医師の説明義務違反を認める
1. 本件免疫抑制剤投与の違法性
(1)喘息治療にメソトレキセート、エンドキサンの使用は許されるか
メトトレキサート(一般名)は免疫抑制作用等を有する薬剤(葉酸代謝拮抗薬)であり、抗がん剤、免疫抑制剤(販売名:メソトレキセート)、リウマチ治療薬として適応承認を受けている。他方シクロホスファミド(一般名)も免疫抑制作用を有する薬剤(アルキル化薬)であり、抗がん剤、免疫抑制剤(販売名:エンドキサン)として適応承認を受けている。メソトレキセートとエンドキサンの代表的な副作用は、汎血球減少、骨髄抑制などである。
判決は、両剤が喘息治療薬として適応承認を受けたことがなく、免疫抑制剤の使用は、喘息に対する標準的、一般的な治療法として確立したものでもないとした。そのうえで、(a)ガイドラインでは、難治性喘息に対する治療法として、免疫抑制剤の併用を考慮する場合があるとされていること、(b)平成12年当時、メソトレキセートを喘息治療に用いることの有効性を示す研究結果が複数報告され、ステロイド薬の効果が不十分な場合(ステロイド抵抗性喘息例)などの限定された条件のもと、臨床で試みるよう提唱する論文も発表されていたことを認定した。
そして、本件患者がステロイド抵抗性の重症喘息で症状悪化傾向にあり、大量のステロイド薬を投与しても制御が困難な状態であったために、(b)に挙げられているステロイド抵抗性喘息例に該当し、メソトレキセートの使用がただちに違法であるとは言えないとした。
エンドキサンについては、平成12年当時、アレルギー性肉芽腫性血管炎、ウェゲナー肉芽腫症等保険適用外の疾患を含むさまざまな疾患の治療に用いられていたことから、そこで確認されている効果と同一の効果を期待して使用を試みることやメソトレキセートとの併用を試みることも、ただちに違法であるとは言えないとした。
(2)メソトレキセート、エンドキサンを喘息治療に使用する際の前提要件
判決は、「免疫抑制剤が喘息治療薬として適用承認を受けたことはなく、免疫抑制剤の使用が喘息に対する標準的、一般的な治療法として確立したものではないことに加え、免疫抑制剤には重大な副作用が認められることからすれば、免疫抑制剤を使用した治療方法を選択するにあたっては、医師は、患者(患者が説明を理解できない場合には、患者に代わるべき親族)に対し、[1]当該治療方法の具体的内容、[2]当該治療方法がその時点でどの程度の有効性を有するとされているか、[3]想定される副作用の内容、程度及びその可能性、[4]当該治療方法を選択した場合と選択しなかった場合とにおける予後の見込み等について、説明を受ける者の理解力に応じて具体的に説明し、その同意を得たうえで実施しなければならず、このような説明と同意を欠いた場合には、たとえ当該治療方法がその時点における選択肢として最善のものであったとしても当該治療方法を実施したこと自体が違法であるとの評価を受けるものと解するのが相当である」とした。
(3)本件
判決は、本件免疫抑制剤投与は、以下の理由で具体的説明とそれにもとづく同意という前提要件を満たしているとは言えないから、違法との評価を免れないとした。
まずメソトレキセートの投与開始前の説明状況について、担当医は夫に対し、同時点での患者に対する治療内容を説明したうえで、(i)患者の喘息は、ステロイド抵抗性でコントロール不良な重症喘息であり、喘息による死亡の危険もあり、万が一の場合は、人工呼吸管理となること、(ii)メソトレキセートを使用した免疫抑制療法を実施すること、(iii)同療法の有効率は50%であることを説明し同剤を使用する同意を得たが、患者に対しては説明しなかったと認定した。
なお夫は被告大学を卒業した医師で、診療所を開設し数十年にわたり内科、小児科及び呼吸器科の診療を行った後、呼吸器科の医師として複数の病院に勤務するなど、本件事故の4年ほど前まで喘息患者の治療にあたっていたことから、患者の治療方針について頻繁に意見や希望を述べていた。
そして、患者について、判決はメソトレキセート投与開始当時、医師の説明を理解する能力をまったく欠いていたとまでは認められないから、説明、同意が必要であったとした。
夫については、仮に患者が医師である夫に治療方法を一任していたとしても、夫の年齢及び経歴からみて最先端の知見には通じていなかったと推認されることを考えると、免疫抑制療法の有効性に関する説明が抽象的であるうえ、50%という数値にも合理的な裏づけが認められない、エンドキサンの併用について説明をしていないなど、説明内容が不十分であったとした。
以上より、本件免疫抑制剤の投与は、説明、同意という前提要件を満たしていないから、違法であると判断した。
2. 因果関係
患者は、なんらかの感染症に罹患していたところ、免疫抑制剤の投与により感染症の症状が悪化し、敗血症を来して死亡するにいたったとして違法行為たる本件免疫抑制剤の投与と患者の死亡との間の因果関係を認め、損害賠償を命じた。