(1)[1]低酸素性虚血性脳症となった機序について
医療訴訟において「機序」とは、一般的に、結果(後遺障害や死亡)の発生に至るまでのメカニズムのことを指して使用されています。
機序の特定は、注意義務違反(過失)や法的因果関係を主張・立証するうえで前提となる重要な要素となります。
人間の身体のしくみは非常に複雑ですので、機序を一つに絞ることは難しい場合もありますが、機序の特定ができなければ、どのような対応をすべき義務であったのか、そのような対応をしていれば結果発生は回避できたのかなどを論じることは困難ですので、やはり、できる限り機序を特定することが必要となります。
本件では、この機序について、低酸素性虚血性脳症の原因は、「分娩経過中の胎児低酸素・酸血症の持続にある」と判断されたものの、さらにさかのぼって、分娩経過中の胎児低酸素・酸血症が生じた要因については、「臍帯血流障害、硬膜外麻酔による母体低血圧、子宮収縮薬(オキシトシン)投与による子宮胎盤循環不全の3つの要因のいずれかまたは3つの要因のうち複数の要因が合わさったものである」といえるものの、文字通り、「臍帯血流障害、硬膜外麻酔による母体低血圧が要因である可能性は否定できない」以上、結論として、「子宮収縮薬(オキシトシン)投与による子宮胎盤循環不全が要因であるとまで認めることはできない」と判断しています。
また、吸引分娩およびクリステレル胎児圧出法についても、「低酸素性虚血性脳症の発生に影響したと認めることはできない」と判断し、原告らの主張を排斥する判断をしています。
本件でも、低酸素性虚血性脳症の発生とその後の死亡という結果発生に至る機序は、「3つの要因のいずれかまたは3つの要因のうち複数の要因が合わさったもの」という範囲でしか特定できず、「子宮収縮薬(オキシトシン)投与による子宮胎盤循環不全が要因である」とまではいえないとの認定がなされており、機序の特定の困難さと重要性が示唆されています。
(2)[2]オキシトシンの投与についての説明義務違反
説明義務については、最高裁判例(最判平成13年11月27日・民集55巻6号1154頁など)上、「医療機関(医師)は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務がある」とされています。
本件では、概ね上記の判断枠組みの下、オキシトシン投与に当たっての説明義務の内容につき、「投与する必要性、手技・手法、効果、主な有害事象など」と認定し、説明後には、「患者から投与について同意を得られなければ、その投与をしてはならない」と認定し、本件の具体的な事実関係の下での説明義務違反を認定しています。
この「説明」と「同意」の関係をどのように理解するかについてはさまざまな見解があると思いますが、通常は、単に「説明」をしただけでは足りず、適切な「説明」を前提とした、患者の「同意」や承諾が一体となって説明義務を尽くしたと判断されることになると思いますので、本件もそのような枠組みの下で判断をしていると考えられます。
(3)本件のように、分娩過程における医学的機序や医師の注意義務違反の有無が争点となった裁判例は複数あり(山形地判平成24年3月13日、奈良地判平成26年5月15日、高知地判平成28年12月9日・判時2332号71頁、京都地判平成30年3月27日・判時2388号56頁など)、本件も事例判断ではありますが、低酸素性虚血性脳症となった医学的機序の特定や分娩過程における医師の説明義務違反を認定した事例の判決として、参考になるものと思われます。