本件は患者遺族から医療機関に対する損害賠償請求事件ではなく、医師の行為が殺人罪を構成するかが争われた事件(刑事事件)です。
問題となった行為は、気管内チューブを抜管した行為と、筋弛緩剤ミオブロックを静脈注射した行為の二つですが、本決定ではもっぱら第1行為(気管内チューブを抜管した行為)を対象として判断を示しています。
この第1行為は、尊厳死が問題となる場面における治療中止の許容性が問題となっています。
本決定は、治療中止の適法化の要件について、次のように考えているのではないかと考察されています。
すなわち、治療行為の中止が患者の生命を短縮させる効果を持つ以上、まず患者の意思(承諾)が必要であり、そのうえで、医師の治療が限界に達していることで正当化されると解されています。
上記の要件のうち、患者の意思(承諾)について、本決定も「抜管行為がXの推定的意思に基づくということもできない」としており、治療中止の措置を取る時点における患者本人の明示の意思に限らず、患者の推定的意思も是認しているものと解されます。
ただし、本決定では、患者の推定的意思について、どのような場合に患者の意思を推定できるのか明確な判断基準などは示されていません。
この点については、横浜地方裁判所平成7年3月28日判決(判時1530号28頁)が、一応の判断基準を示しており、本決定とも整合するもので参考になります。
横浜地裁平成7年3月28日判決は、患者自身の事前の意思表示がある場合には、それが治療中止時点での患者の推定的意思の有力証拠になるとしつつ、そうした事前の意思表示が何ら存在しない場合には家族の意思表示から患者の意思を推定することが許されるとしました。
もっとも、患者の事前の意思表示があったとしても、治療中止が検討される時点よりもかけ離れた時点でなされた意思表示や、意思表示の内容が漠然としている場合には、患者の事前の意思表示がない場合と同様に考えるべきと判示しています。
患者本人の事前の意思表示であったとしても、それがそのまま治療中止時点の患者本人の意思表示となるわけではなく、治療中止時点の患者本人の意思表示を推察する有力な証拠に過ぎないため、その証拠の評価は慎重に行うべきと解しているものと思われます。
これは患者の事前の意思表示がなかった場合に、患者家族の意思表示から患者の意思を推定する場面にも表れています。
患者家族の意思表示から患者の意思を推定する場合、例えば、その家族が、患者の性格、価値観、人生観等を十分に知っているか、患者の病状、治療内容、予後等について十分な情報と正確な認識を持っているかなどを考慮して判断すべきとされています。
同裁判例が、「患者の意思の推定においては、疑わしきは生命の維持を利益にとの考えを優先させ、意思の推定に慎重さを欠くことがあってはならない」と判示していることからも、治療中止時点での患者の意思を推定する場合には慎重に行うべきだと解していることが読み取れます。
そして、本決定は、治療中止を適法化する2つ目の要件として、治療が限界に達していることが必要だと考えていると解されています。
治療の限界といえる場面として、本決定の調査官解説では、「苦痛はないが回復困難で治療方法は尽きており、死期が切迫しているとき」はこれに当たるとされています。
本件では、余命判断に必要な脳波等の検査をしていないため、治療が限界に達している場面とはいえないことに加え、患者家族の意思表示の前提として、正確な病状説明がされていないという点から治療中止時点の患者の意思表示を推定するための前提を欠くと判断されたものと思われます。
結論として、本件では殺人罪の成立が認められ、控訴審判決(懲役1年6月、執行猶予3年)の内容で確定しています。