Vol.168 病棟における入院患者に対する転落防止義務

―慢性腎不全の入院患者に対して、病院の医師らの転倒・転落防止義務違反が否定された事例―

広島地方裁判所三次支部 平成26年3月26日判決 平成23年(ワ)74号事件 判例時報2230号55頁
協力/「医療問題弁護団」 白鳥 秀明弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者A(76歳男性)は、慢性腎不全および胸水に対する加療のために、平成21年6月23日に総合病院であるY病院に入院した。
入院から約2ヶ月後の8月26日午前3時頃、夜勤中の看護師2名が、物音を聞き確認に向かったところ、Aがベッドの傍らの床に倒れているのが発見された。
Y病院では直ちにAに対して救命措置と頭部CT検査を行ったところ、左側頭部に血腫が発見されたほか、脳室内穿破とmidlineshiftが認められた。
Aはこれらの症状を原因として午前7時12分頃に死亡した。そこで、Aの遺族がY病院に対して損害賠償請求を行った。
Aの遺族は、Y病院について、転落防止義務違反、転倒防止義務違反、離床センサー等使用義務違反、歩行補助具使用義務(歩行補助具をベッド横に備え付けるべき義務)違反、巡回義務違反、付添機会提供義務(家族に付き添う機会を提供する義務)違反があったこと等を主張した。
なお、Aの転倒又は転落については目撃者がいなかったために、その態様が不明であった。
また、Aの死因たる脳内出血については、当初は外傷性とも思われたが、Aが高血圧症であったこと、人工透析中であったこと、脳挫傷も頭蓋骨骨折も認められなかったことなどから、Y病院は、外傷に先行して脳内出血が生じていた可能性もありうるとの判断に至った。
後にY病院では症例検討会を行い、外部からの複数の意見も求めたが、脳内出血先行、頭部外傷先行、診断不能などの各意見があり、結局Aの症状が外傷性か非外傷性かは、結論が出なかった。

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判決

1 Aの死因について
鑑定人(脳神経外科医)の意見を採用し、以下の通り認定した。

① 外傷の有無・程度
頭蓋骨骨折の有無と頭蓋内の損傷の程度は必ずしも一致せず、頭部外傷の受傷部位と頭蓋内の出血分布も必ずしも一致しない。

② 血腫の分布について
Aの血腫は、左側脳室下角から後角、左側頭葉、頭頂葉内に連続しており、その分布パターンからは、脳室上衣近傍の血管損傷による脳室内出血と見受けられるところ、頭部外傷が頭蓋内出血の主たる役割を担っている。

③ その他の考えられる出血原因
腎透析患者は血圧コントロールが不良で、脳血管が脆弱であり、抗凝固剤や抗血小板剤は脳出血の発症・増悪因子となるものの、その場合の出血部位はテント上、特に大脳基底核部が圧倒的に多い。
以上を総合し、「脳出血の主たる原因は、頭部外傷によるもの」と認めた。


2 転倒・転落防止義務違反について
前提事実として、Aは入院翌日の転倒・転落アセスメントでは、合計2点で危険度Ⅰと判定されていたが、8月13日に病院内の廊下で一度転倒し(傷害は無し)、再度の転倒・転落アセスメントでは合計8点で危険度Ⅱと判定された。
さらに8月21日には病状の悪化に伴って、転倒・転落アセスメントが行われ合計12点で危険度Ⅲと判断されるに至ったことを認定した。

そのうえで、AのADLや普段の行動から考えれば、Aがベッド柵を越えてベッドから転落することは考えにくく、Aは離床し歩いた後に転倒したとしか考えられない、として転落防止義務違反を否定した。
また、転倒防止義務違反については、前記危険度がⅢであることなどから、仮にAがベッドから歩き始めた場合に、転倒するかもしれないという予測可能性は認められるとしても、Aが約2ヶ月の入院期間中に夜中に歩行した様子はうかがえず、また、就寝時には睡眠薬を使用していたことからすれば、Aが午前3時頃を含む深夜に目を覚まして歩き始めることまでの具体的予見可能性は認められないとした。

そのうえで、Aの遺族の主張する各義務違反については、離床センサー等使用義務違反については、使用しないという判断は不合理ではないとして否定、歩行補助具使用義務違反については、仮にこれを備え付けても使用された可能性は低いとして否定、巡回義務違反についても、夜勤時間帯におおむね5回の巡回がされていることから否定、付添機会提供義務違反については仮に家族に付き添いの機会を提供されたとしても家族が付き添ったことは抽象的な可能性にとどまるとして、否定した。以上からAの遺族の請求は棄却された。

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判例に学ぶ

患者を入院させ医療を提供する医療機関においては、患者の入院療養に伴う転倒・転落等を防止すべき安全配慮義務を負っているものと解される。
転倒・転落事故については、介護系施設に対して多くの訴訟が提起されており、平成28年1月までに公刊物に掲載された訴訟は21件ほど確認されており認容例も多い。
医療機関に対する訴訟についても、昭和40年代に請求が認容された裁判例がいくつか見受けられ、平成に入ってからも、ベッド柵の設置が明らかに不十分であることから医療機関の責任を認めたものとして、宇都宮地方裁判所平成6年9月28日(判例時報1536号93頁)や、東京高等裁判所平成11年9月16日(判例タイムズ1038号238頁)などの裁判例が存在している。
しかし、近年は、本裁判例も含めて後述の通り医療機関の責任を否定している裁判例も多い。

本裁判例は、その義務違反の判断構造として、まず、対象となる患者についての転倒転落アセスメント結果の検討を行い、そのアセスメント結果に応じて病棟で行われるべき具体的な転倒・転落を防止するための方法について、それが果たされていたのか否かを個別に判断する方法を採っている。
類似の裁判例として、例えば、入院患者がベッドから転落し急性硬膜下血腫を発症して死亡した事案(岡山地方裁判所平成26年1月28日判決・判例時報2214号99頁)がある。この事案でも、裁判所は医療機関が行った「転倒転落アセスメントシート」の評価内容についてその妥当性を検討し、そのうえで、患者の転倒・転落を防止するための具体的方法の検討を行っており、ほぼ同様の判断枠組みが用いられている。
また、別の類似の裁判例として、入院患者がベッドより転落受傷し、くも膜下出血等の傷害を負った事案(大阪地方裁判所平成19年11月14日・判例時報2001号58頁)がある。この事案では、転倒・転落防止策の実施について、医学部付属病院での調査結果を元に、実際の臨床現場での実施率を考慮した上で、必要性・有用性の判断を行った。
具体的には、ベッドの高さの管理や、ストッパー固定の確認、ベッド柵の管理については、臨床現場での高い実施率からその必要性を認める一方、床敷マットについては、実施率が低いことから一般的な医学的知見としてその有用性が認められないとして、使用しなくとも不適切とはいえないとの判断を行っている。

まとめ
現在のところ、医療機関での転倒・転落事故について、最高裁判所の判例はなく、転倒・転落防止義務違反については、確立された判断の枠組みは存在しない。
しかし、本裁判例や類似の裁判例を見ると、裁判所は臨床現場の知見を基礎に、アセスメントとそれに基づいた防止策に不備がないかどうかを、医療水準論も含めて確認するかたちで、判断を行っている。
裁判所は、臨床現場における実務に即した判断を行ってきているといえる。