世界の心筋梗塞治療の現場に革命を起こしたい 小山卓史

小山卓史
さいたま市立病院
副院長

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/皆木優子

1980年代以降に登場し普及した血栓溶解療法や経皮的冠動脈インターベンション(PCI)治療を用いた再灌流療法により、心筋梗塞の急性期救命率は劇的に改善した。しかし、急性期の治療成績が改善した一方で、その分、慢性期に心不全に苦しむ患者が増加するという新たな問題に直面することとなった。その原因となっているのが、「再灌流傷害」だ。

再灌流傷害とは、急性心筋梗塞において、血流が途絶した心筋組織へ血流を再開させる行為が、逆に心筋細胞の多くを死滅させてしまう現象で、急性期のみならず、その後の患者の寿命にも大きく関わる重大な合併症だ。だが、これまで再灌流傷害に対する有効な治療法は確立されてこなかった。この再灌流傷害を未然に防げれば、壊死する心筋細胞の数を大幅に減らすことができ、心不全にもなりにくいはずだ。

基礎研究を始めて3ヶ月で再灌流傷害の機序に迫る

小山氏が再灌流傷害についての研究をスタートさせたのは、医師になって5年目の1989年だった。国立小児病院(現在の国立成育医療研究センター)内に併設された小児医療研究センターへ、大学医局から非常勤研究員として派遣された時だ。その頃、医局に循環器の医師が少ないため、研究だけに没頭できたのは最初の4ヶ月のみ。短期間で結果を出さなければならなかった。

当時、センター長を務めていたのは、元ミシガン大学薬理学教授の明楽泰氏だった。小山氏にとって明楽氏との出会いは、研究を進める上で大きな意味を持っていた。

小児医療研究センターには、明楽先生が浜松ホトニクス※と共同開発した、細胞内カルシウムイメージング装置がすでにあった。この装置で安定した結果が出せるようになっていたからこそ、小山氏の単離心筋細胞での虚血再灌流実験は短期間で結果を出すことができたのだ。

「明楽先生から基礎研究者としての姿勢や考え方を学べたことも非常に大きく、今の私の研究者としての土台になっていると思っています」

小山氏が再灌流傷害のメカニズムの解明に迫ったのは、研究を始めてからわずか3ヶ月後のことだった。

心筋の収縮を司っているカルシウムイオンは、細胞内外で1万倍の濃度差がある。細胞内の濃度が極端に低く制御され、少ない量のカルシウムイオンの出し入れで、収縮弛緩が制御される仕組みだ。

虚血状態になると、エネルギー物質であるATPを温存するため、細胞内に乳酸をためて収縮しないようにする作用が起こる。その一方で、それに拮抗するように細胞内カルシウムイオン濃度を上げて、収縮を逆に維持させようとする反応も同時に起こる。この状況で、再灌流により一気に乳酸が洗い流されてしまえば、異常に高まった細胞内カルシウムイオン濃度の影響を受けて、極めて強い収縮が起こり、虚血で傷んだ細胞を著しく傷害する。

再灌流傷害の根本原因はそこにあると小山氏は結論づけた。

小山氏が研究を始めた頃は、血流を再開させるとカルシウムイオンが外から入ってきて、そのために細胞が傷害されると考えられていた。

「実際に単離心筋細胞で実験をしてみるとカルシウムイオンは外からは入って来ないのです。それは、細胞間結合による縛りのない、バラバラにした細胞で実験していたから分かったことなのです」

心筋組織や心臓全体を使った実験系では、強い収縮により細胞膜が破綻して、そこから大量のカルシウムイオンが流入する。だが、それは、既に細胞に致命的な傷害が起こった後に起きている現象を見ていたにすぎないと、小山氏は気が付いたのだった。

小山氏は、この結果を”American Journal of Physiology”誌上で発表したが、期待した反応は全く得られなかった。

「研究結果が発表されれば反響が大きいのでは、と思っていたのですが、全く期待外れでした。まだ若かったこともあって、研究の世界のこともよく分かっていなかったのですね」

無名の若い研究者から発せられた、当時の常識を覆すメカニズムに、大半の研究者は耳を貸すことはなかった。これもサイエンスの世界で時にみられる、〝打ちのめされずして棄て去られた理論〞の部類に入る、と小山氏は振り返る。

その後も研究を続けるため、自身の考えと近いと思いユタ大学へ留学した。しかし、行ってみると教授の考え方との違いは決定的だった。2年間の留学期間、思うような研究成果が出せぬまま終えた小山氏。基礎研究を続けることを諦め、帰国後は臨床医の道を歩むことに決めた。

身近なリンゲル液で主流の理論を覆す

小山氏が再び再灌流傷害と向き合うことになったのは、2005年に「ポストコンディショニング」という治療法が、海外で発表されたことがきっかけだった。

「多くの循環器内科医は、カテーテル治療によって『この血管をどうやって通すか』ということには興味を持ちますが、私は再灌流傷害を研究していた経験から、臨床現場でも「血管を通した後にどんなことが起きているのか」に関心がありました。『ポストコンディショニング』が出た時は『やられたな』と思いましたね」

通常、バルーン操作で閉塞した冠動脈の血流は一気に再開させるが、ポストコンディショニングでは、バルーンの断続的開閉により血流を再開させる。1分流し1分閉じるという操作を4回繰り返せば、心筋梗塞サイズを縮小できると報告された。

2000年以降から主流となっていた、ミトコンドリアの機能障害が再灌流傷害の原因だとする説に基づいた治療法で、小山氏が主張するメカニズムとは異なる理論を土台にしていた。

「ポストコンディショニングが心保護効果を発揮したのは、断続的な血流の再開が、結果的に乳酸の洗い出しを遅らせる処置だったからだと直感しました」

しかし、小山氏がその方法で実際治療を行ってみると、報告されているほどの効果は実感できなかった。また、その後に行われた幾つかの追試験でも、同様の効果が得られないとの報告が相次いだ。

「ミトコンドリアの機能障害が原因と考えていた人たちは、その時点で手詰まりになってしまうのですが、私にはまだ先に進むべき道がありました」

思い付いたのが、乳酸加リンゲル液を使って心筋組織内に乳酸を補う「乳酸加ポストコンディショニング」という治療法だ。虚血心筋は、細胞内に乳酸をとどめて収縮を止めている。半面、細胞内カルシウムイオン濃度は上昇し収縮を維持させるように働く。再灌流で一気に乳酸が洗い流されると、異常に高まった細胞内カルシウムイオン濃度の影響を受けて極めて強い収縮が起こり、虚血で傷んだ心筋組織を著しく傷害する。

そこで、ポストコンディショニングをしながら、さらに洗い出された乳酸を外から補い、心筋組織の乳酸濃度をより高く維持する方法を編み出した。

断続的な血流の再開と適切なタイミングでの乳酸加リンゲル液の冠動脈内注入の組み合わせが、「乳酸加ポストコンディショニング」だ。

「ポストコンディショニングで、乳酸の流出を十分に遅らせることができないのであれば、乳酸を外から補うしかないと思ったのです。乳酸加リンゲル液は、点滴や移植医療の際の臓器保護液としても使用されており、副作用の心配もありません」

入院中の心不全はゼロに長期成績は格段に向上へ

バルーンの開閉で、10秒血流を再開させてから1分閉塞。20秒再開させて1分閉塞。血流再開時間を10秒ずつ延長して、60秒まで繰り返す。

さらにバルーン拡張による冠動脈閉塞の直前に、必ず乳酸加リンゲル液をカテーテルの先から直接冠動脈内に打ち込むことで、乳酸加リンゲル液を虚血心筋内に封じ込める。

こうして流し去られた乳酸を、毎回補いつつ段階的に血流を再開していく。それによって組織の乳酸濃度が高く維持され、再灌流された心筋が一気に収縮を回復することがなくなる。治療の効果はすぐに出た。

「1例目から素晴らしい結果でした。血流再開の様子からして全く違っていました。心筋の隅々まで行き渡るような、とても素晴らしい微小循環血流の再開でした。これこそが、循環器内科医が長く追い求めて来た〝理想の血流再開〞だと思いました。再灌流直後には不整脈もほとんど出ず、再灌流で通常、増強する胸の痛みも著しく軽減されたのです」

小山氏が副院長を務めるさいたま市立病院では、カテーテル治療の際には、必ず乳酸加ポストコンディショニングを行う。これまで治療した80例以上の患者で、入院中の死亡や心不全はゼロだという。それだけではない。閉塞部位を解除しても微小循環の血流が再開されないNoreow現象も経験しなくなった。

「Noreow現象の起きたケースでは、長期予後が悪化することが報告されています。反対の現象が一貫して見られる訳ですから、この治療法によって、心筋梗塞治療の長期成績は格段に向上すると期待できます」

時代の追い風を受け新治療法を世界に広める

乳酸加ポストコンディショニングは、有効な理由をきちんと理解していれば、プロトコールを見ただけで、誰がどこでやっても、良好な結果が出せる。

「他の研究者から、『前向き比較対照試験』をやらないとサイエンスにはならないよ、とよく言われます。でも、あまりにも結果が違いすぎてできないのです。だって、患者さんにはサイエンスなんて関係ないですからね。わずか十数分の操作で、場合によっては寿命が十数年延ばせるかもしれないほどの劇的な差があるのです。この治療をしないという選択枝はもはやないのです。心臓は一つ、人生も一回きりですからね」

現在、この研究を取り巻く状況にも変化が起きている。昨年から今年にかけ、ミトコンドリアの機能障害が再灌流傷害を引き起こすという主説が、2つの大規模臨床試験でほぼ否定されるような結果が出された。

そうした背景を受けてか、小山氏は今年5月にバルセロナで開かれた再灌流傷害研究30周年を記念した会に招待された。また国内でも、学会のシンポジウムで講演する機会が増えてきた。「話をする機会が与えられるのは、すでに風向きが変わってきているということ」と、小山氏は前向きだ。実際、英国では小山氏の論文が1300回を超えるダウンロード数を記録しているという。

乳酸加ポストコンディショニングが再灌流傷害の治療法として、まだ一般的には認知されていないことについて、小山氏は悲観していない。なぜなら確かな結果が出ていることで、「多少時間はかかっても必ず広まる」という自信を持っているからだ。

「後はその時間をいかに短縮するかだけ。いずれは急性心筋梗塞治療のガイドラインに組み込まれることを目指しています」

小山氏の目は、さらにその先の未来をしっかりと見据えている。

P R O F I L E

こやま・たかし
1985年 慶應義塾大学医学部 卒業
慶應義塾大学医学部内科 入局
1987年 浦和市立病院(現・さいたま市立病院)専修医
1989年 慶應義塾大学医学部呼吸循環器内科 入局
国立小児病院(現・国立成育医療研究センター)
小児医療研究センター
1992年 米国ユタ大学循環器内科 リサーチ・フェロー
1994年 浦和市立病院循環器内科 医長
2001年 永寿総合病院循環器内科 部長
2002年 慶應義塾大学医学部 客員講師
2011年 国家公務員共済組合連合会立川病院
循環器センター 部長
2014年 さいたま市立病院 副院長
2015年 慶應義塾大学医学部 客員准教授

◇ 学会・資格
日本内科学会認定医・指導医、日本循環器学会認定専門医、日本心臓病学会心臓病上級臨床医

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2016年7月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

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