産婦人科と腫瘍内科の専門を活かし化学療法でがん患者を救う 温泉川(ゆのかわ)真由

公益財団法人 がん研究会 有明病院 
婦人科 医長 兼 総合腫瘍科 副医長
[Challenger]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/田中掌子 撮影/緒方一貴

化学療法のスペシャリストとしてがん患者の治療を主導しつつ、患者にとって何が必要であるかを考え、各科との調整役も担う腫瘍内科医。日本における腫瘍内科医の数は約1300人しかいない。

そのうちの一人として活躍する温泉川氏は、30代の時に産婦人科から腫瘍内科への転科を決断した。現在は産婦人科・腫瘍内科の二つの専門性を活かし、特に婦人科がんの化学療法に第一線で取り組んでいる。高齢化社会が進むにつれ、がん患者が増えていくと予想される中で、ますます需要が高まる腫瘍内科医。その仕事内容と醍醐味について伺った。

必要なのは、枠にとらわれず次の一歩を踏み出す勇気

「計画を緻密に立て過ぎたり、失敗に臆病になり過ぎると、次の一歩を踏み出せなくなります。若い世代の人たちには、枠にとらわれず一歩を踏み出し、問題や悩みを乗り越えてほしいです」

そう話すのは、自身も30代のころ、産婦人科から腫瘍内科に転科した経験を持つ温泉川真由氏だ。故郷は広島県。広島大学に進学し、医師を志した。

「産婦人科医を目指したのは、手術をしたかったこと、また周産期医療や分娩に関わりたかったことが理由です。産婦人科医である母親の影響もあると思います」

手術や分娩に携わるので、拘束時間も長く、体力的にハードではあったが、「仕事が趣味だった」と振り返るほど充実していたという。先輩や同僚の診療に接して成功や失敗を見る中で、手術のスキルを磨き、患者との接し方も学んでいった。

忙しい日々ながらも、産婦人科医としての力を着実に身に付けた温泉川氏。しかし、医師になり10年が経ったころ、今のままで良いのだろうかという疑問が湧いてくる。

「そのころ、がんの診療にも携わっていたのですが、患者さんの痛みに対してほとんど手助けができなくて。子宮がんや卵巣がんの場合、進行するとつらい痛みや苦しみを伴うケースがありますが、それらを取り除くための手立てが自分には少ないことに気付きました」

手術だけでは治せないがんが多くあることを思い知り、当時の治療に疑問を持ち始めた。今の知識だけでは不十分と思いながらも、その悩みを解消するための手段が分からないという鬱積(うっせき)した気持ちを抱えていた。

離局や転科のハードルは高く周囲からは引き留めもあった

そんな日々の中、ある講演が転機となった。

「国立がん研究センター中央病院の緩和ケア医による講演を聴き、緩和ケアを学ぶことが、がんの患者さんへの治療に役立つのではないかと直感しました」

講演後、症例についてその医師に相談したところ、病院に見学に来るよう誘われた。その見学期間中に紹介されたのが婦人科薬物療法のスペシャリストである勝俣範之氏だ。当時、勝俣氏は国立がん研究センター中央病院の乳腺・腫瘍内科に所属し、婦人科の薬物療法を専門としていた。その場で「腫瘍内科も面白いよ」と声をかけられたというが、当時は腫瘍内科という専門科があることも知らなかった。

研修後、いったんは広島に帰ったものの、腫瘍内科という専門分野に引かれる何かがあった。そこで勝俣氏に連絡したところ、腫瘍内科を見学できることになった。

「研修期間の2日間で、勝俣先生からは『なぜ知らない』『なぜ考えない』と何度も指摘を受けました。それまでの診療では、このがんであればこの治療、と決めつけていました。調べることも、考えることもしていませんでした。しかし、治療についてよく学び、その患者さんにとってのベストな選択を行うことが重要なのだと改めて気付きました」

この経験を通して、もう少し勉強してみたいという思いが強くなり、同院で2年間の研修を受けることに。所属していた広島大学から離局することを決断する。当時、離局や転科はまだまだハードルが高い時代。加えて、地方の大学病院に所属していたため、医局の人員も多いわけではない。周囲からは引き留められたが、後ろ髪を引かれる思いで上京した。

転科後たたき込まれたのは明確な根拠に基づく治療

婦人科医であった温泉川氏はゼロから内科を学び始める。「研修医に戻ったような気持ちでした」と振り返るが、当時は苦労の連続であった。

例えば、カンファレンス。それまでは上司の指示を受けるというケースが多かったが、ここではプレゼンテーションをした医師に対して、ほかの医師やスタッフたちが意見を述べる。それに対してプレゼンテーションをした医師が再び自分の考えをぶつけていく。上司や部下、レジデントという立場は関係ない。あいまいな意見を述べれば、皆を納得させることはできない。温泉川氏は、腫瘍内科医は常に学び続けること、そしてエビデンスをもとにベストな治療計画を立てることが重要なのだと強く実感した。

また、高血圧症や糖尿病を抱えているがん患者もおり、血圧や血糖値のコントロールを行う必要もある。

「それまで内科のトレーニングを受けてきていないので、高血圧症や糖尿病の治療や心電図検査にも不慣れでした」

それでも、落ち込んでいる暇はない。時間を見つけては治療法や検査法について勉強し、少しずつスキルを身に付けていった。外科系からの環境の変化には苦労もあったが、内科を学び直すことで、婦人科医として培った経験にプラスして、提供できる医療の幅は広がった。今振り返ると転科の決断は本当に良い選択だったと温泉川氏は語る。

「それまで経験できなかったことに挑戦する中で、腫瘍内科医としての土台を築くことができました」

未知の症例に一つ一つ向き合う中で、どの臓器のがんにもベースとなるロジックがあることを知る。そのうえで、がんの種類によって応用し、患者に最適な治療を提供する。この繰り返しの中で、がん治療の幅を広げていった。

患者や家族が同じ方向を見て治療に臨めるように導く

その後、がん研有明病院の総合腫瘍科に移り、2019年2月からは、婦人科の医長として婦人科を主軸にしながら、化学療法を担当している。

「化学療法は、手術などの外科的治療の補助的な役割として用いる場合に加え、がんが再発したケースなどにも行います。ですから、積極的な治療が行える人から緩和ケアに転換する人まで、さまざまな段階の治療を行います。なぜこの治療が必要なのか、患者さんやご家族に、治療法とメリット・デメリットを丁寧に説明することが大切です」

医学的側面から良いと考えられる治療法であっても、相手に伝わらなければ意味がない。とはいえ、理解を得るのは簡単ではない。患者や家族が納得をして、同じ方向を向いて治療に臨めるよう導くことが何より大切なのである。

その他、各科との調整を行うことも腫瘍内科医の重要な役割である。患者が緩和ケアに移る際には、緩和ケアの担当医とやりとりをし、転院や退院をする際には転院先の病院や在宅医療を行う医師、ソーシャルワーカーと連絡を取り合うこともある。その時、患者や家族にとって何が必要であるかを考えてコンサルティングを行うのである。

ただ、腫瘍内科は日本ではまだ新しい分野で、全国的に医師が不足しているのが現状だ。まれな疾患であればあるほどがん研有明病院で治療を終えた後、患者の地元にその後のケアを任せられる病院がないために、送り返せないケースもあるという。

「腫瘍内科医が増えれば患者さんの負担も減りますから、若手の育成にも力を入れる必要があります」

痛い、つらいを隠さず言える そんな医師であるために

患者と接する中で心掛けているのは、患者にとって何でも話せる医師であること。化学療法は強い副作用を伴うことも多く、思いを伝えやすい医師であることは治療に大きく影響するからだ。

「もちろん、副作用で亡くなるようなことがあってはいけませんし、つらい思いをしているのであれば、取り除く工夫をしなければなりません。ですから、どんなことでも相談できる雰囲気づくりを心掛けています。毎回成功ばかりではなく、落ち込むこともあります」

最近では、婦人科がんの新薬の研究で治験などの臨床試験に積極的に携わっている。

「子宮頸がんや体がん、卵巣がんなどは、まだ治療薬がほとんどありません。新薬が保険適用されれば、新たな治療の選択肢として患者さんに示すことができます。だからこそ研究にも力を入れて取り組みたいと思っています」

患者へのベストな治療をひたむきに追い求め、産婦人科から腫瘍内科へと転科した温泉川氏。どちらも経験した温泉川氏だからこそできる治療や研究がある。そして、それは必ず未来のがん治療につながっていく。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2020年4月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

ゆのかわ・まゆ
1998年 広島大学 医学部 卒業、聖路加国際病院 産婦人科 レジデント
2000年 独立行政法人 国立病院機構四国がんセンタ- 婦人科
2003年 広島大学 産婦人科 大学院
2007年 国立研究開発法人 国立がん研究センター中央病院 乳腺・腫瘍内科、がん専門修練医、リサーチレジデントを経て医員
2017年 がん研有明病院 婦人科 副医長 兼 総合腫瘍科
2019年 がん研有明病院 婦人科 医長 兼 総合腫瘍科 副医長