救急医の新しい働き方を実現 小規模ユニットで医療過疎地を救う 松岡 良典

広域医療法人EMS 理事長
松岡救急クリニック 院長
[Challenger]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/緒方一貴

現在、日本で大きな問題となっている医師の偏在化。その解決の一手として、これまでにない試みを実践しているクリニックがある。鹿児島県南九州市に2013年に開設された松岡救急クリニックだ。院長を務めるのは松岡良典氏。これまで医師への負担が大きかった救急医療の現場で、「週3日勤務して4日休む」という救急医の新しい働き方を医療過疎地で実現させたことで注目を集めている。

24時間365日体制で患者を受け入れる「断らない救急」を提供しながら、どのように医師の働き方を変えたのか。その革新的な取り組みを取材した。

半径40km圏内をカバー 医療過疎地で「断らない救急」を

救急診療を標榜するクリニックは全国にいくつかあるが、松岡救急クリニックのように医療過疎地で24時間365日急患対応する救急クリニックは全国初であり、ほかに例はない。同院を立ち上げた松岡氏が目指したのは、医療機関が不足する地域に「全く新しいタイプの救急クリニックを作ること」だった。出身地の福岡県久留米市は医療が充実しているため、妻の実家がある鹿児島県枕崎市の周辺で開院地を探した。同院がある南九州市川辺町は枕崎市から車で30分ほどで、辺り一帯には田畑が広がり人家もまばらな地域。一見すると、クリニックを開院するにはふさわしくない場所のようだが、松岡氏はなぜここを選んだのだろうか。

「薩摩半島の南側のエリアは、夜間や休日の救急に対応できる病院がほとんどなく、何かあれば車で1時間かけて鹿児島市内の病院に搬送しなければなりません。そうした医療の状況を聞いていたので、ここならば自分の力を活かせると思ったのです」

開院前に診療圏調査をすると、半径2km以内に住む人はほんの数人で、クリニックを開院しても採算は取れないと言われたが、「それならば診療圏を広くすればいい」と発想を転換させた。もともと医療機関が不足している地域なのだから、アクセスが良ければ間違いなく患者から必要とされると考えたのだ。松岡救急クリニックは薩摩半島の中央部を走る国道沿いに位置し、医療過疎地の南側エリアだけでなく、高度医療機関が集中する鹿児島市内にもアクセスしやすい立地にある。松岡氏の読みは当たり、開院から7年たった現在では、1日に訪れる外来患者の数が250人を超える。2018年に同院が時間外診療を行った患者数は約1万500人。これは鹿児島県内で第2位の実績だ。24時間365日体制で「断らない救急」を実践しているため、その数はさらに伸びている。

驚くべき点は、そうした実績を支えているのが、常勤医師2人、看護師11人、放射線技師3人という少数の人員だということ。さらに、医師の過酷な労働によって救急医療が維持されている医療機関が多い中で、同院では「週3日勤務して4日休む」という医師の勤務体制を実現している。

「これまでの救急医の働き方は、昼も夜も関係なく病院に泊まり込みで、時間外手当ても出ない。もちろん、やりがいはありますが、過酷な勤務が続けば燃え尽きてしまいますよね。だからこそ救急医の働き方を変えたいとずっと思っていました」

そうした思いを強く抱くようになった背景には、松岡氏自身の経験がある。

9つの専門資格を取得し救急・手術・集中治療を行う

松岡氏が救急医を志すようになったのは、医学部5年生の時に目撃したバイク事故がきっかけだった。近くのクリニックから医師たちが駆け付けたが、右往左往するばかりで何もできずにいたという。そのうち到着した救急隊が迅速に指示を出し、被害者はストレッチャーで病院へ搬送された。「これではどちらが医師なのか分からない、と思ったのを覚えています。人の命を救ってこそ医師なのではないか。そう考えて、救急医になろうと決めました」

いざ救急医療の現場に足を踏み入れると、救急の専門的なトレーニングを受けていなければ、たとえ医師であってもいざという時に対応するのが難しいことを実感した。「研修で数カ月のローテーションをこなしただけで身に付けられるものではない」と松岡氏は言う。一方で、救急医が各診療科への「振り分け係」になってしまっている現状も目の当たりにした。

「学生のころに研修医の先輩の姿を見て、もう救急対応をしているのかと驚いたのですが、冷静に考えれば経験の少ない1、2年目の医師に対応できるはずがありません。すぐに各診療科の医師を呼べる安心感があるから対応できているだけ。全ての救急医がそれと同じようなことをしていたのでは、誰にでもできると思われてしまう」

「振り分け係」ではない、本当の救急医の在り方とは何か。松岡氏が出した答えは、救急科に加え、それ以外の専門性も高めることだった。そこでまず始めたのが麻酔科での研鑽である。救急医と並行して麻酔科の専門資格を取得するため、昼間は麻酔科で勤務し、夕方からは救命救急センターで働く日々。休みは月に1日あるかどうかのダブルワークが続いた。

「二つの専門資格を取得するためには2倍頑張らなければならない。大変でしたが、自分がどんな医師を目指すのかがはっきりと見えていたから努力できたのだと思います」

麻酔科のスキルがあれば、救急処置をして手術で麻酔を担当し、術後にICUでの集中治療を手がけることもできる。一続きの医療を提供できるようになることが、松岡氏の目指す医師像だった。麻酔科の専門資格を取得すると、そこからは次々と専門分野の幅を広げ、これまでに9つの専門資格を取得。けがの手術に対応するために整形外科、脳卒中患者を診るために脳神経内科での研鑽も積んだ。整形外科から派生して取得した学会認定のリウマチ医とスポーツ医の資格は、専門とする医師がほとんどいない医療過疎地での診療に特に力を発揮している。

医師になって10年がたつころには、救急処置、手術、集中治療までの一連の流れを一人でこなせるようになっていた松岡氏。当時勤務していた病院では「全て任せられる」と、松岡氏に仕事が集中した。やりがいがある一方で「これが一生続くのか……」と限界を感じるようになっていた。

当直2回の週3日勤務 救急医の働き方を変える

救急医の無理のない働き方を考え続けていた松岡氏が出した答えが、松岡救急クリニックの勤務体制だった。松岡氏は現在、自宅兼法人の事務所がある福岡から鹿児島のクリニックまで、2時間かけて新幹線で通勤している。週3日の勤務で当直が2回。通しでの勤務であれば、通勤時間の長さは負担にならない。常勤の医師は2人だが、最低1人でも診られる体制だ。少ないマンパワーで診療を維持できるのは、医師一人ひとりが幅広い領域にわたって高いスキルを有しているからである。それに加えて、長期入院用のベッドがないことも少人数制を可能とする要因の一つだ。入院患者がいれば、病棟を担当する医師や看護師が必要になり、その分人員を増やさなければならない。

「4床あるベッドは救急搬送後の一時入院で使用しますが、ほとんどの患者さんは入院しなくても治療ができます。1日1回の点滴であれば、外来で十分。例えば肺炎でも、重症で入院治療が必要であれば連携病院に搬送しますが、中等症であれば当院の外来で治療をします」

同院では整形外科を中心に手術も手がけ、救急搬送は軽症から重症まで受け入れる。年間の救急搬送受入数は約700台で、開院時からこれまで一度も断っていない。

松岡氏が理事長を務める広域医療法人EMS(Emergency Medical Service)では、鹿児島県南九州市に続いて山口県美祢市、埼玉県加須市にクリニックを開院し、全国展開が進んでいる。いずれも県内で最も医師数が少ない地域である。2019年7月には鹿児島県で2カ所目となる曽於市にも開院した。医療過疎地であるにもかかわらず、勤務スタイルに魅力を感じて集まるスタッフは多いという。

「現地で医師を探そうとすると難しいですが、週3日勤務して4日休むという働き方ならば、全国から通勤が可能です。飛行機や新幹線などでも交通費は全額支給します。必ずしもその地に住んで診療を行うことだけが、地域医療ではありません」

過疎地域に住まなければならないというハードルが下がることで、全国から優秀な人材を確保できるのだ。実際に、南九州市にある松岡救急クリニックには東京や神奈川、広島から医師が通っている。

「これからの時代は総合診療医が必要とされますが、救急対応や外科手術も含めて本当の意味で総合的な診療ができるのは救急医だと思います。若い先生たちにとってはそうしたスキルが身に付けられる環境ですし、ベテランの先生にとっては私たちのような働き方であれば、救急医を続けられるという人も増えるのではないでしょうか」

全国初・救急特例診療所の認定 「困ったら、松岡へ行け」

今では地域にとって欠かせない存在となっている同院だが、開院までにはいくつかのハードルがあった。その一つが救急告示医療機関の認定を受けること。これまで特例診療所として認められていた産婦人科と小児科に加えて、救急でも病床を新規開設できるよう、行政に対して2年にわたり粘り強く交渉を行った。その結果、全国で初めて救急が特例診療所として認められ、その動きは全国に広がっている。松岡氏の大きな功績である。

松岡救急クリニックでは、救急だけでなく外来診療にも力を入れているが、それは「あそこに行けば何とかなる」と患者に安心してもらうためだ。

「救急か外来かは医師が勝手に区別しているだけ。患者さんにとっては、困った時にいつでも行ける病院があることが重要なのです」

高血圧症や糖尿病など慢性疾患のコントロールも含めて、疾患の垣根なく全ての診療を行っているため、地域住民の間では「困ったら、松岡へ行け」が合い言葉になっている。

「以前、自宅で息子がけがをした時に、妻はどこに連れていけばいいのか分からなかったそうです。夜間に小児の外傷を診てくれる病院は、福岡であっても探すのが難しい。結局、妻が車で南九州市の私のクリニックまで連れてきて、私が処置をしました」

だからこそ松岡救急クリニックは「地域の皆さんがいつでも駆け込める場所でありたい」と話す。この先、松岡氏が目指すゴールはどこなのだろうか。

「当院のような救急から外来まで対応できるコンパクトなユニットが医療過疎地に一つあれば、地域医療を救うことができる。日本でそれが実感できたので、例えばカンボジアのような医療資源の乏しい国ではさらに力を発揮できると考えています」

すでにその眼差しは海外にも向けられている。世界へとフィールドが広がっても、「地域に役立つ医療を提供したい」という強い信念は揺るぎない。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2020年5月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

まつおか・よしのり
2003年 佐賀大学医学部 卒業
2010年 九州大学大学院 医学系学府機能制御医学 専攻博士課程 修了
2013年 九州大学病院 救命救急センター 勤務、佐賀大学医学部附属病院 麻酔・蘇生学 講師、佐賀大学医学部附属病院 集中治療部 副部長、松岡救急クリニック 開院

資格
日本救急医学会専門医、日本麻酔科学会認定医、厚生労働省麻酔科標榜医、日本集中治療医学会専門医、日本整形外科学会専門医、日本脳卒中学会専門医、日本整形外科学会認定リウマチ医、日本整形外科学会認定スポーツ医、日本医師会認定産業医