筆者は本件の原告代理人弁護士である。
本判決で医療訴訟では認められにくい「説明義務違反と死亡結果との因果関係」が認められたこと、つまり「説明義務が尽くされていれば患者はリスクのある検査を見送っていたであろうから、検査した結果死亡したことは説明義務違反と因果関係がある」と認定されたことは、なかなか画期的である。
しかしながら、本来は、死亡原因やこれをもたらした胆道鏡の適応違反や過拡張を認められてしかるべきであった。
本件は医療法6条の10による医療事故報告がなされており、裁判中に共有された医療事故調査・支援センターの調査報告書でも「急性膵炎が急速に重症化した背景として検査中の膵内胆管損傷が疑われた」と指摘されていた。
しかし判決では「穿孔とは胆管壁の全層損傷で外部と交通できる状態であるからセンターの調査報告書は穿孔とまでは指摘していないし、もしセンターの調査報告書が穿孔と同義で『膵内胆管損傷』と記載しているとしてもそれは疑いのレベルにとどまっている」などとの理由で、死因を胆道鏡検査による膵内胆管損傷と結びつけなかった。
またそもそも本件患者はERCP・胆道鏡検査の生検結果でPSCすら否定されているなかで、センターの調査報告書では「(ERCPによる胆管造影でおおむね異常がないことを確認した後に)胆管拡張用カテーテルで追加拡張して胆道鏡検査をしたことは適切とは言い難い」、胆管拡張用カテーテルのバルーン拡張についても「患者の胆管径に比して過拡張となった可能性がある」と指摘されているにもかかわらず、胆道鏡を太めのバルーンを拡張して検査していることの適否まで判断していない点も不満である。
なお、センターの調査報告書のみならず、学会で主治医と並び立つ権威の一人である医師が原告側証人として出廷し、原告主張を裏付けてもいた。
この点は不満が残るものの、判決が説明義務違反と死亡との因果関係を認定したことは評価できる。
本件では検査入院前約1カ月半の間、複数回にわたり外来で主治医が本件検査を「胃カメラと同じようなもの」程度の説明で進め、これら外来で患者は常に家族を同行させていた。
検査入院夜になって比較的高齢な本件患者一人に、主治医ではない他の医師がERCP検査の「説明書・同意書」を持参して患者にサインを求め患者はサインした。
しかしその書面にERCPの死亡率等が印字されていたからといって(胆道鏡検査の説明やリスクは書面上にない)、すでに複数回にわたり外来で家族ともども権威とされる主治医から「胃カメラと同じようなもの」程度の説明しかされなければ、入院夜の時点で書面にリスクの記載があったとしても、患者が検査のリスクを認識できずにサインして検査を受けてしまった、と裁判所が認定してもやむを得まい。
このように、本件では説明不足(説明の欠如)による患者側の、検査を受けるかどうかの自己決定権が侵害されていること(判決は「自己決定権の侵害」と明記しているわけではないが)が重視されており、その背景には、本件経過を全体的に見たとき、「その分野の権威の一人とされる主治医が、この患者にとっては必ずしも必要ではない、リスクのある検査を、患者の利益の観点ではなくもっぱら主治医自身が実施したかったので実施したのではないか」という事情が感じられるからだと個人的に推測する。
本判決はそれなりに報道され、鍵を掛けないX(旧ツイッター)の医療者による反応などを興味深く眺め、判決文を読まない状況下とはいえ、もう少し、事案に関する情報を得てから感想を述べた方が客観的ではないか?と思う投稿をたくさん目にした。
1点目に「いくらわれわれ医師が説明して同意書にサインしてもらっても、後で患者が説明内容を理解できないと言ったら訴えられて負ける危険があるのだ」などと、本件ではそもそも検査入院夜までリスク説明も同意書・説明書の取得もなかったという経過を知らない故のコメントが多かった。
2点目に「われわれ勤務医は薄給で長時間働いているのに72歳女性患者死亡で6300万円の賠償金というのは解せない」というコメントも多く、これはわが国人身損害賠償の金額換算システムを知らないための誤解と思われ、交通事故も医療事故も同じく、被害者の死亡時収入が一様に換算され損害額に反映されるのであり、本件患者は、年齢や性別からあまりイメージできないと思われるが、会社役員でありかなりの高収入であった故の判決認定額である。
日本の医療機関と医療者の置かれた厳しい状況(本来は適正な診療報酬が設定されるべきところ低く抑えられている、原材料費や人件費高騰の負担、働き方改革が実施されたとはいえ研究時間が労働時間換算されない、その他、本来は最も大切であるための「医療」政策の国による軽視など)下で誠実に奮闘する医療者に常日頃敬意を有するものの、医療訴訟報道時、ごく一部の医師に見られる「司法は医療に無知。弁護士は金儲け目当てに裁判。医師は常に冤罪(えんざい)被害者」という誤解は改めていただきたく、医療紛争における「情報共有と相互理解」の大切さをますます感じる。