Vol.098 肺がん手術における説明義務

~右肺葉中葉への転移について、医師の右肺葉切除手術前の説明義務を否定し、右肺葉切除手術中の説明義務違反を認めた裁判例~

-東京高裁平成16年10月28日判決、2009WLJPCA10280020-
協力:「医療問題弁護団」谷直樹弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者亡A(歯科医師)が、肺がんの疑いがあると診断され、平成8年9月9日、被控訴人病院に入院し、同月18日に肺葉切除手術(「第1回手術」)を受け、同年11月14日に気管支断端瘻の閉鎖及び右有瘻性膿胸に対する手術(「第2回手術」)を受け、平成11年2月24日に死亡した事案である。
客観的には亡Aの肺がんは、IIIB期であった。欧米をはじめ世界各国の趨勢は、IIIB期はまったく手術適応外と見なされているが、日本では、IIIB期についても根治的切除ができ予後が比較的良好と判断されるものについては積極的に手術を試みる状況であった。
亡Aは、被控訴人病院入院前から、がんが、進行がんで手術をしても治る可能性が低い場合には手術を受けたくないと考えていた。このことを担当医師らは十分に理解していた。
術前、担当医師らは、亡Aに対して本件腫瘍が悪性であることを明言せず、また、本件リンパ節腫大についても触れていなかった。担当医らは控訴人X2に対し、本件リンパ節腫大が存在するが、がんの転移としてはtypical(典型的、特徴的)ではないので炎症ではないかと思っていること、手術をしないと進行は速いと思うし、リンパ節はたぶんがんの転移ではなく炎症からきたものだと思うので、手術したほうがいいと思うと説明した。
術中の病理検査で、がんの肺内転移が確認でき、IIIB期であることが判明したが、担当医師らはそのまま手術を続行した。

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判決

一審判決(東京地裁平成15年10月9日判決)は、術前、術中の説明義務違反を認め説明義務違反と死亡結果との因果関係を否定した。高裁判決は、術前の説明義務違反を否定して、術中の説明義務違反を認め、その説明義務違反と死亡結果との因果関係を肯定した。
なお、被控訴人は、気管支断端瘻の発見の遅れ、第2回手術における右胸水を左肺に吸引させる等の注意義務違反も主張したが、高裁判決はそれらを認めなかった。


1 第1回手術前における説明義務違反について


[1]事実認定

第1回手術前のCT検査の結果、同側縦隔リンパ節である3番リンパ節が約1センチメートルに腫大していたが、第1回手術中に行われた病理学的検査の結果がんの転移はなかった。
第1回手術中に行われた病理学的検査において、がんの転移が認められた1番の上縦隔リンパ節について、担当医師らがこれを手術前に認識していたことないし、認識しうる可能性があったことを認めるに足りる証拠はない。

[2]説明義務否定

担当医師らが亡Aないし控訴人X2に対して、本件結節状病変についてがんの転移である可能性があること等の説明をしていれば、亡Aが第1回手術を受けることを承諾しなかったとまで断定することは困難であり、説明があれば亡Aにおいて上記手術を受けることに対する承諾をしなかったと認めるに足りる証拠もないから、第1回手術前の段階において担当医師らが亡Aに対して本件リンパ節腫大のほか右肺中葉にも本件結節状病変があり、これが、がんの転移である可能性もある旨を説明すべき注意義務があったと認めることは困難である。


2 第1回手術中における説明義務違反について


[1]事実認定

担当医師らは、第1回手術中に、右肺中葉の本件結節病変が、がんの肺内転移であり、亡Aの臨床病期がIIIB期であることを確認したのであるから、その時点で、手術室の前で待機していた控訴人らに対して、右肺中葉の本件結節状病変が、がんの肺内転移であることを説明することが可能であった。

[2]説明義務肯定

亡Aないし控訴人らが、亡Aの右肺中葉の本件結節状病変が、がんの肺内転移であることの説明を受け手術を続行することについての判断を求められた場合には、亡Aもまた控訴人らにおいても手術を続行することを決断する可能性はなかった、仮に、その可能性があったとしても、その程度はかなり低かったものと言うべきである。
したがって、担当医師らとしては、第1回手術中に右肺中葉の本件結節状病変が、がんの肺内転移であり、亡Aの臨床病期がIIIB期であることを確認した時点で、少なくとも、自ら、または他の担当医師をして控訴人らに対し、上記がんの肺内転移がある旨の説明をするべき注意義務があったにもかかわらず、担当医師らがそのような説明をした形跡がないことに照らせば、担当医師らには、上記説明義務を怠った過失があると言うべきである。

[3]因果関係

高裁判決は、説明義務違反と死亡結果との間の因果関係を肯定した。 すなわち第1回手術中説明義務を尽くしていれば、第1回手術は続行されていなかった、第1回手術が続行されていなければ重篤な術後合併症である気管支断端瘻、右有瘻性膿胸及び肺炎が発症し、呼吸状態や肝機能の悪化、意識の低下等がもたらされることもなかった、第2回手術後に広範な器質化肺炎が生じ、そのために肺機能が著しく低下して呼吸不全に陥り、また心不全にいたることもなく、これが原因で死亡することもなかった、と認定した。

判例に学ぶ

一般に最高裁判決を含め多くの判決は、因果関係がなくても説明義務違反があるだけで決断の機会を奪われ自己決定権が侵害されたと考えます。
ところが、この高裁判決は、説明すれば第1回手術を受けること、あるいは継続することを承諾しなかったかどうか、という観点から、説明義務の有無を判断しています。この考え方は、きわめて特殊な考え方です。
また、高裁判決は、一方で、術前に説明を受けていても手術を受けなかったとは言えない、と認定し、他方で術中に説明を受けていたら手術を継続したとは言えない、と認定していますが、この認定には、明らかに無理があります。
患者は、進行がんで手術をしても治る可能性が低い場合には、手術を受けたくないと考えていて、家族もそのことを知っていたのですから、術前、術中のどちらかにでも説明を受けていれば、肺葉切除手術を受けなかった、継続しなかった、と考えられます。
したがって、もし、術前の説明義務を否定するならば、手術前の検査結果からは、右肺中葉にがんの転移があることの認識可能性がない、という理由で否定すべきでしょう。
因果関係については、亡Aの意思から説明義務違反と死亡結果との因果関係を認めた高裁判決が適切です。