患者とその家族関係
77歳(死亡時)の男性Aは、B市内で妻X1と2人暮らし。子どもは3人おり、長女X2は近隣に居住し、日常から頻繁な行き来があった。また、長男X3は同じB市内に居住していた。
Aの診療の経過
(原審及び最高裁判決より)
1985・11▼相手方病院(以下Y病院)循環器外来に通院。虚血性心疾患等の治療を受ける
1991・10・26▼Y病院にて胸部X線撮影。コイン様陰影が見られた。その後の各検査結果なども総合すると、同日時点でAは病期に相当する進行性末期がんに罹患しており、救命・延命のための有効な治療方法はなく、疼痛などに対する対症療法を行うしかない状況にあった
1991・11・9▼Y病院M医師は読影の結果、「多発性転移巣あるいは転移性の病変である」と診断
1991・11・17▼M医師は、Aを診察し「転移性、多発性の腫瘍があることは間違いない」、「治癒的な手術は不可能であり、化学療法もあまり有用でない」などと判断し、「余命については、長くて1年程度ではないか」と予測
1991・12・29▼M医師は、Aのカルテに「末期がんであろう」と記載。内服鎮痛剤スルガムを投薬
1992・1・19▼M医師はAにスルガムを投薬。Aの「肺の病気はどうか」との質問に対し本人に告知するのは適当でないと考え、「前からある胸部の病気が進行している」と答えた。同医師は「患者の病状について家族に説明する必要がある」と考えたが、担当を外れる予定だったため、カルテに「転移病変につき、患者の家族になんらかの説明が必要」と記載。これがM医師による最後の診察となった。M医師は、患者が高齢の妻X1との2人暮らしであること以外に、家族関係に関する事情を聴取しなかった。以上の経過の中で、M医師はAに「受診の際、家族を同行するように」と求めたことが一度あったが、患者は終始ひとりで通院をつづけた
1992・2・9▼担当医はスルガムを投薬。家族への説明なし
1992・3・2▼担当医は鎮痛湿布薬ゼラップを処方。家族への説明なし
1992・3・5▼Aは痛みが悪化したため、X1とともにB大学医学部附属病院整形外科を受診
1992・3・12▼同病院内科を受診し末期がんと診断される
1992・3・19▼同病院S医師は、X3らを呼び、「患者は末期がんである」と説明
1992・3・23▼AはB赤十字病院に入院。以後、入退院を繰り返す
1992・10・4▼Aは死亡。左腎臓がん、骨転移を原因とする肺転移、肺炎が死因とされた
本判例において、もっとも争われた点は、「がん発見後に相手方病院の担当医らが患者及びその家族にその病状を説明しなかったことに法的責任(不法行為責任・債務不履行責任)があるか否か」であった。