連携構築、完全3交代制の確立、救急ゼネラリストの育成に力を注ぎながら、一刻を争う臨床の最前線に立ち続けている。自らを「凡人」と称し、「ブラックジャックは夢物語」と語る現実的なリーダーの「断らない救急」への強い思いと、日本一の救急医療を作り上げるまでの道のりを聞いた。

初療を担い診断をつけ 治療の端緒を開く

湘南ERでは救急は“システム”であるというポリシーのもと、看護師によるトリアージを経て医師が初期診療し、必要な処置をして専門診療科につなぎ、状況に応じて転院搬送を行っている。複雑に絡み合う院内外の連携をスムーズに行うハブの役割を果たしているのが、救急救命士で組織される救急調整室だ。同院が救急救命士を初めて採用したのが2011年。前部長・大淵 尚氏と幾度となく議論を重ねたうえでの決断だった。

「当時、救急搬送はすでに1万件を超えていましたが、ホットラインの応答から入院手続き、転送先との交渉まですべてを医師が行っていた。救命士の採用で、それらの多くをタスクシフトできました」

山上氏いわく、多くの病院における救急のボトルネックは初期診療。「断る」か「断らない」かは、空き病床数だけでなく、初療の可不可に負うところも大きいと言う。

「初療はリスクが高く、検査体制も人手も必要。それに、必ずしも初療を担える専門科の医師がいるとは限らない。湘南ERでは常時、引き受けできる体制を整えています」

通常は、診断がつかない患者は診療科が確定できず入院手続きを進めるまでに苦慮するが、同院には総合内科や一般外科で必ず引き受けてくれるサポート体制がある。それも「断らない救急」を支える大きな要素だ。しかし、救急患者の増加により入院患者が増えれば、当然各科の負担は増える。救急からの一方向的な“頼みごと”は連携を危うくすると考えている山上氏は、他科との業務バランスをうまく取るよう心掛けている。

「時間外に来た新患や退院直後の患者さんはまず救急医が診察します。夜中は緊急対応が必要なければ入院指示代行入力をするなど、他科の負担軽減を図っています」

それでもなお、ERと各診療科の間でそごが生じることもある。その最たる原因は、病床数の問題。全件応需とはいえ、満床時に救急患者を受け入れたら別の緊急手術が行えない可能性がある。救えるはずの患者が救えなくなるかもしれない。病床数が確保できない状況下で受け入れるのは無責任ではないか――。その意見について山上氏は、「ある意味正しく、ある意味間違っている」と考えている。

「こうした意見も理解できます。しかし、当院が断った後に他院が受け入れてくれる保証はない。私たちの役割は、生死に関わる処置をし、診断をつけて専門科の治療につなぐこと。それを全ての患者さんに行う。この役割を担えるのが湘南ERであり、地域に求められていることだと思っています」

二度の「洪水」を乗り越え タフなチームに気付いた

院内連携もさることながら、最も苦労したのが院外連携である。山上氏が部長に就任してから10年あまり、“オール神奈川プロジェクト”の名の下、体制作りを進めてきたが、当初はイニシアチブを取れるような立場ではなかった。

「救急調整室を発足させたころ、大淵先生たちと近隣の病院に一件ずつ挨拶に伺いました。当院が医師会に入ったのが2018年と比較的最近で、そこから少しずつ連携の輪が広がり始めました」

湘南ERでは夜中に複数台の救急車を同時に受け入れることも日常茶飯事である。ある冬の日の深夜2時、満床で30人近くの患者が入院待機をしている中、二次救急の病院に圧迫骨折の患者の受け入れを依頼した。すると「緊急性がないのに、どうしてこんな時間に――」という反応が返ってきた。

「その患者さんは家に帰せない、でも次の患者さんのために一床でも空けたい。他院では他の地域から来ているアルバイトの先生が当直をしていることもあり、こちらで何が起こっているのかが分からない場合もあります。その都度転送先の責任者に電話でお願いし、理解を得るよう努力しています」

そんな草の根運動を続けていると、期せずして潮目が変わった。働き方改革によるマンパワー不足から救急車の受け入れが困難になった病院から、湘南ERで診断のついた患者の転送を積極的に受け入れたいと依頼が来るようになったのだ。

「嬉しいことに今年の4月には、近隣の3院から転送を受け入れたいとの申し出がありました」

救急を縮小すれば入院治療につながらず、収益の低下につながる。湘南ERからの急性期入院を受け入れることで、経営的なダメージを抑えたいという思いもあるのだろう。

「救急はシステムであり役割分担ですから、こういった連携で全ての患者さんがスムーズに治療を受けられることが理想です」そう語る山上氏の一貫した思いにはいつもブレがない。

ここ数年、湘南ERの受診者数は毎年約1万人ずつ増加しているが、「断らない救急」を標榜する以上、患者の受け入れを制限するつもりはない。本田技研工業創業者の本田 宗一郎氏はキャパオーバーの状況を「洪水」と表現したが、救急医療の現場で「洪水」が起こるのは多くの場合、感染症のパンデミックの時だ。湘南ERの「洪水」経験としてまず挙がったのは、2013年のインフルエンザの大流行だった。

「1日400人ほどが来院して、トリアージできていない患者さんが60人も待つような状態でした」

もう一つは、記憶に新しい新型コロナの大流行だ。敷地内にプレハブの発熱外来と仮設の専門病棟に180床を設置し、地域の医師たちの力も借りながら病院一丸となって全ての患者を受け入れた。

「非常時に何が必要か、何ができるかは、その時になってみないと分からない。でも、今ある人的資源や医療資源でできることを確実にやっていくという“姿勢”さえ持っていれば、どんな洪水があっても乗り越えられると思っています」

二度の「洪水」を経て、チームがタフになったのでしょうか?と聞くと、山上氏はこう答えた。

「スタッフみんなが精神的にも肉体的にも“タフだった”ということに気付きました。普段から必死に救急医療に取り組んできた経験が力として蓄えられていた。自分たちのやってきたことは間違っていなかったと分かり、チームの自信につながったと思います」

老若男女が働きやすい救命救急センターに

湘南ERが24時間365日救急医療にまい進できる背景には、「8~9時間シフト」、「完全3交代制」の“誰もが働きやすい環境”がある。

山上氏が専攻医を終えた2010年ごろは一部3交代制で、24時間勤務が月に6~7回。30代だったこともあり勤務自体はこなせたが、研修医教育に十分なエネルギーと時間を割くことができないジレンマを感じていた。

そして部長に就任した2013年5月に、8~9時間シフト、完全3交代制に舵を切った。その決断には、もうひとつ大きな理由があった。救急医不足が医療界全体で問題となるなか、「50代、60代の医師も働ける環境作り」が必要であると考えていたのだ。

「救急医療を長く続けるには、労働環境を変えないといけない。それは、患者さんのためでもあり自分たちのためでもありました」

救急医療の能力に性差はないという考えの下、ER専従医師29人のうち女性医師が8人。産休・育休から戻ってくるスタッフも多い。誰もが働きやすい環境のポイントとして、山上氏は次の2点を挙げた。

「ひとつは長時間労働を行わないこと。集中して仕事をするには8~9時間が限度です。もうひとつは勤務のフレキシビリティ。希望の日に休みが取れれば、ワークライフバランスが保てます」

山上氏も、自分の子どもの学校行事や部活の試合にはほぼ全て出席したという。師匠でもあり、山上氏を湘南ERに導いた福井大学 名誉教授・寺澤 秀一氏から学んだ「自分>家族>仕事」という図式を体現した。それも、働き方改革がスタートする10年も前に。

「救急科単独では難しく、病院全体で救急医療に当たる体制だからこそ、この働き方が実現できています」

湘南ERの信念は「誰がやるかではなく、何をやるか」。チームにとってヒエラルキーは不要だと山上氏は断言する。

「看護師の手が足りない時は医師が患者さんの体をふき、シーツ交換をして、ストレッチャーを作る。みんな率先してやっています」

これまで対応した印象的な患者や症例を尋ねると、「ないんですよね……」と考え込んだ。

「ないとも言えるし、全部とも言える。ブラックジャックみたいな人がすごい治療をしているのではなく、普通の人たちが協力してやるべきことをやっている、というのが現実なんです」

自称、凡人。凡人のリーダーの強みは「仲間を増やせること」だという。院内外の連携の網目を広く細かく作り上げて来たことが、それを証明している。凡人が作り上げた非凡な救急医療の真髄に触れた気がした。

「断らない救急」とは「断らなくていい救急」

同院の専攻医プログラムは、年間6万を超える症例を通して救急診療から集中治療、病院前診療まで横断的に学べるのが特徴。ローテーションには整形外科や眼科、小児科も含まれており、ゼネラルな医師としての礎を築くことができる。

この希少なプログラムを作り上げたのは、当時救急科部長であった太田 凡氏。2006年に入職した山上氏は、プログラムの2期生だった。その後、山上氏が指導する立場になって取り組んだのは、外部の研修先を増やすこと。山上氏の「連携力」を生かし、湘南鎌倉総合病院にない強みや特徴を持った病院で研修できるようプログラムを整備していった。

「外傷なら山梨県立中央病院、小児救急なら都立小児総合医療センターという形で、10年ほどかけて研修先を増やしていきました」

今後の課題は、高齢化に伴う搬送件数の増大に備えて院内外との連携をさらに広げ、強めること。多くの医師を巻き込んでいきたいという山上氏には、連携のありがたさを改めてかみしめる出来事があった。コロナ禍初期、発熱外来に多くの患者が押し寄せたときのことだ。

「患者さんが30人ほど待機していたとき、心臓血管外科の部長が救急に来て『次の手術まで1時間あるから手伝うよ』と言ってくれました。胸が熱くなりましたね」

院内他科、近隣病院も含め、「初療は集約、入院は連携」をキーワードにすべての患者を診る。それが山上氏の思い描く救急医療の形だ。

そしてもう一つの課題が、湘南ERの実績データの分析。満床でも受け入れて初療する現在のシステムが正しいのか、そうでないのか、「断らない救急」の効果測定である。

「100%応需を追求する限りは、プロセスと結果についてのデータを解析し、社会に提示する必要があると思っています」

なぜこれほどまでに「断らない救急」にこだわるのか。その原点は、舞鶴共済病院での初期研修医時代に遡る。当直の日、交通事故による頭部打撲の患者の受け入れ要請があった。当時、循環器内科医を目指していた山上氏にとっては専門外であり、病院には脳外科医がいなかったため、救急車を断らざるを得なかった。

「何もできずに断ったことがつらかった。その時のことは今でも忘れません」

発熱した子どもが来た時は、何をどう診ればよいのか分からずオンコールで小児科医を呼んだ。診察して帰るまでおよそ5分。自分はこんなこともできないのかとほぞを嚙んだ。

「もう、あんな思いはしたくない。僕にとって『断らない救急』とは、『断らなくていい救急』なんです。どんな患者さんでも、満床でも、まず受け入れる。それができる病院だからありがたいと思っています」

湘南ERの実績は多くの医療関係者の知るところであり、「湘鎌って大変でしょう」と言われることもしばしば。しかし、そうではないと山上氏は言う。

「ここでの大変さは、“気持ちのよい大変さ”なんです。自分が正しいと思うことができているから忙しくても苦にならず、だからこそ救急医を続けられているのだと思います」

P R O F I L E
プロフィール写真

湘南鎌倉総合病院 副院長/救命救急センター長
山上 浩/やまがみ・ひろし

2003 福井大学 医学部 卒業/福井大学 循環器内科学教室 入局/福井大学医学部附属病院 研修
2004 舞鶴共済病院
2006 湘南鎌倉総合病院 救急総合診療科
2013 湘南鎌倉総合病院 救急総合診療科 部長
2018 湘南鎌倉総合病院 救命救急センター長
2024 湘南鎌倉総合病院 副院長

資格

日本救急医学会指導医
日本救急医学会救急科専門医
日本DMAT 隊員

専門

座右の銘: 実るほど頭を垂れる稲穂かな
愛読書: 『NO LIMITS「できる人」は限界をつくらない』(ジョン・C・マクスウェル著)
影響を受けた人: 救急医の偉大な先輩 寺澤 秀一先⽣、太田 凡先⽣
好きな有名人: 吉村 昭
マイブーム: 『ハイキュー!!』孤爪 研磨の推し活
マイルール: 謙虚に、タフに、柔軟に
宝物: 愛車のディスカバリー2

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2024年9号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

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