Vol.002 自らは実施しない治療方法であっても説明を

~当時医療水準として未確立であった乳房温存療法に関する
説明義務違反が認められた事例~

最高裁第3小法廷平成13年11月27日判決(破棄差戻)(判例時報1769号56頁)
協力:「医療問題弁護団」高木 康彦弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

Yは、大阪府泉佐野市で医院(診療科目:外科・整形外科・胃腸科・内科・理学療法科)を開設している医師であるが、同医院は乳癌研究会(後の日本乳癌学会)の正会員であり、その診療科目に乳腺特殊外来を併記して乳ガンの手術を手がけていた。Y自身も乳ガンか否かの限界事例について乳房温存療法を1例実施した経験があったが放射線照射は行っていない。

X(昭和23年生・既婚女性)は、平成3年1月28日以降、Yの診察を受け、手術生検等の結果、同年2月14日までに乳ガンと診断された。

Yは、Xの乳ガンについては胸筋温存乳房切除術適応と判断し、平成3年2月16日、Xに対し、入院して手術する必要があること・手術生検を行ったので手術は早く実施したほうがよく手術日は同月28日が都合が良いこと・乳房を残す方法も行われているがこの方法については現在までに正確にはわかっておらず放射線で黒くなったり再手術を行わなければならないこともあることを説明した。そして、同月20日には、Xに対し、乳房を全部切除するが、筋肉を残す旨説明した。

一方、Xは、平成3年2月15日、乳房を失うのが当然とされてきた乳ガンの治療が、乳房を可能な限り残す方向へと変わってきたとの新聞の紹介記事に接した。同記事は乳房温存療法に触れていた。同月26日、XはYの医院に入院しYの診察を受けた際に、Xの心情をつづった手紙(現存していないが、乳ガンと診断され生命の希求と乳房切除のはざまにあって揺れ動く女性の心情の機微を書きつづったもの)をYに交付した。

平成3年2月28日、YはXに対し、右側乳房を全部切除する手術(以下「本件手術」という)を実施した。

Xの乳ガンは、腫瘤とその周囲の乳房の一部のみを取る乳房温存療法に適しており、Xも乳房を残す手術を希望していたのに、Yは同療法及び手術の内容について十分説明しないままXの意思に反して乳房切除術を行ったとして、XはYに対して診療契約上の債務不履行または不法行為にもとづく損害賠償請求訴訟を提起した(乳房温存療法の実施義務違反・実施すべき医療機関への転医義務違反・説明義務違反等、請求額約1200万円)。


本件手術当時の乳房温存療法の実施状況・評価


I 乳房温存療法は、それが奏功した場合には概ね患者の満足を得ており、同療法は、外科的侵襲が少ないため、術後の患側上肢の運動障害が少ないことのほか、美容的側面や患者の精神的側面及び生活の質の観点では、医療水準上確立した療法である乳房切除術に比べて優れていると評価できるものである。

II 欧米では、乳房温存療法は乳房切除術に比べて、乳がんの再発率、生存率の点で劣っていないか、むしろ優れていることが確認されていた。

III 欧米に比べ日本では乳房温存療法の普及が遅れており乳房切除術が主流であった。平成4年7月にまとめられた乳癌研究会の調査によれば、その会員である236施設で行われた乳がん手術中乳房温存療法を実施した割合は平成元年度が6.5%、平成2年度が10.2%、平成3年度が12.7%であり、また、平成5年1月に公表された別の団体による調査によれば、平成3年に全国の129施設で乳房温存療法が実施され、その中には、大阪府下では、大阪府立成人病センターの外7病院が含まれていた。

IV 日本で実施された乳房温存療法の報告でも再発例はなく、同療法を実施した医師の間では同療法が積極的に評価されていた。

V 平成元年2月に第49回乳癌研究会で「乳房温存術と放射線治療」というテーマについてンポジウムが行われ、同年7月に第50回乳癌研究会で乳房温存療法の術式がテーマの1つとして採り上げられた。

VI 平成元年4月、乳房温存療法について安全性、有効性を立証し、その統一的基準を作成するために、厚生省の助成により、「乳がんの乳房温存療法の検討」班(いわゆる霞班)が設置され、霞班は、同年10月には「乳房温存療法実施要綱」を暫定的に策定し、大阪府立成人病センターを含む10施設を参加させて臨床的研究を開始した。

VII 本件手術当時、霞班による臨床的研究成果も未発表であり、日本における同療法の実施報告例は少なく、経過観察期間も短期間であって、同療法の術式も未確立であった。同療法によるがん細胞残存率や局所再発のおそれの問題について確定的な結論も出ておらず、同療法を実施してもリンパ節に転移していた場合等には他の術式を再度実施する必要があった。同療法の実施に伴って放射線照射を行う必要があるところ、その必要な放射線照射の程度、放射線照射による障害の有無についても研究途上にあった。

同療法の実施にはなお解決を要する問題点も多く、同療法が専門医の間でも医療水準として確立するには臨床的結果の蓄積を待たねばならない状況にあった。


本件手術時のXの状態及びYの認識


Xの乳ガン((1)充実腺管癌《髄様腺管癌》で浸潤型・(2)しこりの大きさは1cm×1cmで病期はI期・(3)しこりの位置は外上方四半分・(4)腋窩リンパ節に触れないものであることが判明していた)は、霞班の定めた「乳房温存療法実施要綱」の適応基準を充たすばかりでなく、本件手術当時乳房温存療法を実施していたほとんどすべての医療機関の適応基準を充たすものであった。Yは、本件手術当時、乳房温存療法について、同療法を実施している医療機関も少なくなく、相当数の実施例があり、同療法を実施した医師の間では積極的な評価もされていること・Xの乳がんが上記霞班の定めた「乳房温存療法実施要綱」の適応基準を充た充たし、乳房温存療法の適応可能性があること及び乳房温存療法を実施していた医療機関を知っていた。

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第1審判決

大阪地裁 平成8年5月29日判決(判例時報1594号125頁)

説明義務違反のみ認めて慰謝料等250万円を認容した。


Y控訴(X附帯控訴)。

第2審判決

大阪高裁第7民事部 平成9年9月19日判決(判例時報1635号69頁)

説明義務違反を否定し1審判決中Y敗訴部分を取り消しXの請求を棄却


医師は、乳がんの手術を行う場合には、患者の自己決定権を尊重し、その同意を得るために、診療契約に基づき、乳がんであること及び乳がんの進行程度、性質、実施予定手術の内容、他に選択可能な治療方法とその利害得失、予後について説明すべきであるが、他の術式の選択可能性の説明に関しては、乳房が体幹表面にあって女性を象徴するものであり、本件手術のように手術によりこれを喪失することは、当該患者にその外観上の変ぼうによる精神、心理面への著しい影響を及ぼすものであることを考慮すると、手術の時点において、一般医師に広く知れ渡って有効性、安全性が確立しているもののみならず、専門医の間において一応の有効性、安全性が確立されつつあるもので、当該医師において知り得た術式も説明義務の対象に包含されると解するのが相当である。

YはXに対し、乳房を残す方法があること・その方法によると放射線で乳房が黒くなることがあり、再度乳房を切らなければならないこともあることを伝えているから、一応、他に選択可能な治療方法、その利害得失、予後のいずれについても言及しているというべきである。

Xの乳がんは、乳房温存療法の適応基準を充たすものであったが、本件手術当時、同療法を実施するには従来の術式を実施しないことにつき十分なインフォームド・コンセントが必要とされていたこと・同療法は、その実施割合も低くその安全性が確立されていたとはいえないことからすれば、Yにおいて、同療法実施における危険を冒してまで同療法を受けてみてはどうかとの質問を投げ掛けなければならない状況には至っていなかった。

Yの上記説明は、他に選択可能な治療方法の説明として不十分なところはなかった。

X上告。

最高裁判決

最高裁第3小法廷 平成13年11月27日判決

説明義務違反を肯定(原判決を破棄差戻)


I 手術時に説明すべき事項


医師は、患者の疾患治療のために手術を実施するにあたっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)・実施予定の手術の内容・手術に付随する危険性・他に選択可能な治療方法があればその内容と利害得失・予後などについて説明すべき義務があると解される。本件で問題となっている乳がん手術についてみれば、疾患が乳がんであること・その進行程度・乳がんの性質・実施予定の手術内容のほか、もし他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失・予後などが説明義務の対象となる。

II 当時未確立な療法(術式)とされていた乳房温存療法についての説明の要否・程度


選択可能な他の療法(術式)として、Yに乳房温存療法の説明義務があったか否か、あるとしてどの程度にまで説明することが要求されるのかについて、次のとおり判示した。

II-1  少なくとも当該療法(術式)が少なからぬ医療機関において実施されており、相当数の実施例があり、これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては、患者が当該療法(術式)の適応である可能性がありかつ患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無・実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては、たとえ医師自身が当該療法(術式)について消極的な評価をしており、自らはそれを実施する意思を有していないときであっても、なお、患者に対して、医師の知っている範囲で当該療法(術式)の内容・適応可能性やそれを受けた場合の利害得失・当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである。

II-2 乳ガン手術は体幹表面にあって女性を象徴する乳房に対する手術であり、手術により乳房を失わせることは、患者に対し身体的障害を来すのみならず外観上の変貌による精神面・心理面への著しい影響ももたらすものであって、患者自身の生き方や人生の根幹に関係する生活の質にもかかわるものである。それゆえ、胸筋温存乳房切除術を行う場合には、選択可能な他の療法(術式)として乳房温存療法について説明すべき要請は、他の一般の手術を行う場合に比し一層強まる。

III 結論


Xは、本件手術前に乳房温存療法の存在を知り、Yに対して乳房を残すことに強い関心を有することを表明した手紙(以下「本件手紙」という)を交付しており、Yはその手紙を受け取った時点において、少なくともXの乳がんについて乳房温存療法の適応可能性があること及び乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在をYの知る範囲で明確に説明し、Yにより胸筋温存乳房切除術を受けるかあるいは乳房温存療法を実施している他の医療機関において同療法を受ける可能性を探るか、そのいずれの道を選ぶかについて熟慮し判断する機会を与えるべき義務があった。

Yの説明は乳房温存療法の消極的な説明に終始しており、説明義務が生じた場合の説明として十分なものとはいえない。したがって、Yは、本件手紙の交付を受けた後において、Xに対してXの乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在を説明しなかった点で、診療契約上の説明義務を尽くしたとはいい難い。

原審の判断には診療契約上の説明義務の解釈を誤った違法があり、この違法は判決に影響を及ぼす事が明らかである。原判決は破棄を免れず、本件については、さらに審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻す。

☆ 破棄差戻し(民事訴訟法325条)・・・上告審は事実審理をしないので、裁判のためさらに事実審理を必要とするときは、事件を原裁判所に差し戻す。差戻審では、原判決に関与した裁判官は関与できず、上告審における破棄判決の理由中の判断に拘束され、裁判をする。

差戻審

YはXに対し、Xの乳ガンが乳房温存療法の適応可能性があり、同療法を実施している医療機関として最も信頼できるのは大阪府立成人病センターである旨の説明をすべきであったと差戻審は判示した。しかし、Xが同療法の実施医療機関を知りながら、Yに対し、同療法の説明を明確に求めてはいないことや同療法を実施した場合には放射線照射のために相当期間通院する必要があったところ、大阪府立成人病センターはXの住居地から遠距離にあり、当時Xは体調がすぐれず、Yが説明義務を尽くしたとしても、Xが同療法を選択したかは定かではないことなどの事情を総合考慮し、慰謝料等120万円を認容するにとどめた。

判例に学ぶ

インフォームド・コンセントという用語は日常的に使われていますが、その具体的内容を十分理解し実践する必要があります。特に、医療水準として未確立な治療方法が他に選択可能な治療方法としてあり、その治療方法を当該医療機関で実施していない場合の説明が問題となります。患者が自己決定権を適切に行使できるよう配慮する必要があり、自らは実施しない治療法であっても、説明を怠ると説明義務違反として責任を問われる場合があるので注意を要します。