治療中止の違法性

vol.257

気道確保のため挿入されていた気管内チューブを抜管した医師の行為が、法律上許容される治療中止に当たらないとされた事例

平成21年12月7日判決 最高裁(刑集63巻11号1899頁)
医療問題弁護団 渡邊 隼人 弁護士

* 本誌の裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場を取らせていただいております

事件内容

X(当時58歳)は、平成10年11月2日、気管支ぜん息の重積発作を起こし、同日午後7時ころ、心肺停止状態でA病院に運び込まれた。

Xは、心肺停止時の低酸素血症により、大脳機能のみならず脳幹機能にも重い後遺症が残り、こん睡状態が続いた。

その後、Xに自発呼吸が見られたため、11月6日、人工呼吸器が取り外されたが、舌根沈下を防止し、痰を吸引するために、気管内チューブは残された。

同月8日、Xの四肢に拘縮傾向が見られるようになった。

Y医師は、Xの妻子らに病状を説明し、呼吸状態が悪化した場合にも再び人工呼吸器を付けることはしない旨同人らの了解を得るとともに、気管内チューブについては、これを抜管すると窒息の危険性があることからすぐには抜けないことなどを告げた。

Y医師は、11月11日、Xの妻が同席するなか、気管内チューブを抜管してみたが、すぐに被害者の呼吸が低下したので、「管が抜けるような状態ではありませんでした」などと言って、新しいチューブを再挿管した。

Y医師は、11月12日、XをICUから一般病棟の個室へ移った。

Y医師は、Xの妻らに対し、一般病棟に移ると急変する危険性が増すことを説明したうえで、急変時に心肺蘇生措置を行わないことなどを確認した。

Xは、細菌感染症に敗血症を合併した状態であったが、Xが気管支ぜん息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管時までに、同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されていない。

また、X自身の終末期における治療の受け方についての考え方は明らかではない。

11月16日の午後、Y医師は、Xの妻から、「みんなで考えたことなので抜管してほしい。今日の夜に集まるので今日お願いします」などと言われて、抜管を決意した。

同日午後6時ころ、Y医師は、家族が集まっていることを確認し、気管内チューブを抜き取るとともに、呼吸確保の措置も取らなかった。

ところが、予期に反して、Xが身体をのけぞらせるなどして苦もん様呼吸を始めたため、Y医師は、鎮静剤のセルシンやドルミカムを静脈注射するなどしたが、これを鎮めることができなかった。

そこで、Y医師は、同日午後7時ころ、准看護師に指示してXに対しミオブロック3アンプルを静脈注射の方法により投与した。

被害者の呼吸は、午後7時3分ころに停止し、午後7時11分ころに心臓が停止した。

判決

上記の事実経過によれば、Xが気管支ぜん息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管時までに、同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されておらず、発症からいまだ2週間の時点でもあり、その回復可能性や余命について的確な判断を下せる状況にはなかったものと認められる。

そして、Xは、本件時、こん睡状態にあったものであるところ、本件気管内チューブの抜管は、Xの回復をあきらめた家族からの要請に基づき行われたものであるが、その要請は上記の状況から認められる通りXの病状等について適切な情報が伝えられたうえでされたものではなく、上記抜管行為がXの推定的意思に基づくということもできない。

以上によれば、上記抜管行為は、法律上許容される治療中止には当たらないというべきである。

裁判例に学ぶ

本件は患者遺族から医療機関に対する損害賠償請求事件ではなく、医師の行為が殺人罪を構成するかが争われた事件(刑事事件)です。

問題となった行為は、気管内チューブを抜管した行為と、筋弛緩剤ミオブロックを静脈注射した行為の二つですが、本決定ではもっぱら第1行為(気管内チューブを抜管した行為)を対象として判断を示しています。

この第1行為は、尊厳死が問題となる場面における治療中止の許容性が問題となっています。

本決定は、治療中止の適法化の要件について、次のように考えているのではないかと考察されています。

すなわち、治療行為の中止が患者の生命を短縮させる効果を持つ以上、まず患者の意思(承諾)が必要であり、そのうえで、医師の治療が限界に達していることで正当化されると解されています。

上記の要件のうち、患者の意思(承諾)について、本決定も「抜管行為がXの推定的意思に基づくということもできない」としており、治療中止の措置を取る時点における患者本人の明示の意思に限らず、患者の推定的意思も是認しているものと解されます。

ただし、本決定では、患者の推定的意思について、どのような場合に患者の意思を推定できるのか明確な判断基準などは示されていません。

この点については、横浜地方裁判所平成7年3月28日判決(判時1530号28頁)が、一応の判断基準を示しており、本決定とも整合するもので参考になります。

横浜地裁平成7年3月28日判決は、患者自身の事前の意思表示がある場合には、それが治療中止時点での患者の推定的意思の有力証拠になるとしつつ、そうした事前の意思表示が何ら存在しない場合には家族の意思表示から患者の意思を推定することが許されるとしました。

もっとも、患者の事前の意思表示があったとしても、治療中止が検討される時点よりもかけ離れた時点でなされた意思表示や、意思表示の内容が漠然としている場合には、患者の事前の意思表示がない場合と同様に考えるべきと判示しています。

患者本人の事前の意思表示であったとしても、それがそのまま治療中止時点の患者本人の意思表示となるわけではなく、治療中止時点の患者本人の意思表示を推察する有力な証拠に過ぎないため、その証拠の評価は慎重に行うべきと解しているものと思われます。

これは患者の事前の意思表示がなかった場合に、患者家族の意思表示から患者の意思を推定する場面にも表れています。

患者家族の意思表示から患者の意思を推定する場合、例えば、その家族が、患者の性格、価値観、人生観等を十分に知っているか、患者の病状、治療内容、予後等について十分な情報と正確な認識を持っているかなどを考慮して判断すべきとされています。

同裁判例が、「患者の意思の推定においては、疑わしきは生命の維持を利益にとの考えを優先させ、意思の推定に慎重さを欠くことがあってはならない」と判示していることからも、治療中止時点での患者の意思を推定する場合には慎重に行うべきだと解していることが読み取れます。

そして、本決定は、治療中止を適法化する2つ目の要件として、治療が限界に達していることが必要だと考えていると解されています。

治療の限界といえる場面として、本決定の調査官解説では、「苦痛はないが回復困難で治療方法は尽きており、死期が切迫しているとき」はこれに当たるとされています。

本件では、余命判断に必要な脳波等の検査をしていないため、治療が限界に達している場面とはいえないことに加え、患者家族の意思表示の前提として、正確な病状説明がされていないという点から治療中止時点の患者の意思表示を推定するための前提を欠くと判断されたものと思われます。

結論として、本件では殺人罪の成立が認められ、控訴審判決(懲役1年6月、執行猶予3年)の内容で確定しています。