Vol.158 下大静脈フィルター抜去に際しての注意義務

―下大静脈フィルターを抜去する前に造影検査を行って塞栓子の捕獲の有無を確認する義務が認められた裁判例―

東京地裁平成26年9月20日判決(医療判例解説第61号掲載予定)
協力「医療問題弁護団」谷 直樹弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

S状結腸がんの患者は、平成23年、被告の開設する大学病院で、腹部超音波検査の結果、外腸骨静脈から総腸骨静脈にかけて約5cmの淡いHighEcho が充満しており血栓又は腫瘍栓が疑われると診断された。また、腹部造影CT検査の結果、右総腸骨静脈に塞栓子があり内部に淡い造影効果があることから腫瘍栓が疑われると診断された。
循環器内科のA医師は、右総腸骨静脈の塞栓子による肺塞栓症の危険があり、これを予防するため同年9月10日に下大静脈フィルターを挿入した。
第二外科のB医師は、腸閉塞を予防するために人工肛門造設術を行い、その後抗がん剤治療によってがんを縮小させてから切除するという治療方針により、同月14日に人工肛門造設術を実施した。
A医師は、同月20日に、事前に造影検査を行って塞栓子の捕獲の有無を確認することなく、下大静脈フィルターを抜去した。その8分後に患者の眼球が上転して呼びかけに反応しなくなり、心電図で心室頻拍が確認された。その後塞栓子が確認され、肺塞栓症と診断され、肺塞栓症予防のため再び下大静脈フィルターを挿入され、多臓器不全により死亡するに至った。
下大静脈フィルターとは、塞栓子が肺動脈に移動する前に捕獲することによって致命的な肺塞栓症を防ぐために挿入されるものである。

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判決

1 塞栓子の捕獲の有無につき確認を怠った注意義務違反

判決は、「下大静脈フィルターを抜去するに当たっては、塞栓子が捕獲されている可能性を想定し、抜去に伴って塞栓子が遊離して肺塞栓症を引き起こす危険を避けなければならない。そのためには、事前に造影検査を行って塞栓子の捕獲の有無を確認し、捕獲が確認された場合は、塞栓子の大きさや捕獲の態様などからその時点での抜去の適否を慎重に検討することが求められるというべき」と判示した。
また、「下大静脈フィルター回収キットの添付文書に『下大静脈フィルターの回収前には、血管造影等を行い、捕獲した血栓の評価を行うこと。』などと記載されていること(甲B1)に照らしても、医師は、下大静脈フィルターを抜去するに当たっては、肺塞栓症の危険が明らかに小さいと考えられるとき、緊急に抜去する必要があるとき、造影剤の使用が禁忌とされるときなど、特段の事情があるときを除き、原則として事前に造影検査を行って塞栓子の捕獲の有無を確認する義務があるというべきである。」と判示した。
そして、「本件では、患者について、右総腸骨静脈に長さ約5cmの腫瘍栓と疑われる塞栓子が確認され、そのため周術期において本件フィルターを挿入したのであり、また、緊急に抜去する必要があることや造影剤の使用が禁忌とされることを窺わせる事情も認められない。したがって、塞栓子の捕獲の有無の確認を不要とする特段の事情がない以上、A医師は、本件フィルターを抜去するに当たり事前に造影検査を行って塞栓子の捕獲の有無を確認すべき注意義務を負っており、これを怠った注意義務違反があると認められる。」とした。

2 注意義務違反と結果(患者の死亡)との因果関係

判決は、「血液が下大静脈フィルターの留置部位から肺動脈まで移動するのにかかる時間は数秒から10秒程度であること」、「患者の肺塞栓症を引き起こした腫瘍栓は長さ5.5cmで致命的な肺塞栓症を引き起こすものであったこと」を認定し、「本件フィルターに捕獲されていた腫瘍栓が抜去に伴って遊離した場合、血液の上記移動時間に近い時間の範囲内で肺動脈を閉塞させ、それから間もなく肺塞栓症による容体の急変が生ずるのが通常の機序であると認められる。」と判示した。
さらに、「本件フィルター抜去直前の心拍数は、午前11時29分100回、同33分100回、同34分101回となっていたことを認めることができ、抜去直前の静脈内の血流が速まり、本件フィルター抜去後に右総腸骨静脈から腫瘍栓が遊離した可能性も否定できない」、「右総腸骨静脈から抜去後の体動等が直接の原因となって腫瘍栓が遊離して肺塞栓症を引き起こした可能性も考えられるところである」、「本件フィルターが抜去時に腫瘍栓を捕獲していたことを窺わせる事情が認められない」ことから、「本件フィルターに捕獲されていた腫瘍栓が抜去に伴い遊離して肺塞栓症を引き起こしたと認定することはできない。」と判示し、因果関係は認められないとした。

3 相当程度の可能性

判決は、「本件フィルターを留置していた9日間のうちに腫瘍栓が右総腸骨静脈から遊離して本件フィルターに捕獲され、本件フィルターの抜去に伴って遊離して右心房でしばらく留まった後に肺塞栓症を引き起こした可能性は、本件フィルターの抜去から患者の容体急変までの時間が比較的近接していることからすれば、相当程度あるというべきである。」と判示した。
A医師の注意義務違反がなければ、患者は肺塞栓症を発症することもなく、死亡した時点でなお生存していた相当程度の可能性があると認められるとした。

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判例に学ぶ


①肺塞栓症の危険が明らかに小さいと考えられるとき、②緊急に抜去する必要があるとき、③造影剤の使用が禁忌とされるとき、などの例外はあるが、腫瘍栓捕獲の目的であっても、念のために挿入しただけであっても、添付文書の「下大静脈フィルターの回収前には、血管造影等を行い、捕獲した血栓の評価を行うこと。」の記載は遵守すべきである。
下大静脈フィルターを抜去するに当たっては、塞栓子が捕獲されている可能性を想定し、抜去に伴って塞栓子が遊離して肺塞栓症を引き起こす危険を避けなければならない。そのためには、事前に造影検査を行って塞栓子の捕獲の有無を確認し、捕獲が確認された場合は、塞栓子の大きさや捕獲の態様などからその時点での抜去の適否を慎重に検討することが求められるからである。
なお、判決は、下大静脈フィルターに捕獲されていた塞栓子が抜去に伴って遊離した可能性も、下大静脈フィルター抜去後にたまたま遊離した可能性も、いずれも考えられると認定した。造影検査を行って塞栓子の捕獲の有無を確認しなかった注意義務違反と患者の肺塞栓発症・死亡との間の因果関係を認めなかったが、肺塞栓症を発症しなかった相当程度の可能性、死亡の時点で生存していた相当程度の可能性を認めた。A医師の過失(造影検査の不実施)により、患者側は下大静脈フィルターに捕獲されていた塞栓子が抜去に伴って遊離したことを立証できず、医療側は下大静脈フィルター抜去後にたまたま遊離したことが立証できなかった。そのため、相当程度の可能性を認めるという中間的な解決となったが、A医師の過失と被告の賠償責任が認められたことは、重く受けとめるべきであろう。