[1]原審(福岡地裁令和3年9月10日判決)
(1)カテーテル・アブレーション術(以下「本件治療」という)の事実経過
ア.時刻Aから時刻Dまでの相互関係
時刻Aは看護師が本件治療中に血圧をモニター上で確認した後に記録した時刻であり、時刻Bは心臓カテーテルレポートに記録された時刻であり、時刻Cは冠動脈造影の動画に記録された時刻であり、時刻Dは本件治療中に計測された心電図に記録された時刻である。
イ.術式開始(時刻A)
10時5分に本件治療開始、10時22分に心房中隔穿刺、10時30分にアブレーションカテーテル挿入
ウ.心電図変化(ST下降と血圧低下)(分単位では時刻D≒時刻A)
10時44分から軽微なaVRのST上昇ならびにⅠ、Ⅱ、Ⅲ、aVFおよびV3からV6までのST下降が生じ始め、それぞれ徐々に上昇または下降を示し、10時46分にはaVRに有意(1mm以上の上昇又は下降)なST上昇を、Ⅱ、Ⅲ、aVF、V3、V4およびV5に有意なST下降を、ⅠおよびV6では軽度(1mm未満の上昇または下降)のST下降、PR時間の延長およびQRS時間の延長を認めた。
エ.EPS実施(時刻B(分単位で時刻A+1分))
10時45分に血圧が低下し始めた(87/52mmHg)。
10時48分にEPS(心臓電気生理学的検査)実施。
血圧は10時50分で73/51mmHg、10時52分で89/52mmHg、10時56分で63/38mmHgと低下を示した。
オ.昇圧剤投与および原因探索(時刻A)
10時56分に鎮痛剤フェンタニル0.1mg、10時57分に昇圧剤エホチールを静脈投与、10時58分に冠動脈造影用のシース(ラジオフォーカスイントロデューサー)を準備し、冠動脈造影着手。
11時0分(時刻B)の血圧は72/44mmHg。
同時刻ころに昇圧剤プレドパの持続投与開始。
原告は息が苦しいものの胸は痛くないと訴えた。
11時1分に昇圧剤エホチールを静脈投与、X線透視下で心内、大動脈への空気混入の有無の確認、心タンポナーデを除外するための心内エコー検査を実施し、空気混入がないこと、心タンポナーデではないことを確認。
11時4分(時刻B)の血圧は79/52mmHg、昇圧剤エホチール投与。
カ.心室ペーシング開始
11時4分、徐脈に対処するため、心室ペーシング(ペースメーカー治療)開始。
11時5分の血圧は68/42mmHg。
キ.人工呼吸器管理および昇圧剤投与(時刻A(この時点での時刻Aの正確性に疑義))
11時7分、鎮痛剤プレセデックスの持続投与を中止し、BiPAP(自発呼吸補助)からBVM(マスクによる人工呼吸)へ変更、昇圧剤プレドパを増量(5mL/h)。
11時8分ころの意識レベルはJCSⅡ。
11時12分ころ、プレドパ増量(10mL/h)。
11時14分ころ、気管内挿管し、人工呼吸開始。
ク.血圧の推移(時刻B(時刻Aより約1分遅い))
血圧は11時5分で68/42mmHg、11時12分で測定不能、心拍数は70。
11時15分、血圧測定不能、心拍数69。
ケ.冠動脈造影検査による閉塞確認(時刻C(時刻Aより約2分30秒早い))
11時13分19秒、左冠動脈造影をしようとしたが造影剤が入らず不奏功。
11時13分41秒、再度左冠動脈造影を実施したところ、画像に胸骨圧迫の術者の手が映っており造影画像不鮮明。
11時14分4秒、左冠動脈造影を実施したところ、前下行枝および回旋枝の閉塞確認。
なお、造影中は心臓の上に透視装置(Cアーム)があり有効な胸骨圧迫は難しい。
11時17分42秒、右冠動脈造影をしようとしたが造影剤が入らず、しばらく造影されなかった。
コ.PCPS開始など(時刻A(時刻Bは1分遅く、時刻Cは2分30秒早い))
11時25分より前にPCPS(経皮的心肺補助法)の準備開始、11時30分にPCPS開始。
11時45分、自己心拍再開、血圧は30mmHg/拡張期測定不能。
11時50分、左冠動脈に冠動脈拡張剤シグマートの持続投与を開始したところ、11時51分の血圧は111/82mmHg、11時55分で134/84mmHgと徐々に回復。
11時53分(時刻C)に、右冠動脈の造影検査をしたところ、起始部での閉塞が確認され、12時0分および12時9分の冠動脈造影検査により、左右冠動脈の再灌流が確認された。
以上の病態は、後日、左右冠動脈の同時冠攣縮による全心臓虚血が原因であるとされた。
(2)転院までの経過
原告は、心肺停止による低酸素脳症後遺症により、意識が回復することなく、平成27年3月11日に転院した。
(3)過失(平成26年11月26日の過失のみピックアップ)
ア.10時44分から46分までの心電図変化から、左主幹部および多枝病変による心筋虚血を疑い、冠動脈造影を実施すべきであったのに、これを怠った。
イ.10時50分の時点で、心電図変化に加え、血圧が著明に低下したことから、左主幹部および多枝病変による心筋虚血を疑い、冠動脈造影を実施すべきであったのに、これを怠った。
ウ.左冠動脈の閉塞が確認された11時14分に、血栓または攣縮のいずれであるかの鑑別などのため、シグマートを投与すべきであったのに、これを怠った。
エ.11時5分36秒以降、可能な限り頻繁に血圧測定を繰り返し、連続的に血圧を監視する注意義務があり、遅くとも11時8分までに動脈圧の連続モニタリングを行うことが可能であったにもかかわらず、これを怠った。
オ.11時12分に血圧測定不可を認識した時点で、即座に効果的な胸骨圧迫を開始すべきであったのに、これを怠った。
(4)原審は、被告に過失があったということはできないと判示した。
[2]控訴審
(1)各時刻の時間差
時刻Bを基準とする時間差は、時刻Aは+36秒、時刻Dは+80秒、時刻Cは+200秒となる。
この点に関し、証人(医師)の尋問では各時計は一致していた旨や各時計の一致を手術後に確認した旨の供述があるが、裁判所は、他の証拠から時刻のずれを詳細に検討したうえで、証人の供述は採用できないとした。
(2)胸骨圧迫による心肺蘇生措置が遅れた過失など
血圧計モニターに血圧測定不可の表示がされたのは11時12分11秒(時刻B)であり、胸骨圧迫の実施を確認し得るのは冠動脈造影検査による動画に手の影が映り込んだ11時13分41秒(時刻C)であり、時刻Bと時刻Cの時間差が200秒であるから、動画に手の影が映り込んだのは血圧測定不可の表示がされてから約4分50秒後となる。
そして、それ以前に胸骨圧迫が開始されていたことを認めるに足りる証拠はない。
手術の際の全ての出来事を診療記録に記載することができるものではないとしても、人工呼吸や胸骨圧迫といった心肺蘇生措置は生命予後にも関わる重要な措置であって、記録の必要性も高いとされ、これが診療記録にないことは不自然である。
看護レポートには手術の際の他の出来事が詳細に記録されていることにも照らすと、心肺蘇生措置にかかる記載がないことの不自然さはより著しい。
動画に手の影が映り込む前から心臓マッサージが行われていたなどの経過は尋問時の供述にほとんど現れておらず、その重要性に鑑みるとやはり不自然である。
また、尋問では、胸骨圧迫を最初に始めたのは「自分だと思います」と供述しており、胸骨圧迫を開始した主体の点でも変遷が見られる。
これらの事情によれば、控訴審で提出された陳述書の記載を採用することはできない。
(3)控訴審は、脳への血流が途絶する時間が3分以上続いた場合、脳の神経細胞の不可逆的な変化が生ずることを踏まえると、被控訴人には、胸骨圧迫による心肺蘇生措置の開始が遅れた過失があると判示した。