働き方改革の先頭に立ち産婦人科をけん引する新リーダー 銘苅 桂子

医師のキャリアコラム[Challenger]

琉球大学病院 周産母子センター 教授

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/佐藤恵 撮影/緒方一貴

女性の大学教授は全国でもまだまだ少ない。その中の一人が、琉球大学病院周産母子センターの銘苅 桂子氏だ。臨床、教育、研究、管理業務、そして3人の子育て。何一つ手を抜けないタスクを日々こなしつつ生殖医療や婦人科系がんに対する内視鏡下手術の分野で活躍し、王道の成功を収めた医師と見られることが多い銘苅氏だが、決して順風満帆な道のりではなかったという。「女性活躍」「働き方改革」という言葉はまだ影も形もなく、子を持つ女性が産婦人科医を続けることが困難だった時代を経て、教授として医局員を率いる立場になった今思うのは、「若い医師たちに希望を持ってもらいたい」ということ。“常識”をアップデートしながら、自身の夢も若手医師の夢もかなえる職場づくりを実現している銘苅氏の歩みをうかがった。

3人の子の親になって訪れた二つのブレイクスルー

名実ともに、「道なき道」を歩んできた。医学部5年生で結婚、6年生で第一子出産。卒業後は、女性であり母親であるという“二重のハンデ”を背負って琉球大学の産婦人科に入局。男性と同様に働き、母乳は数週間で止まった。その4年後に第二子を出産。仕事に復帰し、当直もしていたものの、半年間は研究医扱い。それでも、悔しさと虚しさと怒りの矛先は自分に向かっていた。

「子どもを2人も産んだ自分が悪いと思っていました。働く者は子を持つべからず。私自身のアンコンシャスバイアスです」

婦人科系のがんを患った親に何もしてあげられなかった後悔の念が、産婦人科医を目指す原動力となった。理不尽な状況下でも決して腐らず、学ぶことを楽しみ、成長することに貪欲な銘苅氏の一番の応援団は、家の中にいた。

「義母は『一人前の母親ではなく、一人前の医師になりなさい』と子育てをかって出てくれました。夫はすすんで家事をしてくれる。そのおかげで、夢中で勉強することができました」

銘苅氏に二つのブレイクスルーが起こったのは37歳の時、第三子を出産してからだ。第二子までは育児らしい育児ができなかったが、キャリアを重ね、職場の環境を整備する立場になったことで初めて育児を経験し「親」になった。と同時に、後の働き方改革につながる女性支援の具体策が明確に見えてきた。

「子育て中の女性医師にどんなニーズがあってどんな環境整備が必要なのかを身をもって知ることができました」

もう一つのブレイクスルーは、腹腔鏡手術の外部研修。手術スキルを集中的に学ぶため、研修に行かせてほしいと大学に頼み込み、婦人科腹腔鏡手術のパイオニアである倉敷成人病センターの安藤 正明氏に師事を仰いだ。

「それまでは不妊症の手術をメインで行っていましたが、2カ月間の研修で子宮がん手術まで行いたいという明確な目標ができました。おかげで今も手術が大好きで、本当なら全部の手術に入りたいくらいですが、今は多くを後輩に任せるようにしています」

女性は、結婚や妊娠を機に医師を辞める。誰もそのことに疑問を持っていなかった時代。やる気も実力もあるのに去っていく仲間の後ろ姿を見送ることしかできなかった。そんな銘苅氏に起こったブレイクスルーは、3人の子どもの母親であり医師であるという、二足の草鞋を履いていたからこそ起きた。

時間外労働20時間を支える働き方改革のしくみ作り

日本産婦人科学会は、女性医師の辞職と産婦人科希望者の減少による医師不足に長らく悩まされ女性が活躍できる職場への改革は急務であった。一方、琉球大学病院産科婦人科の医師の7割は女性であり、その多くが子育てと仕事を両立している。

「女性医師への支援は試行錯誤の連続でした。子を持つ女性を優遇すれば、子を持たない女性や男性の反感を買い、居づらくなって去ってしまう。誰もが平等に働きやすい職場をつくることが唯一の解決策だと思いました」

銘苅氏が進めた働き方改革の主な要素は、タスクシフトとIT化。そもそもの問題は、医師の業務量が多すぎること。それならば、男女関係なく業務量を減らせばいい。

「当科では働き方改革という言葉がない時代から、主治医制からチーム制に変える、カンファレンスはオンラインで参加可能に、育児中の医師の時短勤務・当直免除など、さまざまな制度改革をしてきました。また、日常業務を見直して不要な業務を徹底的にそぎ落とす。医師以外でもできる業務は多職種の方へお願いすることを丁寧に積み重ねてきました」

タスクシフトを行う際に大事なのは、多職種がスキルアップにつながる業務をお願いし、その支援を行うこと。コメディカルとの日々の信頼関係づくりが欠かせない。また、一定数の産婦人科専門医を常駐させることが必要なMFICU(母体胎児集中治療室)の要否を見直し、潔く取得を取りやめた。過剰な人員配置を減らすためだ。このような積み重ねの結果、医師の時間外労働は20時間にまで抑えることができた。産婦人科で20時間というのは奇跡に近い。そう言うと、銘苅氏は「全然奇跡じゃないんですよ」と否定した。

「私たちは13年かけてやってきました。短時間で高いパフォーマンスを発揮して早く帰る人が優秀という意識が根付いてきた結果だと思います。また、男女関係なくしっかり子育てをし、ひと段落ついたら次は自分が後輩を支える、そんな助け合いが当たり前になっています」

銘苅氏によると、産婦人科における女性支援は「子育てをしながら働く」というフェーズは終わり、現在の課題は「女性リーダーの育成」だという。銘苅氏に、教授になった当時の思いをうかがうと、「不安」という言葉が何度も出てきた。

「教授になる前は、自分に何ができるのかと、ものすごく不安でした。私の前を行く女性医師が少なかったことも苦しかった」

経歴を見れば、順風満帆な道を歩んできたかのようである。しかし実際は、目指すべき光もない暗闇の中を壁にぶつかり、石ころにつまずきながら走ってきた。そして現在、女性医師が出産・育児のために去ることなく、自分らしく自分の目指す医師像を追うことができる組織をつくることができた。この中から銘苅氏の姿を追う若きリーダーが生まれてくるだろう。

生命の誕生に立ち会える喜びや不妊の苦しみを患者と共有する

銘苅氏の専門は生殖医療と内視鏡下手術。妊娠を望む女性の高齢化にともない、女性特有のリスクも高まり、不妊症と子宮筋腫や子宮内膜症を併発するケースが増えているという。銘苅氏が教授を務める琉球大学病院周産母子センターでは年間150件ほどの腹腔鏡手術を行っている。

「妊娠に向けて、最適なタイミングと術式を見極めたテーラーメイドの腹腔鏡手術を行っています。子宮がんに対する腹腔鏡手術やロボット支援手術は、県内では琉大病院のみが実施でき、沖縄の女性が県外へ渡航することなく低侵襲手術を受けられるよう力を入れています」

同センターでは年間約400周期の体外受精を行い、全年齢平均の妊娠率が35%と良好な成績を収めている。医師の入れ替わりが激しい大学病院で、高度な医療を提供し成果を上げ続けるのは至難の業だ。

「若手医師を教育しながら、医療の質も保たなければならない。そのために、毎週カンファレンスを行い外来の指導に入るなど、綿密なコミュニケーションが不可欠。もちろんラボも重要なので、胚培養士さんの教育や管理も必須です」

また、小児・AYA世代のがん患者が、がん克服後に妊娠できる可能性を残すための妊孕性温存療法を行う「がん・生殖医療」にも注力している。具体的には、がん治療前に卵子・卵巣組織や精子を凍結しておくことだが、県内では主に琉球大学がその役割を担う。そのために、県内のがん治療施設と連携を強化し、温存療法とがん治療をスムーズに開始できる体制を構築した。

大学病院には、複数の病院での不妊治療を経てたどり着く患者もいる。その場合、年齢も高く、心も体も傷付いていることが多い。初診の時点で妊娠が難しいケースも少なくなく、そのような場合には医学的根拠を示しながら、妊娠への道を閉じるためのアドバイスも必要だ。患者の話を深く聞いていくと、子を持つことを諦めるための後押しを求めていることもある。

「不妊治療は治療技術だけではなく、患者さんとの会話が重要なんです。外来での15分、20分のコミュニケーションを最も大切にすべきです」

患者は、つらい気持ちを分かってほしい。医師は、治療のプロセスやメリットデメリットを説明し、事実としての治療成績を伝えなくてはならない。しかし、説明責任を優先するような会話では、患者は納得して治療に向かえない。患者の気持ちを医師が「分かる」とはどういうことなのか。

「若い時は、勉強したことから想像するしかなかった。でも、子育てや仕事との両立を経験した今、本当の意味で『分かる』ようになったのかもしれません。『先生久しぶり!』と患者さんが診察室に入ってきて、一緒に泣いたり笑ったり。同じ女性として、時には母親、友人の視点で会話をすることもあります」

2020年の生殖補助医療法成立、2022年の不妊治療の保険適用と「産みたい人」を支える法整備がなされたことは明るい兆しと言える。しかし、全ての患者がわが子を抱けるわけではない。銘苅氏は印象的な患者について話しながら、時折声を詰まらせた。

「うまくいかなかった患者さんのことは忘れられないですね。やっと妊娠しても、出産までがまた難しい。でも、その後も通院してくださり、逆に私を励ましてくれることも。女性の人生の重要な場面に関わらせていただいていることに感謝しています」

産婦人科医の仕事のやりがいを聞くと、「全てです」と即答した。

「生命の誕生に立ち会える喜び、難しい手術が成功したときの達成感は何物にも代え難い。患者さんと一緒に喜び悲しめる、かけがえのない仕事です」

大学病院の枠組みを超えた活動 沖縄ならではの医療課題に向き合う

43歳で医局長に、45歳で教授になった。教授職は自分に務まるわけがないと思っていたが「立場が上がることで見えてくるものがある」と前任教授であり、一番の恩師である青木 陽一氏に諭され、実際その言葉通りになった。

沖縄は人口1000人当たりの出生率・合計特殊出生率がともに全国一であると同時に、社会的ハイリスク妊娠の比率も高い。若年妊娠は全国平均の2倍、離婚率・再婚率の高さゆえの高齢出産の多さも顕著だ。

「背景にあるのは貧困と教育不足。女性たちを支援するためには、医療だけではカバーしきれないことを知り、妊娠出産の手前の福祉や教育との連携を模索し始めました」

県の教育関連の会議に出席したり、暴力や貧困にさらされて出産・育児をする女性を受け入れるシェルターの医療支援を引き受けたりと、大学病院の責務を超えて奔走したが、周囲の反応は鈍かった。大学病院では生死に関わる妊婦の治療で手一杯の中、病気ではない若年妊娠に割く時間も労力もない。しかし銘苅氏は、大学病院という教育機関にとって必要なことだと確信していた。

「私たち大人が、社会が、見てこなかった少女がいることを知り、どう対応すべきか考えることは、医師にとって重要です。シェルターで暮らす人の中には母親になるのは難しいかも、と思う女性もいましたが、子どもを産んだらすごくいいお母さんになった。そういう姿を見守れることは私にとっても若い医師にとっても大きな経験です」

大学病院の枠組みを超えた取り組みのもう一つは、コロナ禍に「周産期クラウドデータベース」を立ち上げたこと。常に感染拡大の最前線にあった沖縄では、沖縄産科婦人科学会や、沖縄県産婦人科医会が中心となり感染した妊婦の対応に当たっていたが、銘苅氏はその中で、県内の妊婦の感染状況や対応可能な病院のデータを一元管理するシステムを構築したのだ。

“オール沖縄”で母子を守るという意志のもと、銘苅氏が旗振り役となり、システムのデザインから資金集め、各院への入力業務の依頼など、各所を駆け回り実現したシステムは、現在も母体搬送のデータベースとして生かされている。

チャレンジ続きの人生 後輩たちを元気づけるためここにいる

今後チャレンジしたいことを聞くと、「これまでもチャレンジばっかりだったんですよね」と笑った。職場の働き方改革も、初めは賛成してくれる人ばかりではなかった。しかし、育児をすることと産婦人科医として働くことの喜び、そのどちらも諦めてほしくない、その思いから「どんなに時間がかかっても絶対変えてやる」と、心に決めていた。

ずっと心が折れそうな研修医時代を経て何とか一人前の医師になったとき、大学を辞め、働き方を調整しやすい職場に勤める選択肢もあっただろう。しかし青木 陽一氏に「君は大学にいるべきだ」と見抜かれた。厳しい人で時に反発もしたが、教授になる銘苅氏の背中を強く押してくれた人でもあった。

立場上、取材を受けたり人前に出たりすることが多い。本音を言えば、自分の話をするのは得意ではないし、華やかに見られることも苦手だ。

「今の私があるのは、青木 陽一教授や後輩の先生方の支えがあってこそ。その後輩たちが県内の多くの病院で活躍している姿を見るのはとても嬉しいです。自分が教授に向いているかどうかは今も分からないけど、後輩にこういう道もあるんだと安心してもらうために、私はここにいるんです」

P R O F I L E
プロフィール写真

琉球大学病院 周産母子センター 教授
銘苅 桂子/めかる・けいこ

1999 琉球大学医学部医学科 卒業/琉球大学大学医学部産科婦人科 入局
2006 琉球大学医学部付属病院 助教
2013 琉球大学医学部付属病院 周産母子センター 講師
2017 琉球大学医学部付属病院 医局長
2019 琉球大学病院 周産母子センター 教授/琉球大学病院 病院長補佐(働き方改革・男女共同参画担当)
2024 沖縄県医師会 理事

所属・資格

日本産科婦人科学会専門医
日本生殖医学会生殖医療専門医
日本女性医学学会女性ヘルスケア専門医
日本産科婦人科内視鏡学会技術認定医
文科省「今後の医学教育の在り方に関する検討会」委員

専門

生殖内分泌、体外受精・胚移植、腹腔鏡手術(子宮がん、子宮内膜症)

座右の銘: 置かれた場所で咲きなさい
影響を受けた人: 青木 陽一 教授(今でも迷ったときには恩師の声が聞こえてきます)
好きな有名人: 辻井 伸行さん
マイブーム: ホットヨガ
マイルール: 迷ったら、厳しい道を選ぶ
宝物: 子どもたち

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2024年8号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

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