本件は、医療機関に、患者の急性冠症候群を疑い心電図検査を実施する義務を怠った過失があるとして、患者側の請求を認めた事例です。
もっとも、今回ご紹介した裁判例は「札幌高等裁判所」のものであって、いわゆる第二審のものです(第二審で判決は確定)。実は、今回の事例は、第一審と第二審で正反対の結論となっているのです。
第一審の札幌地方裁判所では、まず、患者の不安定狭心症の発症時期について、「9月7日以降不安定狭心症の状態にあったとする原告の主張を、直ちに否定することもできないが」、患者が「冠攣縮性狭心症であったとする被告の主張についても」「絶対に否定することもできず」、患者の「痛みの性質や原因については、いずれとも決し難い」と認定しました。つまりは、第二審と異なり、第一審では9月7日朝に患者が不安定狭心症を発症したことが、判決の前提とされていません。
また、患者側から提出されていた証拠である「急性冠症候群の診療に関するガイドライン」について、「不安定狭心症は1回の心電図検査では判明しないことがあるから、2回目、3回目の心電図検査を行うべきであるとの記載もあるが、これは循環器の専門施設が虚血性心疾患の疑いを持って診察する場合である」として、「消化器を専門とする病院の外来診療において、胸の痛みを訴える患者に対し、複数回の心電図検査が義務的になるとは解されない」と認定しています。そのうえで、患者側からの請求を棄却しています。
この二つの判決の齟齬は、どのように理解すればよいのでしょうか。一般的に、「医師の注意義務の基準となるべきものは、診療当時の臨床医学の実践における医療水準である」(最判昭和57・3・30判時1039号66頁)と考えられています。そのうえで、「医療水準」を判断するにあたっては、「知見が当該医療と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は医療機関にとっての医療水準である」(最判平成7・6・9判時1537号3頁)とされています。つまり、医療水準とは、「あるべき医療」を想定して判断されるものです。
また、「医療水準」とは異なる、「医療慣行」という言葉があります。これは、臨床医療の現場において平均的医師によって広く慣行としてなされているものを指します。ここで注意すべきことは、上記の考え方を踏まえると、現場の医療慣行に従って医療行為を行なっている場合でも、医療水準を満たしていないと判断されてしまう場合があることです。
本件の裁判例のお話に戻りますが、二つの判決では、どちらも「医療水準」という言葉は明示されていません。しかし、裁判所の思考として、明示はしていなくとも、「医療水準」の判断はされていると考えられます。
本件の患者の入院時の状況については、患者は「救急病院への搬送ではなく、消化器を専門とする被告病院への入院を希望し、電話で対応した医師に対しても、強い痛みではなく、不安を訴えたために、被告側では、緊急性のある入院ではなく検査入院的なものとして対応」した上で、患者は「救急車を利用せず自家用車で来院し、付添人と共にではあるが、独歩で入院したこと」等が認定されています。本件は、夜間ウオークイン患者の重症例であったといえますが、この患者が、仮に救急搬送されていたとしたら、違う結果となっていた可能性はあるでしょう。
本件の第二審判決は、夜間外来のいわゆるウオークイン患者に対する「あるべき医療」を確認したものといえます。