筆者は本件の原告代理人弁護士であった。
日々真摯に病気や患者さんに向き合い奮闘する多くの読者にとって、このようにあからさまなカルテ改ざん事例が、本コーナー「裁判例に学ぶ」という趣旨に合致するか?(手書きカルテだったとはいえ、大学病院でこのような露骨な書き換え・書き加えなどする医師がいるのか?いやそうはいないであろうから学び自体がないのでは?)という自問自答はあったが、以下述べるような「学び」はあると考え、本件を紹介することとした。
現在では更新履歴の残る電子カルテがそれなりに普及しているので、カルテ改ざん自体はさらに減ると思われるが、過量処方された抗うつ薬の服用により死亡した患者の遺族からカルテ開示請求をされた精神科医が、診療当時に大量服用を厳重注意した旨の電子カルテを改ざんした、と認定された裁判例【大阪地裁平成24年3月30日判決(判タ1385号167頁)】もある。
ちなみに本件では、被告病院側から、「医療訴訟に関心を持ち日々裁判傍聴、訴訟記録の閲覧などを通じて研究」されている眼科医から、裁判所が改ざんを認定した患者へのリスク説明に関するもろもろの改ざんカルテにつき「特段不自然であるとは思わない」とされ本件医師が説明義務を果たしたことを前提とする専門家意見書が提出されている。
本件のように相当プリミティブなカルテ改ざん事例について、カルテ記載の体裁の不自然さ、手術記録や看護記録との不整合に疑問を有することなく被告側の主張を肯定する専門家意見書が提出されていることを残念に感じる。
日頃患者側で医療紛争を扱う立場から、紛争予防や紛争解決に重要なのは「情報共有と相互理解」であることを痛感している。
カルテ等医療記録が開示され共有されることで、患者側も診療経過を理解し納得することが多い。
改ざんはともかくカルテの記載が不正確不十分であるがゆえの医療紛争は数多くみられ、典型的には、診断(あるいは診断懈怠)が問題となる患者の症状が記載されていないため、その症状の有無や医師による把握の有無が記録上不明である場合や、患者への説明がカルテに記載がないために説明義務が果たされたかどうかが問題になる場合である。
電子カルテでも、医療事故が起きてからのカルテに「従前説明したような患者のリスクが生じた」と記載されているが従前のカルテには患者固有リスクの説明が記載されていないこともあり、とりわけ患者死亡ケースだと、果たして本当にリスクが共有されていたかどうかカルテ上不明であるゆえに紛争にもなる。
カルテは、質の高い医療の提供を行うための記録であると同時に、医療の内容を患者と共有するための大切な記録であることを十分に意識しながら作成される必要がある。
(本件では手術の失敗を隠すため本当は存在しなかった患者の固有リスクを大きく設定してしまったという破綻が生じているが、)医療現場の日常の診療において、患者ごとのリスク説明を含み、治療方針について説明すべきことが十分に説明されているか、その説明内容と患者の理解についてできる限り詳しく記録に残しているか、改めて意識されたい。
医療訴訟は被告側となる医師や病院にとって多大なストレスであろうと同時に、患者側にとっても、裁判を抱えるということは本当に精神的負担であり、裁判を好んでしたい患者も患者側弁護士もいないと考える。
筆者自身の取り扱い案件でも、医療機関側が「情報共有と相互理解」の観点を持ち、またその診療経過にスタンダードではない医療行為があったことを真摯に認め、歩み寄りをしてくれていれば、訴訟までは避けられたはずの事案がけっこうな割合を占める。
本件でも、原告は事件当時は80歳、原告として法廷に立たされ診療経過や被害を述べることを余儀なくされた揚げ句、判決時には88歳になっていた。原告は判決後の記者会見でも「失明したから裁判したのではない。嘘をつかれたから裁判をした」と述懐している。
なお、本件医師について厚生労働大臣と医道審議会へ行政処分要望書を提出した。
民事医療過誤について適用ありとの考え方が公表されているにもかかわらず、重大な医療過誤や医療過誤リピーター事案であってもなかなか行政処分されないという運用に疑問を感じる。