悪性症候群が疑われる患者における呼吸不全の予見可能性

vol.259

呼吸状態を確認せず清拭作業を継続したことに過失を認めた事例

神戸地裁 令和5年8月4日判決・令和元年(ワ)第1604号
医療問題弁護団 佐藤 孝丞 弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場を取らせていただいております

事件内容

本件は、Aの母であり法定相続人である原告が、被告が設置運営するa病院(被告病院)スタッフは、Aの入院中の呼吸管理を適切に行うべき注意義務の違反等の過失によりAを死亡に至らせた旨主張して、被告に対し、診療契約上の債務不履行または不法行為(使用者責任)に基づき、損害金及び遅延損害金の支払を求めた事案である。

Aの死亡までの経過(概要)は、次のとおりである。

・平成29年2月15日、悪性症候群と考えられる所見がみられたため、被告病院に入院。本件入院までに、合計16回、被告病院への入退院を繰り返していた。

・同年5月31日午後2時ごろから看護師により清拭が実施されていたが、午後2時20分までの間に呼吸停止。

・心肺蘇生措置が奏功せず、救急外来に運ばれたが、午後4時20分に死亡。

判決

本件の主要な争点は、血液検査義務違反の有無、重篤副作用防止義務違反の有無、呼吸管理等義務違反(死因の特定および死亡との間の因果関係を含む)の有無、および5月31日の救急対応義務違反の有無である。

なお、損害の発生および数額も争点であるが、本稿では関連事項を付随的に触れる程度とする。

[1]血液検査義務違反の有無について(否定)

本判決は、Aには不穏行動等の精神症状の悪化はみられるものの、カタトニアないし悪性症候群を疑うべき自律神経症状等の症状は見当たらないこと、5月22日及び同月23日時点で血液検査をしていたとしても、CK値が高値を記録したとは解し難いことなどから、被告病院スタッフが、23日までの間に、血液検査をしなかったことについて、注意義務違反があるとはいえないとした。

[2]重篤副作用防止義務違反の有無について(否定)

本判決は、被告病院の医師がフルメジンを減量ないし中止しなかった判断を不適切なものと評価できないことなどから、抗精神病薬の投与に関して、注意義務違反があるとはいえないとした。

[3]呼吸管理等義務違反の有無等について(肯定)

(1)注意義務違反の有無

本判決は、5月29日以降は、Aについて、全身状態が悪化して、重篤な症状に至る危険性が高まっていたといえ、その可能性を予見することは可能であったとした。

また、被告病院スタッフには、舌根沈下が確認された5月30日午後8時15分以降、そうでなくとも遅くとも5月31日に入った時点で、訪室時に呼吸数やSpO2値を観察する、あるいは、生体モニターの数値を頻繁に確認するなどして、呼吸状態を含むAの全身状態をより厳格に監視し、異常が確認された場合には、直ちに処置を行うべき義務があったとした。

そして、看護師らは、清拭開始時および清拭の途中で原告からAの呼吸状態について指摘された際に、Aの呼吸数、SpO2値を測定して呼吸状態を確認すべきであったにもかかわらず、ギャッチアップ後に胸郭挙上を確認したのみで、異常がないものと速断し、Aの全身状態の異常に気付くことなく作業を継続したといえ、被告主張の、医療制度上の制約、被告における診療体制等の事情を考慮しても、この点で、被告病院スタッフには、過失があったとした。

(2)Aの死因

本判決は、被告病院に設置された院内死亡事例調査委員会の本件調査報告の判断は相当であるとして、Aの死因は、呼吸停止によるものとした。

(3)因果関係の有無

本判決は、本件調査報告の記載内容に照らせば、仮に、被告病院スタッフが、清拭開始時に、生体モニターによるSpO2値、呼吸数の測定を行うなどして、呼吸状態の観察を注意深く行っていれば、気道確保、酸素投与等の措置によって、換気不全により午後2時15分ごろに徐脈に至ることは回避でき、Aの死亡も回避できたと考え得るとして、被告病院スタッフの前記過失とAの死亡との間には、相当因果関係が認められるとした。

[4]救急対応義務違反の有無について(否定)

本判決は、看護師らがAの心拍数の異常を確認して以降の救命救急措置は適切に行われたというべきであり、この点に注意義務違反があるとはいえないとした。

裁判例に学ぶ

本判決は、被告が、被告病院スタッフの使用者であり、同スタッフの過失によるAの死亡は、被告病院の業務として行われたものであるから、使用者責任に基づき、Aおよび原告に生じた損害を賠償すべき責任を負うと判断し、被告に対し、合計2895万487円およびこれに対する遅延損害金を支払う限度で原告の請求を認容しました。

本判決から学べることとして、例えば、被告の過失についての主張を排斥した次の各理由が参考になります。

[1]Aの全身状態が相当悪化していた点を前提とする限り、不規則な呼吸が、主に体型によるもので、身体状況の異常を示す徴表には当たらないと安易に扱うべきではないといえるのであり、Aの体型を考慮しても、被告病院スタッフのこの点に関する注意義務を免れさせ得るものではない。

[2]意識レベルが低下した状態で舌根沈下等により上気道狭窄に陥った場合には、シーソー呼吸と呼ばれる、胸部が上下するものの換気が十分ではない呼吸がみられる場合があり、胸郭挙上を確認するだけでは十分な呼吸状態の確認とはいい難いこと、当時、Aのベッド脇には、SpO2値も表示されるテレメーターが配備されており、同値の確認は、比較的容易にできる状況にあったことに照らすと、それすらも行わなかった被告病院スタッフの対応には不備があったというべきである。

本件でポイントになったのは、5月31日時点で、Aが呼吸不全に陥る可能性を予見できたか否かという点の評価だと考えます。

具体的には、本判決は、被告病院スタッフが負っていた注意義務を導出する事情として、次の点を挙げています。

(1)5月29日時点で、被告病院の医師は、亜昏迷、発汗を認めており、血液検査の結果、CK値が高値の19,565IU/Lであったことを確認し、統合失調症のカタトニアで悪性症候群のリスクが高い状態であったと診断していた。

(2)輸液が開始され、両上肢及び体幹部を拘束したうえ、生体モニターが装着されるなどの厳重な処置が開始されていたことからすれば、5月29日以降は、Aについて、全身状態が悪化して、重篤な症状に至る危険性が高まっていたといえ、その可能性を予見することは可能であった。

(3)Aは、輸液が開始された後も全身状態が快方へ向かっておらず、5月31日には経口摂取不能となり、経鼻胃管チューブが挿入されたことからすれば、同日時点のAの全身状態は、悪化し、それまで至ったことのない容体の域に至っていたものと解される。

(4)5月30日の夜には、上気道狭窄の原因となり得る舌根沈下が確認された。Aの肥満体型も考慮すべき事情である。

これらの事情から、本判決は、Aが5月31日時点で呼吸不全に陥る可能性があり、被告病院スタッフにおいても、これを予見することは可能であったとしました。

この点については、悪性カタトニアとの疑義もあった中での判断だったこと、一般的にロヒプノールやセパゾン等の呼吸抑制の副作用がある薬剤につき、もっと大量に服用している患者もおり、治療目的で投与していた可能性もあることなどから、呼吸不全に陥るリスクを予見可能だったという評価は、呼吸管理の義務を過度に課しすぎているのではないかという医師の指摘もあります(「医療判例解説」111号(医事法令社・2024年)・120頁参照)。

本判決は、医療側と裁判所側での評価の違いを学ぶのに参考になるといえるでしょう。