Vol.163 くも膜下出血の術後患者の食事介助に際しての注意義務

―看護師にくも膜下出血の術後患者の適切な食事介助を怠った注意義務違反が認められた裁判例―

東京地方裁判所 平成23年 (ワ)27601号 判決日 平成26年9月11日
協力/「医療問題弁護団」佐藤 光子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

Aは、医療法人Xが開設する病院にくも膜下出血で搬送され、緊急手術を受けた。同病院で入院中の術後5日目に、昼食を摂取している最中に、昼食に提供された蒸しパンを一口大にちぎる事なく大きな塊のまま口に入れ、これを喉に詰まらせ窒息し、呼吸停止の状態となった。すぐに吸引措置が講じられたものの、詰まらせた蒸しパンを吸引する事ができず、チアノーゼの状態となった。呼吸停止から1分後に、主治医のYにより心臓マッサージ、挿管等の処置が行われ、呼吸及び心拍数が回復した。しかし、Aには精神障害2級の後遺障害が残った。A及び、その近親者は、X及びXにおけるAの主治医であったYには、経口摂取の判断を誤った、あるいは適切な食事介助を怠った等の過失ないし注意義務違反があり、これによりAは窒息に起因する精神障害の後遺障害を負った等と主張して、X及びYに対して損害賠償請求をした事案である。本件では、①経口摂取の判断に注意義務違反があるか、②適切な食事介助を怠った注意義務違反はあるか、③本件事故とAの後遺症との因果関係の有無が主たる争点として争われた。

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判決

1 経口摂取の判断に 注意義務違反があるかについて

判決では、くも膜下出血を含む脳卒中の急性期の患者には、意識障害や脳神経障害に由来する嚥下障害が認められる事が多く、誤嚥性肺炎の発症を防止するため、経口摂取を開始するに当たっては慎重な対応が必要であるが、他方でQOL改善の観点からは、なるべく早期から経口摂取を開始する事が有効であるとし、安全な摂取条件が設定できた場合に開始し、患者の嚥下の状態を見ながら、段階的に通常の摂食状態に近づけていくべきとし、Aについては、事故当日の朝食に至るまで、いずれの朝食においても、むせるなどの誤嚥の兆候はうかがわれず、3分の2以上を摂取している事、本件事故の2日前の朝食にだされたロールパンも問題なく摂取していることなどから、Aの嚥下機能に特段の障害があったとは認められず、YはAの摂食状況を逐一観察評価しながら経口摂取が可能であると判断して経口摂取を継続していたと認められることなどにより、本件事故当日の昼食に経口摂取をさせたことや蒸しパンを提供したことそれ自体が不適切な措置であるとは認められないと判断した。

2 適切な食事介助を怠った 注意義務違反があるか

嚥下訓練に当たっては、患者の嚥下の状態を見ながら段階的に通常の摂食状態に近づけていくものとされている、本件では術後5日しかたっておらず、本件事故が起きた当日のAの意識状態は、意識状態の判定方法であるJCSで測ると、刺激が無くても覚醒しているが、名前、生年月日が言えない程度の状態であるJCS3から、刺激すると覚醒する状態で、普通の呼びかけで容易に開眼する程度の状態であるJCS 10であり、蒸しパンを口に入れた時点ではJCS3で、してはいけないことやしても良いことを理解する能力が低下し、自分の嚥下に適した食べ物の大きさや柔らかさを適切に判断することが困難な状況にあり、食べ物を一気に口の中に入れようとしたり、自分の嚥下能力を超えた大きさの食べ物をそのまま飲み込もうとしたりする行動に出る可能性があるのみならず、嚥下に適した大きさに咀嚼する能力も低下しており、Aの食事介助にあたる看護師はそれを十分に予測する事ができたとした。Aの食品の介助を担当する看護師は、蒸しパンが窒息の危険がある食品である事を念頭に置いて、あらかじめ蒸しパンを食べやすい大きさにちぎっておいたり、Aの動作を観察し必要に応じてこれを制止するなどの措置を講ずるべき注意義務を負っていたにもかかわらず、これを尽くしていたとは認められないとして、看護師の注意義務違反を認めた。他方、担当医師Yについては、自らAの食事介助をすべき義務があるとはいえないし、Aに提供すべき食事の形態については指示しており、それで医師としての注意義務を尽くしているから、担当看護師に上記の様な具体的な食事介助の方法についてまで指示をする義務があったとは認め難いとして、Yの注意義務違反を認めなかった。

3 事故と後遺症との因果関係について

Aはくも膜下出血の影響で脳機能が健常な状態にはなく、呼吸停止の時間が1分程度でも不可逆的な脳挫傷が生じる可能性は十分ある事、本件事故後、Aの意識状態は急激に低下し、そのような状態が数日間継続した事からすれば、Aの後遺障害が本件事故と密接に関係あるものとし、Aの後遺障害との因果関係を肯定した。他方で、術直前のAのくも膜下出血の重症度はかなり高かったと認められるところであり、必ずしも良好な予後は期待し難いものであり、Aには本件事故前にも意識障害が残存していて、本件事故がなかった場合にこれらが完全に消失したと断定までは出来ないこと等に照らし、Aの後遺障害は主として本件事故に起因するものの、くも膜下出血そのものや手術の合併症としての小脳梗塞も一定程度影響していると判断し、このことを損害額の算定に当たって考慮した。

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判例に学ぶ

本件では、術後の意識障害の残存する入院患者の食事による窒息事故の責任が問題となっている。本件のくも膜下出血を含む脳卒中の急性期の患者には、意識障害や脳神経障害に由来する嚥下障害が認められるため、経口摂取を開始するに当たっては慎重な対応が必要であることはいうまでもないのであるが、一方でQOL改善の観点からは、なるべく早期から経口摂取を開始する事が有効であるともされているため、医師、看護師はどのようなタイミングで、どのような注意をしながら患者に経口摂取をさせるかは、術後の入院患者や、介護の現場では日常的に問題となっているといえる。本件判例は、その点につき、丁寧に具体的に踏み込んだ分析をしている。まずは、患者に経口摂取させること自体の妥当性につき、患者の嚥下機能を確認しながら、本件ではアイソトニックゼリー、粥、ロールパンと医師の指示で日々段階を追った食事の提供がなされており、患者にはいずれも問題がなく、嚥下機能問題は無いと判断している。では、嚥下機能上は障害がない患者に経口摂取させるにあたり、具体的に食事の介助に当たって、誰がどのような責任を負うのかにつき次に問題になるが、患者は、その理解能力の低下に対応して、嚥下に適した食べ物の大きさや柔らかさを適切に判断する事が困難になるから、食べ物の特性も考慮し、そのような患者の動作を観察し、必要に応じて制止したり、補助したりという対応が必要であることが判示されている。誰が責任を負うかについては、そのような具体的な食事介助は看護師の役割であるから、看護師に注意義務違反が認められることになる。医師は、提供すべき食事の形態について指示しており、それで医師としての注意義務は尽くしているから、本件では蒸しパンを経口摂取させるに当たり、医師が担当看護師に具体的な介助方法まで指示する義務はないとされており、それぞれの医療従事者の注意の役割分担が明確に示されているといえよう。本件は、入院、介護の現場では、各役割に応じた患者への適切な注意がなされるよう求めた、参考になる判例といえよう。