Vol.154 試行的医療における説明義務

―医師は、具体的かつ詳細な説明を行うことで、患者が同手術の内容や位置付けについて理解したうえでこれを受けるか否かを判断する機会を与えるべき注意義務があったのに、これを怠った過失があるとされた事例―

大阪地方裁判所平成20年2月13日判決
協力「医療問題弁護団」渡邊 隼人弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

Aは、1991年10月7日、交通事故に遭い、その後、痙性斜頸の症状を呈し、1992年11月19日から痙性斜頸の治療のためY病院神経科を通院したが、痙性斜頸の症状は軽快しなかった。Aは1993年3月11日、Y病院に入院し、同月17日、痙性斜頸治療のため、副神経減圧術を受け、同年4月12日にY 病院を退院した。A は、1993年7月15日、Y病院に再入院し、同月19日、本件アドリアシン注入術(副神経と頸神経の一部にアドリアシンを注入し、神経の活動を低下させ、その神経の支配する頸筋の緊張を緩和することによって痙性斜頸の症状を改善させる治療法)を受けたが、痙性斜頸は改善されなかった。1993年9月10日、Aは頭部CT検査により水頭症と診断され、同月11日、水頭症の治療のため、シャント術を受けた。翌1994年2月28日には退院したものの、同年3月22日に急変し、同月28日、第四脳室水頭症に対する再シャント術を受けた。しかし、Aの全身状態、神経学的所見に大きな変動はなく、2003年4月15日、Aは死亡した。
Aの遺族であるXらは、担当医師や病院に対して、適応のないアドリアシン注入術を行った過失及び説明を怠った過失がある等と主張して損害賠償請求訴訟を提起した。

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判決

1 適応のない外科的治療を実施した過失の有無
裁判所は、前提として、「アドリアシンは抗悪性腫瘍剤であり、本件アドリアシン注入術は、アドリアシンを抗悪性腫瘍剤として使用するのではなく、神経ブロック療法の神経毒として使用するものであるから、アドリアシンの添付文書が想定する治療法とは前提を異にしていることを理由に、添付文書上の適応及び用法と形式的に異なっているからといって、直ちに医学的適応を否定することはできず、添付文書以外の医学文献等に基づいて判断する必要がある」ことを示した。
その上で痙性斜頸に対しては、1993年当時、「標準的な治療法や根拠のある治療法は確立されていなかったのであり、試行錯誤の中で治療が行われていたものというべきであるから、先端的な治療法であっても、その医学的な合理性、有効性及び安全性等が認められるのであれば、当該治療法を実施するのにふさわしい高次医療機関において、しかるべき医師の下で、そのような治療を実施することも許される場合があるということができる」とし、「痙性斜頸に対する外科的治療としての医学的合理性、有効性、安全性、治療を実施する環境等を総合的に考慮して医学的適応の有無を判断すべきものというべきである」との判断枠組みに基づいて、結論として、過失を否定した。

2 説明義務違反の有無
裁判所は、「本件アドリアシン注入術は、新たな治療法として発表されつつある段階にあったアドリアシン注入術を、痙性斜頸の治療に応用する最初の症例であり、先端的な治療法であったこと」を認めた上で、「Aにおいて、本件アドリアシン注入術を受ける以外に治療の選択肢がなかったとはいえないのであるから、先端的な治療法である本件アドリアシン注入術を受けるか否かは、Aが、本件アドリアシン注入術の具体的内容や先端的な治療法であることなどを十分理解した上で、自らの意思で選択されるべきものであったといえる。
したがって、Y2医師をはじめとするY病院医師らとしては、本件アドリアシン注入術を実施するに当たり、患者であるAに対し、診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療法の内容と利害得失、予後などの説明に加え、アドリアシン注入術の作用機序や痙性斜頸に対してアドリアシン注入術を実施することの合理性、有効性、危険性、アドリアシン注入術の治療法としての成熟度(アドリアシン注入術は、神経痛や不随意運動の症例に対する 新たな治療法として発表されつつある段階であり、痙性斜頸に対しては、過去に症例のない新たな試みであること)など、本件アドリアシン注入術についての具体的かつ詳細な説明を行うことで、Aが、本件アドリアシン注入術の内容や位置付けについて理解した上で、本件アドリアシン注入術を受けるか否かを判断する機会を与えるべき注意義務があったというべき」と判示した。
そして、裁判所は、この判断枠組みに従い、「アドリアシン注入術に関しては、副神経にアドリアシンという薬を注入し、活動性を下げる予定であるといった程度の説明が行われたにとどまり、アドリアシン注入術の作用機序や痙性斜頸に対してアドリアシン注入術を実施することの合理性、有効性、危険性、アドリアシン注入術の治療法としての成熟度など、本件アドリアシン注入術についての具体的かつ詳細な説明は行われなかった」と認定し、説明義務違反を認めた。

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判例に学ぶ

医療が進歩・発展してきた現在においても、人体は未解明の分野を数多く残しており、研究が進められているところである。また、現在、医療水準として確立されている医療行為についても、初めから医療水準が確立されていたわけではなく、新しい方法として考え出され、その後の臨床研究などを経て医療水準として確立されてきたものである。
こうした発展の過程で行われる試行的医療には、「人の病気を治す」という目的以外に人体実験的側面があることは否めない。そのため、通常の医療行為と異なり、インフォームド・コンセントのための医師の説明義務についても、こうした試行的医療の特性を考慮して検討しなければならない。
本件の裁判例で問題となったアドリアシン注入術は、1993年当時試行錯誤されていた痙性斜頸の治療法として行われ、そ の方法はアドリアシンの添付文書で規定されていた使用方法とは異なるものであり、まさに試行的な側面を有していた。
裁判所は、試行的医療の特性を持つ本件アドリアシン注入術の説明について、通常の医療行為でも求められる説明事項(診断、実施予定手術の内容、付随する危険性、他に選択可能な治療法の内容と利害得失、予後)のほか、アドリアシン注入術の治療法としての成熟度などについても術前に説明すべきであったとして、説明義務の内容を加重している。
こうした裁判所の判断は、患者であるAが内容について十分理解した上で同意する必要があると考えたからであるが、その理由は本件アドリアシン注入術が試行的医療としての特性があり、治療の有効性や患者の安全性について未確立な部分が多いという点にあると思われる。
有効性・安全性が未確立という点では治験・臨床研究も同様であり、本件裁判例で示された説明義務の加重が当てはまると考えられる。また、現在、コンパッショネート・ユースについて日本でも導入が検討されていることを踏まえると、今後、有効性や安全性が未確立な状態で試行的に医療行為を行っていく場面に遭遇する機会は増えるかもしれない。
本裁判例はこのような場面における説明義務の参考となるもので、有効性・安全性が未確立な医療行為を行う際には、当該医療行為について具体的かつ詳細な説明をした上で、患者に理解させ自らの意思で治療法を選択させることを求めている。