神経性食思不振症の患者に対する定期的な血液検査義務

vol.254

死因を明確に特定することができない場合であっても、医師の検査義務違反を認め、患者の生存可能性侵害による責任を認めた裁判例

東京高判 平成15年8月26日判時1842号43頁
医療問題弁護団 川見 未華 弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただいております。

事件内容

患者(昭和54年生まれ)は、平成7年4月から、神経性食思不振症の治療のために被告病院に通院していたが、平成9年6月、搬送先の他病院にて死亡した。

患者遺族は、被告病院を設置する被告組合に対し、医師が患者の血清カリウム値、心機能、洞性不整脈の原因について検査し、必要な措置を講じる義務を怠り、患者を低カリウム血症、心機能低下および洞不全症候群のいずれかまたは複数の原因により死亡させたとして、逸失利益、慰謝料、葬儀費用、弁護士費用等の損害賠償を請求した。

原判決(東京地判平成13年10月31日)は、被告病院の医師には、患者が重度の低カリウム血症に陥ることがないよう治療すべき注意義務があったものの、患者が重度の低カリウム血症、身体および心機能が栄養補給等を必要とするほどの緊急性のある状態、ならびに洞不全症候群に罹患していたものと認めることができないから、同注意義務を怠った過失があったとは認められないとして、請求を棄却した。

そこで、患者遺族が控訴したのが、本裁判である。

なお、患者遺族は、控訴に当たり、予備的請求として、仮に、患者が死亡の時点で生存していた高度の蓋然性が認められない場合(過失と死亡との間の因果関係が認められない場合)であっても、被告病院の医師が適切な医療を行っていれば、死亡の時点において、患者がなお生存していた相当程度の可能性が存在することから、被告病院の医師の不適切な医療により、患者が救命の相当程度の可能性を侵害されたことによる損害賠償請求を追加した。

判決

控訴審(本件裁判例)は、患者の直接死因について、死亡証明書の記載や複数の医師の意見を総合し、致死性心室性不整脈であったことを認定したうえで、この致死性不整脈の原因が低カリウム血症によるものか否かについて、当事者の主張、複数の医師の意見、医学文献の記載などを詳細に検討した結果、患者の死因は、「低カリウム血症により生じた致死性心室性不整脈によって生じた可能性が最も高い」と判断した。

そして、過失について、神経性食思不振症は、合併症として低カリウム血症に罹患する危険があり、これによって致死性心室性不整脈を生じて突然死する可能性があることは、文献にも必ず記載されており、被告病院の医師も当然に承知していたものと考えられるから、被告病院の医師には、患者が低カリウム血症を発症していないかを確認するため、血液検査を定期的に行うべき義務があったとしたうえで、被告病院の医師は、平成7年10月の血液検査以降、平成9年6月の患者死亡までの間、一度も血清カリウム値を検査しておらず、この義務を怠った過失があると判断した。

もっとも、患者が低カリウム血症に罹患し、そのため致死性心室性不整脈を起こした高度の蓋然性まで認めることは困難であるとして、医師の注意義務違反と患者の死亡との間の相当因果関係は否定し、損害としては、相当程度の生存の可能性が侵害された慰謝料として300万円(弁護士費用を含めると330万円)の限りで認めた。

裁判例に学ぶ

1.医学的機序の特定について

医療事件では、損害賠償を請求する側が、医学的機序、すなわち、患者に生じた悪しき結果がどのようなメカニズムによって発生したのかという事実的な因果関係を特定することが求められます。

悪しき結果がどのようなメカニズムによって生じたのかを特定できないと、医師のどのような行為(不作為)に問題があったのか、そのミスがなければ悪しき結果を避けることができたのかについて、検討をすることができないためです。

そのため、医学的機序が特定できないケースでは、その悪しき結果を避けるために医師がどのような行為をすればよかったのか(医師の行為のどこに問題があったのか)を特定できないため、法的責任の追及が困難になることもしばしばあります。

本件も、患者の死因について、死亡診断書の直接死因は「致死性心室性不整脈」、その原因は「不明」、直接には死因に関係しないが、直接死因等の傷病経過に影響を及ぼした傷病名等として「神経性食思不振症」とされており、また、本裁判の中で参照された複数の医師の意見もばらばらであり、死因(死亡に至った医学的機序)を特定できないケースでした。

しかしながら、本件裁判例は、患者がたどった経過の他、神経性食思不振症の成書や論文の多くは、同症によって低カリウム血症に罹患する危険があり、これが悪化すると致死的不整脈により突然死する危険性があることを挙げていることなどを根拠に、患者に「生じた致死性心室性不整脈の原因としては、低カリウム血症が最も可能性がある」と判断しました。

被告病院では、平成7年10月を最後に血清カリウム値が検査されておらず、それが死因の特定を困難にしていました。

医療機関の検査不備による不利益を患者側に課すべきではないという観点からも、現存する証拠により死因を可能な範囲で特定した本件裁判例の判断は妥当と考えます。

2.過失について

原判決は、死亡に至った医学的機序が明確でないことから、医師の過失により死亡したとは認められないとして、過失を否定していました。

これに対して、本件裁判例は、死亡に至った医学的機序について、上記1のように特定したうえで、被告病院の医師は、定期的に血清カリウム値を検査する義務を怠った過失があったと判断しました。

死亡に至る医学的機序を特定したことが、過失の認定につながったものと言えます。

3.因果関係について

本件裁判例は、患者が低カリウム血症に罹患し、そのため致死性心室性不整脈を起こした高度の蓋然性まで認めることは困難であるとして、医師の過失と患者の死亡との間の相当因果関係を否定しました。

このように、過失と患者の死亡との間に因果関係(高度の蓋然性)が存在しない場合であっても、相当程度の可能性が存する場合には、「医療水準に応じた診療行為が行われていれば患者が死亡しなかった相当程度の可能性」という法益侵害による責任が認められています(最判平成12年9月22日判タ1044号75頁)。

本件裁判例も、同最高裁判例を引用しつつ、適切な医療(本件では、定期的な血清カリウム値の検査)が行われていれば、患者が実際の死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったとして、慰謝料300万円を認めました。

4.損害額について

本件裁判例のように、相当程度の生存の可能性侵害にとどまる場合には、損害としては慰謝料のみとなり、その他の損害(逸失利益、葬儀費用等)は認められません。

しかしながら、本件では、患者の死因が特定できなかったのは、医師が定期的な血液検査を実施しなかったことが大きく影響しているのですから、相当程度の生存の可能性の侵害にとどまらず、過失と死亡との相当因果関係を認め、慰謝料に限らず逸失利益、葬儀費用等を含めた全損害が認められるべきであったと考えます。

仮に、相当程度の生存の可能性の侵害にとどめたとしても、慰謝料額については、100万円から1000万円程度の裁判例が多く、昨今では、上限は2000万円ともいわれているところです。

本件のように、医師に基本的な医療行為に関する過失が認められる事案において、300万円というのは低額にすぎると考えます。