[1]診療経過
一審原告(当時54歳)は、令和2年9月13日午後5時47分ごろ、自宅で、右側頭部に1分ほどの軽い頭痛を感じた後、左手足がしびれるような違和感や左側が見えないという視野の異常を自覚したため、救急搬送を要請し、一審被告の運営する病院(以下「本件病院」という)に救急搬送され、午後6時39分までに頭部単純CT検査を受けた。
研修医Fが、午後6時50分ごろ、一審原告を診察し、頭痛は消失したものの、左手足の痺れが少し残っており、左の同名半盲の症状は軽減することなく継続していることを確認した。
研修医Fは、夜間救急外来の当直医であった上級医の呼吸器外科医Gと協議の上、CT画像ではっきりと分かる出血や広範な脳梗塞が確認されなかったことなどから、出血や脳梗塞の可能性は残るものの、一審原告を一晩入院させ経過観察とすることを決めた。
なお、同日の本件病院の当直医としては、循環器内科医Jも在院していた。
同年9月14日朝、一審原告の左視野の欠損が続いていたため、同日午前7時30分ごろ、呼吸器外科医Gは、本件病院神経内科の医師宛てに、紹介文を送付した。
紹介を受けた本件病院の神経内科医Hは、視野が中心視野は良いが、左側がよく分からず、特に上側が見づらいこと等を確認し、その後、同日午後2時ごろ、MRI検査を行った。
神経内科医Hは、同日午後2時42分ごろ、MRI検査の結果、一審原告の右後大脳動脈領域に急性期梗塞巣を認め、脳梗塞の疑いがあると診断し、脳梗塞の治療を開始した。
一審原告は、令和2年9月28日に本件病院を退院したが、左上4分の1視野欠損が残存した。
なお、一審原告に生じた脳梗塞の原因は、同年9月14日、同月24日、令和3年2月26日の各MRI画像を比較することで初めて、血管攣縮による脳梗塞であったことが判明した。
[2]注意義務
令和2年9月13日午後6時50分ごろの時点において、一審原告について脳梗塞等の可能性が残っていることを研修医Fや呼吸器外科医Gは認識していたところ、もう一人の当直医の循環器内科医Jは、同日夜間から翌14日朝にかけて一審原告以外の脳梗塞の疑いがあると診断された3名について、頭部CT検査で出血や明らかな脳梗塞所見がなかったものの脳梗塞が疑われるときに頭部MRIを行ったり、神経内科医Hにコンサルトを行う等していた。
これに対して、呼吸器外科医Gは今回が赴任してから2回目の救急当直で、かつ当直で脳疾患が疑われる患者を診察したのは今回が初めてで、しかも脳CTや脳MRIの読影について専門としていなかったという事情があり、また、当時の本件病院においては一審原告の疾病を明らかにするためにMRI検査を実施することが可能な体制および神経内科医に対して相談をする体制が構築されており、かつ、当時の医学的知見等によっても、緊急MRI検査が可能な場合は頭部単純MRI検査を行うことによって、CTでは診断の難しい小脳・脳幹梗塞を診断できる場合があるとされ、脳梗塞の急性期治療に関するtPA療法は発症から4.5時間以内という制約があったところ、上記午後6時50分ごろの時点において、CT検査でも確定診断には至っていなかったのであるから、脳梗塞の鑑別をするためにMRI検査を実施すべき注意義務および神経内科医への相談をすべき注意義務を負っていた。
それにもかかわらず、これを行わず、各注意義務に違反した。
[3]相当程度の可能性侵害
因果関係(高度の蓋然性)がない場合であっても、医師が医療水準に応じた診療行為をしていれば患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在するときは、医療機関は、患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任又は債務不履行責任を負うと解すべきである(最判平成15年11月11日等参照)。
ここでいう「重大な後遺症」とは、生命侵害の場合と同視し得る程度の後遺症を意味し、神経系統の機能または精神もしくは胸腹部臓器の機能に著しい障害を残し、常時または随時の介護を要する程度のものに限られず、両眼の失明等々、社会生活を営む上で重大な支障を及ぼす程度の後遺症も含まれると解するのが相当である。
これに対して、一審原告の後遺症は、生活の糧としても非常に重要な左上視野喪失であると主張するが、障害等級第9級には満たず、運転免許の取得制限もないことからすると、生命侵害の場合と同視し得る程度の後遺症であるということはできない。
[4]説明義務違反
同日午後6時50分ごろ時点において、脳梗塞の鑑別をするためにMRI検査を実施すべき注意義務を履行していれば、右後大脳動脈に閉塞ないし狭窄(きょうさく)が生じていることおよびこれによる脳虚血状態が維持された場合、脳梗塞の発症に至る可能性があることを把握することができたといえ、脳梗塞の鑑別をするためにMRI検査を実施するとともに、その結果を踏まえて、速やかに、一審原告に対し、右後大脳動脈の閉塞ないし狭窄が生じていることおよびこの状態が維持されると脳梗塞に至る可能性があることを説明した上で、tPA療法などの脳梗塞治療の選択肢およびその内容と利害得失を説明し、当該治療を受けるか否かを自己決定する機会を与えるべき義務を負っていたというべきである。
それにもかかわらず、これを行わず、上記注意義務に違反した。