Vol.124 自院で気道確保ができない患者を転送すべき時期

~急性喉頭蓋炎の患者について、外科的気道確保をするか、それが可能な他の医療機関に転送すべき注意義務違反があるとされた事例~

-東京地裁平成24年1月26日判決・判例タイムズ1376号177頁-
協力:「医療問題弁護団」海野 仁志弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

平成19年11月27日午後2時30分ころ、Dは、喉の痛みを訴えて、被告Y1が開設し、被告Y2と被告Y3が院長と副院長を務める二次救急病院(以下、「本件病院」という。)を受診して訴外F医師の診察を受けた。F医師は、診療録に「脱水、水分摂取不能、急性扁桃腺炎疑、インフルエンザ陰性、急性喉頭膿瘍疑、急変考え念の為入院」、「Y3先生よろしくお願い申し上げます」と記載した。
午後4時ころDは入院し、Y3が診察した。Y3は、診療録に「急性扁桃炎、血中白血球数高値もあり急性喉頭蓋炎疑とのこと」と記載し、抗生物質等を点滴静注するほか、Dをナースステーションに一番近い病室に入院させることとし、看護師に対して経過をよく見るように指示をした。
午後6時15分ころ、Dは、トイレで嘔吐し、呼吸苦、末梢チアノーゼが著明であったところを看護師に発見され、病室に戻って酸素マスクでの酸素投与が開始された。
午後6時30分ころY2及びY3が来室して点滴やアンビューバックの施行などの措置をし、午後7時ころに、Y3は、気管支鏡(内視鏡)による挿管を試みたが、口腔内から咽頭まで浮腫が非常に著明で観察困難で、挿管できなかった。
午後7時22分ころ、Y3は、再度、気管支鏡による挿管を試みたが、挿管できなかった。
午後8時15分ころ、Y2は、喉頭鏡による挿管を試みたが、挿管できなかった。
午後8時42分ころ救急車の要請がされ、午後9時3分ころ、救急車は墨東病院に到着した。到着時、Dは心肺停止状態であり、即座に輪状甲状靱帯切開が行われ、気道が確保された。
同月30日午後2時56分、Dは、低酸素脳症により死亡した。Dの遺族である原告らは、Y2及びY3には、
1.Dに対し、常時かつ慎重に経過観察を行いつつ、容態急変前に外科的気道確保が可能な救急病院に転送し、又は容態が急変した場合に直ちに転送するための準備をすべき具体的な義務を負っていたにもかかわらず、これを怠った過失、
2.同月27日午後7時22分の時点で速やかに外科的気道確保をなすか、外科的気道確保の可能な救急医療機関に転送すべき義務があったにもかかわらず、漫然と挿管を繰り返してこれを怠った過失
があるなどと主張し、被告らに対して、不法行為に基づき、損害賠償金の支払を求めた。

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判決

裁判所は、1.について、「被告医師らは緊急時の外科的気道確保の経験はないものの、気管挿管や待機的な外科的気道確保については経験があり、本件病院としても、急変時でも相応の対応はできる技術、人員等は有しており、前述したとおり、成人の急性喉頭蓋炎の患者については、注意深く経過観察することでもよいとされていることなどからしても、Dに呼吸困難がみられるなど急変が生じる以前から、あらかじめ、他の救急病院に転送しなければならないという注意義務があったと認めることはできない。」として、急変前の時点における転医義務は認めなかった。

一方、2.については、医師の注意義務について、「呼吸困難を呈する患者に対して、どのような気道確保をするかについては、一定程度、医師の裁量に委ねられるというべきであるが、患者の状態に照らし、気管挿管が困難であることが明白であり、直ちに気道確保しなければ、患者の生命に重大な影響を及ぼす危険がある場合には、医師には、気管切開等の外科的気道確保を行うか、自ら行うことができない場合には、外科的気道確保が可能な他の医療機関に転送すべき注意義務が課されているというべきである。」と述べたうえで、急性喉頭蓋炎の場合には、外科的気道確保が必要になる可能性が高く、常に外科的気道確保を念頭において、気道確保の処置にあたる必要があることを指摘し、「外傷初期診療ガイドラインを含む各医学的知見を踏まえて、総合的に考慮すれば、被告Y3医師及び同Y2医師は、2回目の気管挿管を試み、これに失敗した午後7時22分ころには、気管挿管は困難と判断し、直ちに外科的気道確保をなすか、自らできない場合は外科的気道確保の可能な他の医療機関に転送すべき注意義務があったというべきであり、このような措置をとらなかった被告Y3医師及び同Y2医師の措置には注意義務違反があったというべきである。」として被告らの責任を認めた。

なお、裁判所は、仮に午後7時22分の時点で外科的気道確保がなされていたとしても、Dに後遺障害が残った可能性が高いとして、Dの逸失利益のうち15%のみを相当因果関係のある損害と認め、被告らに対し、慰謝料と併せて合計4700万円余を原告らに対して支払うよう命じている。

判例に学ぶ

人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求され(最高裁昭和36・2・16判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、その注意義務の基準は、一般的には、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における「医療水準」です。
そして、基準となる「医療水準」は、診療にあたった医師(医療機関)が診療当時に有すべき医療上の知見であり(最高裁昭和57・3・30判決参照)、当該医師の専門分野、所属する医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられます(最判平成7・6・9)。
患者から診療を求められた医師は、自ら医療水準に応じた診療をすることができないときには、それが可能な医療機関へ患者を転送すべき義務を負います。すなわち、診療契約に基づく医師の債務の内容として、通常受けることができると期待される「医療水準」と同等以上の医療を提供することがあるため、一定の医療上の知見に基づく処置が当該医師の通常有すべき「医療水準」である場合において、当該医療機関にその知見に基づく検査・診療を実施するための能力(技術・設備等)がない場合、当該医師には、その能力を有する他の医療機関に患者を転送し、又は転医の必要性の説明をする義務が発生します。
なお、保険医療機関及び保険医療養担当規則16条は「保険医は、患者の疾病又は負傷が自己の専門外にわたるものであるとき、又はその診療について疑義があるときは、他の保険医療機関へ転医させ、又は他の保険医の対診を求める等診療について適切な措置を講じなければならない。」として、転医義務を明示的に規定していますが、上記のとおり、転医義務は、もともと診療契約に基づく債務ですから、自由診療の場合にも診療契約の内容に応じて認められます。
医師が、担当する患者について、責任をもって最後まで自ら治療をしようと努力する姿勢自体は、決して非難されるものではありません。しかし、自らの能力を超え、又は必要な機材がないために「医療水準」以上の医療の提供ができない場合、転医できるのに転医せず、自らが治療を行うことに固執することは、患者の「医療水準」の医療を受ける権利を侵害するものであることを忘れてはなりません。
医師や医療機関が転医をしないことについて合理的な理由(転医の手段がない、転医による生命の危険が高い等)が認められる場合には、転医義務違反の問題は生じないことになります。しかし、そもそも「医療水準」の医療が提供できていなければ、それ自体が問題となるのは当然です。
なお、本判決では、裁判所は、被告の医療機関が「急変時でも相応の対応はできる技術、人員等は有して」いたとして、患者の急変前の転医義務を認めませんでした。しかし、急変前から「医療水準」の対応ができないことが明らかな事案などでは、事前に他の医療機関に転医をさせ、又は必要になった時点ですぐに転医できるように準備すべき義務も認められ得るものですし、その場合には、転医義務違反と結果発生との相当因果関係も認められやすいと考えられます。