Vol.033 がんの疑いがある陰影を見落とした場合の責任の範囲

~検査における大学病院の注意義務~

-原審:大阪地裁平成4年(ワ)第10177号・H10・3・27判決、控訴審:大阪高裁平成10年(ネ)第1458号・H12・2・25判決-
協力:「医療問題弁護団」竹内 奈津子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

A夫は、平成3年3月ごろに検査機関である某財団法人で大腸がん便潜血反応検査を受けたところ、便潜血反応が陽性だったので、至急専門医療機関において精密検査を受けるよう指示された。そのため、A夫は平成3年3月19日、某大学医学部附属病院(以下「某大病院」)内科に精密検査を依頼し、同年4月3日、B医師の指示により大腸レントゲン検査(同検査の担当者はC医師)、血中腫瘍マーカー検査及び肝機能血液検査を受検したところ、「異常なし」と診断された。しかし、A夫は平成4年はじめごろから体の不調を訴え、同年2月14日、腹部の激痛を訴えて某病院に入院。大腸から肝臓へのがん転移が発見された。しかし、A夫が助かる見込みはまったくなく、同年3月18日に大腸がん・多発性肝転移にもとづく肝不全により39歳で死亡した。
そこで、原告らは被告である国に対して、(1)A夫のレントゲン写真には、上行結腸肝湾曲部に腫瘍様病変が写っているのにもかかわらず、B医師とC医師は本件写真に写っていた右腫瘍様病変を見落とした過失がある、(2)C医師はレントゲン検査において適切かつ有効なレントゲン撮影をしていれば、上行結腸肝湾曲部(以下「本件部位」)に腫瘍様病変を撮影できたのに、適切かつ有効な撮影をしなかったので腫瘍様病変を発見できなかった過失がある、(3)A夫のレントゲン写真には、本件部位に異常陰影が写っているから、B医師とC医師は右陰影が腫瘍様病変でないことを確認するための再度の大腸がんレントゲン検査、または内視鏡検査をすべきであったのに、それをしないでA夫に「異常なし」と診断した過失があるとして、被告に対して診療契約上の債務不履行及び不法行為にもとづく損害賠償を請求した。
一方被告は、(1)A夫のレントゲン写真の陰影は異常なものでない、(2)B医師とC医師の診断に不適切なところはない、(3)A夫の肝転移がんが低分化腺がんという特殊ながんであり、A夫は体調不良から約2ヵ月で死亡したことからすれば某大病院での診察後にがんに罹患したもので死亡との因果関係はないと主張した。

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判決

被告の過失とA夫の死亡との因果関係を認める


原審は、(1)については被告の過失を否定したものの、(2)と(3)についてはそれぞれ本件部位について満足な検査がなされていない、レントゲン写真には正常構造とは異なる陰影が存在している以上、その陰影が何かを確定するために再度の注腸造影検査か大腸内視鏡検査を行う必要があったとして被告の過失を肯定した。しかし、結局、同過失とA夫の死との因果関係の立証が不十分であるとして原告の請求を棄却した。
控訴審では、控訴人らは被告の過失とA夫の死亡との因果関係を争うとともに仮に因果関係がないとしても、A夫は適切な治療を受ける機会と可能性を奪われたと主張。裁判所は次のように医師の過失とA夫の死亡との間の因果関係を認めた。
(1)A夫の本件部位には詳細不明な正常構造とは異なる陰影が存在し、これががんである可能性を否定できないのであるから、便潜血反応検査陽性者に対する精密検査として、注腸造影検査を担当する医師は、右陰影ががんであるかそうでないかを確定するために、再度の注腸造影検査か大腸内視鏡検査を行う必要がある。
(2)A夫の原発がんである上行結腸がんは大腸低分化腺がんであったが、これは非常に稀ながんで通常の大腸がんと比較すると進行が早く、初期像もいまだ十分に解明されていないし、早期がんで発見されることがほとんどない。しかし、大腸低分化腺がんにこのような特質があるということが、A夫の原発がんが本件レントゲン検査がされた以降に発生し、平成4年1月までの10ヵ月間という短期に進行して延命さえ不可能な高度進行がんになったことまでを具体的に推認させるものではなく、そのほかに大腸低分化腺がんがそのように短期間に発生から延命不可能になるまで進行することを特徴とするがんであると認められる証拠がない以上、前記推認を覆すに足りるものと言うことはできない。
(3)次に、本件レントゲン検査の時点で本件部位にがんが存在していたと言えたとしても、それを注腸造影検査や大腸内視鏡検査を行うことで発見できたかどうかであるが、控訴審で認定された事実によれば、同再検査によりがんを発見できた可能性は少なくない。それが、たとえ早期発見が困難である大腸低分化腺がんであったとしても前記推認を覆すに足りるものと言うことはできない。
(4)そして救命可能性について検討すると、A夫に関する経過であるが、同人は本件レントゲン検査を受ける数ヵ月前の平成3年はじめごろからときどき腹痛を訴えており、A夫の大腸がん原発がんは低分化腺がんであり、この種のがんで早期がんの段階で発見される例はきわめて稀である。しかし、認定事実によれば本件レントゲン検査から同人の死亡まで約11ヵ月の期間があり、医療文献によればA夫の大腸低分化腺がんがステージIをすぎたあとに発見されても適切な治療を行えば、意義のある程度に長期間の延命をもたらすことは不可能ではなく、これを期待することができたと推認するのが相当である。そうならばB医師らが本件診療契約に沿う適切な再検査をしていたとしたら、A夫は平成4年3月18日においてなお生存していたであろうと推認できると言うべきであり、延命可能性は存在した。
(5)以上によると、B医師らには本件レントゲンにおける本件部位の異常陰影について行うべき再検査をしないまま、がんの疑いがないものとして「異常がない」と判断し再検査をしなかった点で、本件診療契約上の義務違反に違反する不適切な診療行為があり、これと前記時点における死亡との間に相当因果関係があると認めるべきであるから、債務不履行責任により控訴人らが被った損害を賠償すべき義務がある。
(6)損害については、大腸低分化腺がんは発見されるとき早期がんであることはほとんどなく、予後も不良であるからB医師らの不適切な診療行為がなく早期に原発がんを発見することができたとしても、延命の期間自体はこれを高度な蓋然性をもって推認するに足りる証拠はないし、延命期間中の生活の質についてもこれが通常程度のものでありえたことを前記の蓋然性の程度に認定することは困難であるから、A夫に逸失利益は認めることはできず、慰謝料として300万円を認めることとした。

判例に学ぶ

◆検査における大学病院の注意義務
本件では、被害者が大腸便潜血反応検査で陽性という結果が出たことで、至急専門医療機関において精密検査を受けるように指示されたため、その原因を確定し、適切な治療を受けるべく病院を選択して受診しているのですから、当然、病院にはそれに関する高度の注意義務が課されていると考えなければなりません。また、そもそも大学病院は医療水準としては最高の医療水準にあり、受診する患者の期待が高いのが当然ですから、仮に本件のように患者がその原因を確定し、適切な治療を受けるために精密検査を受診した場合でなくても、精密検査等においてほかの一般病院よりも高度の注意義務が課されていると考えるべきです。
レントゲン検査等の精密検査においてがんの疑いのある陰影等が認められた場合には、それが何かを確定するために必要かつ可能な限りの検査を行う必要があると思われます。
なお、たとえ大学病院ではなくとも、人間ドック等の検査の場合は、やはり被験者は病気の早期発見と適切な治療を受けることを目的として検査を受診するので、検査の結果、異常所見が認められた場合には、実施医療機関は被験者に対してその説明を行い、そこで診断を確定できない場合には被験者に対して、ただちにほかの専門医療機関等で確定診断を受けることを促す注意義務があることに注意しなければなりません。

◆がんの疑いがある陰影を見落としたとされた場合の責任範囲
被害者の死亡と見落としの相当因果関係が否定されれば被告は死亡による財産的損害(治療費、葬儀費用、死亡逸失利益、慰謝料等)を負担することはなく、本件でも第1審では医師の過失を認めたものの死亡との相当因果関係を否定しているので、結局は原告らの請求を棄却しています。
そして見落とし等の医師の不作為と患者の死亡との間の因果関係については、最高裁判決(H11・2・25判決)により、「不作為の時点で医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば、患者がその死亡した時点においてなお生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性」があれば不作為と死亡との因果関係を肯定するとされておりますので、本件の控訴審である大阪高裁はこの判決に従いつつ、レントゲン検査時に適切な治療を行えば、死亡時も生存していたであろうとして延命可能性を肯定して相当因果関係を認めています。
ただし、本件の場合には、仮に医師らの不適切な行為がなく、より早く原発がんを発見できたとしても、治療の結果A夫が完治し、あるいは10年間は生存しえたであろうとはとうてい推認しがたいのであり、延命の期間はこれを高度の蓋然性をもって推認するに足りる証拠はないとして、A夫の逸失利益については否定しています。
本件の場合、A夫の原発がんは低分化腺がんというきわめて稀で、予後不良な症例でしたが、腺がんの50%以上を占めると言われる高分化腺がんの場合はほかのがんと比較して予後は良く、資料によれば手術の救命率も6.7割とされております。医師の過失と死亡との因果関係が肯定された場合には逸失利益についても認められる可能性が高いことに留意する必要があります。