Vol.150 期待権の侵害に基づく損害賠償請求

―適切な医療行為を受ける期待権の侵害のみを理由とした整形外科医の不法行為責任の有無を、検討する余地がないとされた事例―

最高裁判所平成23年2月25日第二小法廷判決 判例タイムズ1344号110頁-114頁
協力「医療問題弁護団」白鳥 秀明弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

 Aは、1988年10月、左脛骨高原骨折によりB病院に入院し、C医師の執刀による骨接合及び骨移植手術(以下「本件手術」という)を受けた。
Aは9年後の1997年10月に、C医師の診察を受けた際に、C医師に対して本件手術が行われた左足の腫れが続いていることを訴えた。C医師はレントゲン撮影等を行ったものの、格別の措置を講じなかった。
その後も、Aは3年間に2回、C医師に対して同様の訴えを行ったが、C医師は皮膚科の受診などを勧めるにとどまった。
Aは2001年4月から10月にかけて受診した別の病院で、左下肢につき深部静脈血栓症ないし静脈血栓症後遺症(以下「本件後遺症」という)と診断された。もっとも、Aの本件後遺症は、1997年10月の時点において治療を施しても、効果が期待できない状態であった。AはC医師が当時の医療水準にかなった適切かつ真摯な医療行為を行わなかったので、期待権を侵害されたなどとして、不法行為に基づく損害賠償を求めた。
期待権とは、患者の適時に適切な医療を受けることに対する期待を、法的な保護の対象として、損害賠償責任の根拠として、把握した概念である。なお、実定法上は、期待権は明文で規定されてはいない。

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判決

 最高裁判所は、事実関係として、[1]本件手術により装着されたボルトの抜釘後については、A は本件手術後約9年を経過した1997年10月22日にB病院にてC医師の診察を受けるまで左足の腫れを訴えることはなく、その後の2回の通院時にも、左足の腫れやあざ様の変色を訴えたにとどまっていること、[2]C医師は、Aの各診察時において、レントゲン撮影等の検査を行い、皮膚科での受診を勧めるなどしていたこと、[3]Aの各診察時における医学水準においては、下肢の手術に伴う深部静脈血栓症の発生頻度が高いことが我が国の整形外科医において一般に認識されていたわけでもないことを認定した。
そのうえで、「C医師が、Aの左足の腫れ等の原因が深部静脈血栓症にあることを疑うには至らず、専門医に紹介するなどしなかったとしても、Cの医療行為が著しく不適切なものであったということができないことは明らかである」と認定した。
そして、B病院の責任については、「患者が適切な医療行為を受けることができなかった場合に、医師が、患者に対して適切な医療行為を受ける期待権の侵害のみを理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは、当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるべきものであるところ、本件はそのような事案とは言えない」と判示した。

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判例に学ぶ

(1)保護法益の3段階構造
医療過誤事案における保護法益としては、従来から「3段階の保護法益」が理解されてきた。これについての最高裁判所の判断枠組みをまとめると、以下の通りとなる。
[1]生命・身体そのもの
医師の過失行為と、患者の死亡あるいは後遺症等との間の因果関係が認められた場合には、過失行為により患者の生命や身体を侵害されたものとして、財産的及び精神的損害賠償責任が認められる。
[2]生存等の相当程度の可能性
[1]が認められない場合でも、医師の過失行為が無ければ、患者の生存等していた相当程度の可能性が認められた場合には、過失行為により患者の生存等の相当程度の可能性を侵害したものとして、精神的損害賠償責任が認められる。
[3]期待権
[2]も認められないときは、医師の過失行為を前提として、当該医療行為が著しく不適切なものであるという場合に限り、期待権を侵害したものとして、精神的損害賠償責任を認める余地がある(本件判例からの解釈)。

(2)期待権の侵害
患者は適切な治療を受けることを期待して、医師のもとを訪れる。そこで、仮に期待に反する不適切な医療が行われたとしても、患者に生じたであろう結果が変わらないのであれば、患者の生命や身体が侵害されたとは言えない。期待権の侵害とは、このような場合に、患者の医療に対する期待をどこまで法的に保護するべきかという問題である。
最高裁判所は、従来からこの期待権侵害を理由とする損害賠償請求を認めること自体について、懐疑的な態度を取っているものと考えられてきたが、本件判例では、議論のあった期待権侵害を理由とする損害賠償責任について、最高裁判所が一定の判断を示した。

(3)本件判例の判断内容
最高裁判所は本件のAについて、仮に1997年10月当時に適切な診断と治療がなされていたとしても、本件後遺症が生じ得なかった相当程度の可能性すら、認められないという前提に立った。
そのうえで、期待権侵害を理由とする損害賠償については、「当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまる」とし、そのような事案でない限りは、そもそも期待権侵害を理由とする損害賠償責任を検討する余地はない旨を判示した。
この「著しく不適切」をさらに読み解くならば、同様に期待権侵害が争われた最高裁判所判決平成17年12月8日(裁判集民事218号1075頁)が参考になる。同判決の中で、島田裁判官は補足意見で「因果関係の証明(中略)すらされない場合に、なお医師に過失責任を負わせるのは、(当該医療行為が)著しく不適切不十分な場合に限るべきであろう」と述べていた。また、才口裁判官は補足意見で「医師の検査、治療等が医療行為の名に値しないような例外的な場合」には、期待権侵害に基づく損害賠償を認める余地があると述べた。本判決は、過去の判例のこれらの裁判官の意見を集約した判決であると考えられる。
まとめれば、期待権侵害に基づく損害賠償請求が検討されうるのは、医師の行為が医療行為の名に値しないような場合や、医師の行為が医療行為として著しく不適切不十分な場合、医師の行為がおよそ一般に当該医療機関に期待される医療水準をはるかに下回るような場合に限られることとなる。

(4)期待権侵害を認めた裁判例
本件後に期待権侵害を理由に損害賠償責任を認めた裁判例として、大阪地方裁判所判決平成23年7月25日(判例タイムズ1354号192頁)がある。
この事件では、出産後出血が継続しDICを発症した患者について、看護師がFFP手配のための連絡先電話番号の確認に手間取り、電話連絡が約30分遅れた。結果、輸血が約30分遅れ、その他の事情もあり患者が死亡した。これについて、患者の遺族が損害賠償を請求したものである。
本裁判例の判決は、患者に適時に輸血ができていたとしても、救命可能性が非常に低かったことを前提に、医療者の行為と死亡との間の因果関係を否定した。しかし、電話連絡の遅れについては、看護師個人の責任のみならず、院内の体制も含めて「重過失ともいうべき著しく不適切な措置」とし、期待権の侵害を認定した。
患者の救命のために一刻を争う場面において、輸血の時期が重要な要素となることは明らかである。本件における電話連絡の過誤は、医療機関としての医療水準の議論以前に、わずかな対応で容易に回避できる単純な過誤であって、「当該医療行為が著しく不適切なものである事案」と評価されてもやむを得ないだろう。本裁判例で認容された損害賠償額は、60万円であった(なお、控訴審では異なる事実認定がなされ、期待権については判断されなかった)。

(5)まとめ
医師に過失行為が認められても、期待権の侵害を理由に損害賠償責任が認められるケースは極めて限られる。また、裁判例をみると、仮に期待権の侵害が認められても、その損害の認容額は前記のような額にとどまる。