Vol.089 心筋梗塞患者の転送義務違反

~転送措置の開始が約70分遅延したとして転送義務違反の責任が認められた事例~

-神戸地方裁判所判決/平成17年(ワ)第867号、判例タイムズ1295号295頁-
協力:「医療問題弁護団」佐藤 生弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

はじめに

本件は、日曜日の昼、外来患者が急性心筋梗塞と診断され他院へ転送されようとしたところ、転送措置の途中で心室細動により死亡したことについて、転送措置が70分遅延したことが転送義務違反にあたり、遅延がなければ死亡することはなかったとして、死亡についての責任が肯定された事案である。

関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR‘S MAGAZINEで毎月連載中

事件内容

患者A(昭和13年生まれ)は、平成15年3月30日11時30分ごろ、自宅2階居室において胸に手をあてて息苦しそうにしていたところを妻Xに発見され、ただちに車で運ばれ、12時15分ごろ、医師Yの開設するB病院に到着した。B病院到着直後の検査では、Aの血圧は142/110、脈拍64で不整脈なし、体温は34.7度であった。
その後、12時30分ごろまでに心電図検査(5~6分くらい)が行われ、心電図上「II、III、aVf」にST波の上昇が見られた。B病院のC医師は、Aを問診したところ、11時30分ごろから胸部の圧迫痛を感じ始め、それが持続しているとの説明を聞き、12時39分、血液検査の指示を出した。
C医師は、Aが心筋梗塞であると判断したが、B病院では不可能な再灌流療法(PCI)をするための医療設備及び医療スタッフの備わっている病院(B病院の近隣に3病院があった)に転送するための行動をただちにとることはなく、12時45分ごろ、ソリタT3を500ml右前腕部に点滴して静脈路を確保し、13時3分にはミリスロールの点滴を開始した。このとき、Aの血圧は150/96で、胸部圧迫痛は持続していた。C医師は13時10分をすぎたころ、先に指示した血液検査とは別に、自らトロポニン検査を実施したところ、心筋梗塞陰性との結果を得た。13時40分には先に指示した血液検査の結果が出たが、それも心筋梗塞陰性であった。
C医師は、ミリスロールの点滴実施にもかかわらず、心筋梗塞の症状が軽減しないことから、PCIが可能な専門病院にAを転送することにして、13時50分ごろ、D病院に転送受け入れ要請をした。
14時15分ごろ、D病院から転送受け入れ了承の連絡を受け、14時21分に出動要請を受けた救急車が14時25分、B病院に到着した。
救急隊員が到着したとき、Aは内科処置室内のB病院のストレッチャーの上で横になって点滴を受けており、意識は清明だった。救急隊員がただちにAを救急車のストレッチャーに移そうとしたが、移す直前に意識が急変し、意識喪失状態となって呼吸が不安定になり、ストレッチャーに移された直後、除脳硬直(いわゆる「えび反り」となる全身の硬直)が見られた。
救急車のストレッチャーに移し替えようとした時点では、Aにモニターは装着されておらず、容態急変の直後にもモニターは装着されていなかった。
C医師は、Aの容態を見て脳梗塞を合併したと疑い、救急隊に対しCT室に運ぶよう指示した(理由は不明)が、CT室に着く前にAの自発呼吸まで消失し、蘇生術を行うために処置室へ戻した。 C医師は、14時47分、蘇生のためエピネフリン(エピクイック)を投与し、援助を求められたE医師が14時48分気管挿管をした。
その後、Aは蘇生措置としてエピネフリン、ドブトレックス及びプレドパの投薬を受けるなどしたが、15時36分、死亡が確認された。
死亡までの間、除細動器による電気的除細動は一度も行われていない。

判決

本件では、Aの直接の死因、C医師の転送義務違反の過失の有無及び同過失とA死亡との因果関係の有無が争われた。

(1) Aの直接の死因

判決は、Aの直接の死因は、急性心筋梗塞の合併症として発症した心室細動であるとした。

(2) C医師の転送義務違反の過失の有無

判決は、「C医師は血液検査の指示を出した12時39分の時点では、心電図検査の結果及び問診により、Aには急性心筋梗塞に典型的な所見、症状が見られることを把握しており、その所見や症状は、臨床医療上、ほぼ間違いなく急性心筋梗塞に足る程度のものであった」と認定した。
そして、証拠として提出された医学的知見を総合すれば、急性心筋梗塞の最善の治療法は再灌流療法であり、それもできるだけ早期に行うほど救命可能性が高まるから医師が急性心筋梗塞と診断したときには、可能な限り早期に再灌流療法を実施すべきであるとしたうえで、被告病院ではPCI等の再灌流療法は実施できないから、結局のところ、C医師としては12時39分の時点で、再灌流療法を実施することができ、かつ、救急患者の受け入れ態勢がある近隣の専門病院にできるだけ早期にAを転送すべき注意義務を負っていたとした。
そして、B病院に近隣する専門病院に対する調査嘱託の結果も踏まえ、近隣の2つの専門病院は休日に心筋梗塞患者の転送を受け入れており、いずれの病院とも受け入れの条件として血液検査の結果を求めてはいなかったのであるから、C医師が転送要請をすることになんら障害はなかったとしたうえで、それにもかかわらずC医師は12時39分の時点でただちに転送措置をとらず、「13時50分になってようやく転送要請の電話をしたのであって、約70分も転送措置の開始が遅れたことになる。すなわち、この点にC医師の転送義務違反の過失がある」とした。

(3) 因果関係

判決は、まず、「C医師が12時39分にただちに転送措置に着手していれば、Aは13時35分には転送先病院の処置室に運び込まれていたと推認できる」とした。
そのうえで、「急性心筋梗塞患者を受け入れた専門病院としてはPCIが実施されるまでの間、CCUにおいて効果的な不整脈管理がされ、致死的不整脈が発生すれば、速やかに除細動などの救急措置が行われたであろうということができる」として、C医師により転送義務が尽くされていれば、「14時25分に心室細動が発生したのに電気的除細動さえもされないという最悪の事態を避けることができたはずである」とした。
さらに、「発症後12時間以内のST波上昇型の心筋梗塞であれば再灌流療法が有効であること、急性期再灌流療法が積極的に施行されるようになってからは病院に到着した急性心筋梗塞患者の死亡率は10%以下であると見るのが相当であるとして、本件でC医師により転送義務が果たされていれば、Aは無事再灌流療法を受けることができ、90%程度の確率で生存していたと推認できるから、C医師の転送義務の懈怠とAの死亡との間には因果関係が肯定される」とした。

判例に学ぶ

医師は診療当時の実践における医療水準に則った医療を行う義務があり(最三判昭和57年3月30日)、人的物的施設の不備によりそれができないときは、ほかの専門病院に転送すべき義務があります(最一判平成17年12月8日)。これは、救急医療にあっても変わるところはありませんが、救急医療においては診察、検査等に種々の制約があるため、転送の要否・時期の決定等については困難をともない、判断は容易でありません。
これまで転送の遅延が問題となった判決例としては、いずれも頭部外傷患者について1時間あまり(東京地判昭和58年12月21日)、1時間30分(東京地判昭和59年5月8日)の遅延について過失が認められています。
本件は、急性心筋梗塞の患者について70分の遅延が問題となった事案であり、先に類例のないものです。
本件において被告は、近隣の専門病院へ転送要請をするためには、心電図検査のほかに血液検査の結果を添えることが事実上求められており、被告病院が転送義務を果たすためには、血液検査の結果を得ておく必要があったため、C医師が血液検査の結果が出るまで転送措置を開始しなかったことは、やむをえない取り扱いであるとして過失の不存在を主張しました。
しかし、判決は、急性心筋梗塞の早期診断において心電図はもっとも簡便で診断価値が高いとする一方で、心筋梗塞発症2時間未満に得られた血液データによる血液検査の有用性は低いとし、専門病院であれば心筋梗塞の急性期における血液検査が無意味であることぐらいよく理解しているはずであり、心筋梗塞に典型的な心電図所見や臨床症状が見られる患者について、さらに血液検査の実施を要求するとは考えられず、そのような要求が常態化しているとの不可解な実情があるとも考えられないとして被告の主張を排斥しました。
なお、実際にC医師が指示した血液検査の結果は、心筋梗塞陰性でしたがAの転送は受け入れられています。
本件は、心筋梗塞患者の転送義務が問題となった事案であるとともに、心筋梗塞患者の転送の要否・時期の決定について、ひとつの指標を示しているものと言えます。