Vol.161 病名及び病状についての説明義務

―膀胱がんに罹患している可能性には言及せずに、膀胱全摘術の必要性について説明しても、説明義務を尽くしたとはいえないとされた事例―

名古屋高判平成26年5月29日 (判時2243号44頁)
協力「医療問題弁護団」五十嵐 実保子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

Xらの父亡A(当時77歳)は、右腎盂腎炎を発症し、平成17年3月14日にYが開設するy 病院に入院、同年4月4日に尿管皮膚瘻術を受けた。しかし、術後に発熱が続き、抗生剤の投与を続けても効果がなかった。同年5月2、9、11、16日には、膀胱洗浄の際に血性排液が確認された。y病院のB医師は、同年6月22日、亡Aに対し、これ以上の治療は膀胱全摘術しかないなどと説明し、これを実施可能なz病院を紹介した。その後、Xは、z病院のC医師から、膀胱全摘術を実施すると人工肛門造設術が必要となる可能性が高いなどの説明を受け、膀胱全摘術を受けないこととした。亡Aは、同年9月20日、悪性の膀 胱腫瘍により死亡した。
本件は、XらがYに対し、使用者責任又は診療契約上の債務不履行に基づき、損害賠償を請求したものである。
原判決は、y病院の担当医師は、膀胱洗浄を実施し、血性排液を確認した時点において、亡Aに膀胱がんが発症していることを疑い、検査を実施した上、当該検査結果に応じた治療をすべき義務(検索治療義務)を負っており、同義務違反及びこれと亡Aの死亡との間に相当因果関係が認められるとして、Xらの請求の一部を認容した。
Yはこれを不服として控訴し、膀胱がんの存在を疑い精査する必要性があったとはいえないなどと主張したほか、診療契約上の説明義務違反もないと主張した。

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判決

本判決は、検索治療義務違反を認めた原判決の判断は相当であるとした上で、説明義務違反はないとのYの主張に対し、以下のとおり判断した。
(1) 医師は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務があり、また、医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には、患者がそのいずれを選択するかにつき熟慮の上判断することができるような仕方で、それぞれの療法(術式)の違いや利害得失を分かりやすく説明することが求められると解される(最高裁平成13年11月27日第三小法廷判決参照)。
そして、医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には、その中のある療法(術式)を受けるという選択肢とともに、いずれの療法(術式)も受けずに保存的に経過を見るという選択肢も存在し、そのいずれを選択するかは、患者自身の生き方や生活の質にもかかわるものでもあるし、また、上記選択をするための時間的な余裕も必要であることから、患者がいずれの選択肢を選択するかにつき熟慮の上判断することができるように、医師は各療法(術式)の違いや経過観察も含めた各選択肢の利害得失について分かりやすく説明することが求められるものというべきである(最高裁平成18年10月27日第二小法廷判決参照)。
(2) これを本件についてみるに、B医師は、亡A及びXらに対し、平成17年6月22日、腎機能は改善しているが、死腔化した膀胱が原因となって発熱が継続している旨、抗生剤の投与を続けているが効果がなく、これ以上の治療としては膀胱全摘術しかないと思われるが、これはリスクが高いとして実施可能な病院であるz病院を紹介する旨を説明し、同年7月6日、z病院泌尿器科のC医師に対する相談の状況等も踏まえ、亡Aの全身状態が徐々に悪化していること、薬なしでは栄養状態及び貧血は改善せず、手術することができるかどうかも不明であることなどを説明し、膀胱全摘術を実施するか保存的にこのまま加療するか決めてほしいなどと述べ、亡Aは、同月26日、Xらと共にC医師から、膀胱全摘術を実施すると直腸を損傷する可能性がかなり高く、そうなると人工肛門造設術が必要となってQOL(日常生活の質)が低下する可能性が高い、現状を維持するより方法がない旨の説明を受けた結果、膀胱全摘術を受けないこととしたものである。
(3) そして、この過程において、B医師は、亡Aが膀胱がんに罹患している可能性について言及しておらず、亡A及びXらは、亡Aに膀胱がんが発症している可能性を知らず、膀胱全摘術を実施すれば人工肛門の造設術を受けることが不可避であるとの理由で膀胱全摘術を拒絶したにすぎず、そこで与えられた選択肢は、このまま保存的治療を継続するか、又はQOLの低下を甘受して膀胱全摘術を受けるかというものであるにとどまり、生命の維持を可能にするため膀胱全摘術を受けるかどうかの選択肢は与えられていなかったものである。
しかし、仮に、膀胱がんに罹患している可能性について説明がされていれば、亡Aにおいて、膀胱を全部摘出する覚悟もしなければ生命に対する危険が高まると認識し、人工肛門造設等の負担が生ずることとなるとしても、生存の確度を向上させるためQOLを犠牲にして膀胱全摘術を選択した高い蓋然性があるというべきである。
そうすると、亡Aは、自分が罹患している疾病(病名及び病状)について正確な説明を受けなかったものであり、これに対応する治療法の違い、利害得失等について分かりやすく説明を受けたものとは認められないから、B医師を含むy病院の医療従事者において説明義務を尽くしたということはできない。

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判例に学ぶ


本判決は、膀胱がんに関する検索治療義務を判断した裁判例としても実務上参考になるとされていますが、今回ご紹介したいのは、説明義務違反に関する判断の部分です。
y 病院のB医師は、亡Aに対し、膀胱全摘術が必要であることを説明し、これを実施可能なz病院も紹介しました。ところが、亡Aは、z病院のC医師の説明も受けた結果、膀胱全摘術を受けないこととし、その後、悪性の膀胱腫瘍で死亡しました。これらの事実だけを取り上げると、なぜYの説明義務違反が認められるのか疑問に思われるかもしれません。
しかし、B医師は、亡Aに対し、膀胱がんに罹患している可能性について説明していませんでした。そうすると、亡Aは、膀胱全摘術の必要性やこれを実施すると人工肛門造設術が必要となる可能性が高いことなどを説明されても、「このまま保存的治療を継続するか」または「QOLの低下を甘受して膀胱全摘術を受けるか」という選択肢の中から選択せざるを得ません。本来、「生命の維持を可能にするため膀胱全摘術を受けるか」という選択肢こそ重要なのですが、自分の疾病について正確な説明を受けていないため、この選択肢が出てこないのです。亡Aは、かかる状況下で、膀胱全摘術を受けずに保存的治療を継続するという選択をしました。
しかし、これでは、亡Aが、自分の疾病に対する各療法の違いや、経過観察を含めた各選択肢の利害得失等について分かりやすく説明を受けたとはいえず、説明義務が尽くされたとはいえません。
説明義務の履行にあたっては、結果的に必要な療法について説明すればよいというのではなく、患者が、この説明によっていずれの選択肢を選択するかについて熟慮の上判断できるだろうかという観点から、説明の内容及び方法を検討していただきたいと思います。