分娩過程におけるオキシトシン投与についての説明義務

vol.260

児が低酸素性虚血性脳症となった機序と分娩過程における医師の複数の注意義務違反の有無が争点となった事例

広島地判 令和2年1月31日(判例タイムズ1484号184頁)
医療問題弁護団 工藤 杏平 弁護士

* 本誌の裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場を取らせていただいております

事件内容

平成25年、母親が分娩のために被告の運営する産婦人科医院(以下「被告医院」という)に午前0時5分ごろに入院し、分娩誘発、子宮収縮の誘発促進のため子宮収縮薬オキシトシンの投与を午前6時から午前10時15分まで6回にわたり受けた。

医師は、午前10時30分以降、クリステレル胎児圧出法や吸引分娩を実施したが娩出できず、午前11時26分に帝王切開を開始し、午前11時27分に長男が娩出された。

その後、長男は、出生後1分のアプガースコアが2点であるなどの状態であったため、他院に緊急搬送され、当該病院で低酸素性虚血性脳症と診断された。

長男は脳性麻痺を発症し、入院するなどしたが、出生約8カ月後に死亡した。

これに対し、両親(原告ら)が、被告医院で長男を分娩するに当たり、医師には、オキシトシン投与についての説明義務違反などがあり、医師の注意義務違反によって長男が低酸素性虚血性脳症となり死亡するに至ったと主張して、被告に対し、診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償請求をした。

なお、産科医療補償制度原因分析報告書(以下「報告書」という)には、長男が脳性麻痺になった機序として、脳性麻痺の原因は、分娩経過中に胎児低酸素・酸血症が持続したことにあり、胎児低酸素・酸血症の原因は、臍帯血流障害、硬膜外麻酔による母体低血圧、子宮収縮薬投与による子宮胎盤循環不全の3つの可能性および吸引分娩およびクリステレル胎児圧出法が子宮胎盤循環不全の増悪因子になった可能性がある旨の記載があった。

判決

本件では、[1]低酸素性虚血性脳症となった機序、[2]オキシトシンの投与についての説明義務違反、[3]適応がないオキシトシンを投与した注意義務違反、[4]オキシトシン投与の中止などについての注意義務違反、[5]帝王切開の決定についての注意義務違反、[6]吸引分娩およびクリステレル胎児圧出法の実施方法についての注意義務違反、[7]将来子宮破裂を起こさないために帝王切開を行わなかった注意義務違反の各注意義務違反の有無が争点となったが、裁判所は、[3]ないし[7]の注意義務違反をいずれも否定し、[1]および[2]につき、以下の通り判断した。

(1)[1]について

分娩当日までに胎児の健康状態が保たれていない兆候は特段なく、分娩当日も当初は胎児機能不全というべき胎児心拍数は出現していなかった一方で、出生後のアプガースコア、臍帯動脈血ガス分析におけるpHが基準値以下であったことなどから、低酸素性虚血性脳症の原因は、分娩経過中の胎児低酸素・酸血症の持続にあると判断した。

そのうえで、分娩経過中の胎児低酸素・酸血症が生じた要因については、報告書の記載を参照しつつ、臍帯血流障害、硬膜外麻酔による母体低血圧、子宮収縮薬投与による子宮胎盤循環不全の3つの要因のいずれかまたは3つの要因のうち複数の要因が合わさったものであるといえるが、他方で、臍帯血流障害、硬膜外麻酔による母体低血圧が要因である可能性は否定できないが、子宮収縮薬、つまり、オキシトシンが要因であるとまで認めることはできないと判断した。

また、吸引分娩およびクリステレル胎児圧出法についても、報告書や「産婦人科診療ガイドライン産科編2017」の記載も考慮し、低酸素性虚血性脳症の発生に影響したと認めることはできないと判断した。

(2)[2]について

医師は、オキシトシンについて、特段の事情のない限り、投与する必要性、手技・手法、効果、主な有害事象などについて説明をし、その後に患者から投与について同意を得なければ、その投与をしてはならないと判断したうえで、特段の事情が認められない本件では、医師には、上記説明を怠るとともに同意を得ることなくオキシトシンを投与した注意義務違反があると判断した。

(3)上記の判断を踏まえ、慰謝料150万円(自らの意思に基づいてオキシトシンを投与するか否かの選択の機会が奪われた点についての慰謝料)および弁護士費用相当損害金15万円の合計165万円ならびに遅延損害金の範囲で請求を認容した。

裁判例に学ぶ

(1)[1]低酸素性虚血性脳症となった機序について

医療訴訟において「機序」とは、一般的に、結果(後遺障害や死亡)の発生に至るまでのメカニズムのことを指して使用されています。

機序の特定は、注意義務違反(過失)や法的因果関係を主張・立証するうえで前提となる重要な要素となります。

人間の身体のしくみは非常に複雑ですので、機序を一つに絞ることは難しい場合もありますが、機序の特定ができなければ、どのような対応をすべき義務であったのか、そのような対応をしていれば結果発生は回避できたのかなどを論じることは困難ですので、やはり、できる限り機序を特定することが必要となります。

本件では、この機序について、低酸素性虚血性脳症の原因は、「分娩経過中の胎児低酸素・酸血症の持続にある」と判断されたものの、さらにさかのぼって、分娩経過中の胎児低酸素・酸血症が生じた要因については、「臍帯血流障害、硬膜外麻酔による母体低血圧、子宮収縮薬(オキシトシン)投与による子宮胎盤循環不全の3つの要因のいずれかまたは3つの要因のうち複数の要因が合わさったものである」といえるものの、文字通り、「臍帯血流障害、硬膜外麻酔による母体低血圧が要因である可能性は否定できない」以上、結論として、「子宮収縮薬(オキシトシン)投与による子宮胎盤循環不全が要因であるとまで認めることはできない」と判断しています。

また、吸引分娩およびクリステレル胎児圧出法についても、「低酸素性虚血性脳症の発生に影響したと認めることはできない」と判断し、原告らの主張を排斥する判断をしています。

本件でも、低酸素性虚血性脳症の発生とその後の死亡という結果発生に至る機序は、「3つの要因のいずれかまたは3つの要因のうち複数の要因が合わさったもの」という範囲でしか特定できず、「子宮収縮薬(オキシトシン)投与による子宮胎盤循環不全が要因である」とまではいえないとの認定がなされており、機序の特定の困難さと重要性が示唆されています。

(2)[2]オキシトシンの投与についての説明義務違反

説明義務については、最高裁判例(最判平成13年11月27日・民集55巻6号1154頁など)上、「医療機関(医師)は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務がある」とされています。

本件では、概ね上記の判断枠組みの下、オキシトシン投与に当たっての説明義務の内容につき、「投与する必要性、手技・手法、効果、主な有害事象など」と認定し、説明後には、「患者から投与について同意を得られなければ、その投与をしてはならない」と認定し、本件の具体的な事実関係の下での説明義務違反を認定しています。

この「説明」と「同意」の関係をどのように理解するかについてはさまざまな見解があると思いますが、通常は、単に「説明」をしただけでは足りず、適切な「説明」を前提とした、患者の「同意」や承諾が一体となって説明義務を尽くしたと判断されることになると思いますので、本件もそのような枠組みの下で判断をしていると考えられます。

(3)本件のように、分娩過程における医学的機序や医師の注意義務違反の有無が争点となった裁判例は複数あり(山形地判平成24年3月13日、奈良地判平成26年5月15日、高知地判平成28年12月9日・判時2332号71頁、京都地判平成30年3月27日・判時2388号56頁など)、本件も事例判断ではありますが、低酸素性虚血性脳症となった医学的機序の特定や分娩過程における医師の説明義務違反を認定した事例の判決として、参考になるものと思われます。