嗅覚の謎に魅了され歩んだ外科医の道 森 恵莉

東京慈恵会医科大学
耳鼻咽喉科学教室 講師
医局長
[Challenger]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/横井かずえ 撮影/皆木優子

2020年1月に開設した新外来棟の光が差し込む渡り廊下で取材の撮影中、何人もの後輩医師とすれ違った。「ドクターズマガジンに載るから、見てね」と一人ひとりに気さくに声を掛けながら「今の子は来年入局。あの子は再来年」と取材陣にも説明を忘れない。すれ違った後輩医師の多くは、女性だった。しかし約18年前に入局した森氏が見た光景は、これとは全く違うものだっただろう。鼻に関してトップクラスの実績や手術数を誇る東京慈恵会医科大学の中でも、最近、患者数が増えている好酸球性副鼻腔炎に対し、積極的に手術を行っている森氏の素顔に迫った。

試行錯誤を重ね追究している好酸球性副鼻腔炎の手術

耳鼻咽喉・頭頸部外科には多くの副鼻腔炎患者が訪れる。中でも好酸球性副鼻腔炎の患者が多い。好酸球性副鼻腔炎は厚生労働省による指定難病の一種で、両側の鼻の中に多発性の鼻茸ができる。一般的な慢性副鼻腔炎は抗菌薬と内視鏡手術で治癒するが、手術をしても再発を繰り返すのがこの病気の特徴である。

「好酸球性副鼻腔炎はステロイド剤を投与すれば軽快しますが、長期使用は望ましくありません。また長く患うほど、嗅覚の改善が難しくなります。そのためタイミングを見て手術し、より良い状態が長く続くようにコントロールすることが重要です」

手術の中でも特に力を入れているのが内視鏡下鼻副鼻腔手術(ESS)だ。半世紀以上前に同学耳鼻咽喉科の故・高橋研三氏、故・高橋良氏らが鼻の中から手術する鼻内手術を生み出し、6代目教授である森山寛氏らにより、1980年代に慈恵式内視鏡下鼻内手術が導入された。この流れをくみ東京慈恵会医科大学附属病院は、鼻副鼻腔疾患に対する手術件数・手術成績において世界トップレベルにある。

森氏は慈恵医大で2009年に開設した「嗅覚アロマ外来」の立ち上げメンバーの一人だ。

「初めは、外来ブースの空いている土曜日の午後のみに開かれたマイナーな専門外来でした。もっと嗅覚外来の存在を知ってほしくて、患者さんのデータをまとめることにしたのです」

森氏は外来終了後、患者一人ひとりの症例をデータとしてまとめ、その結果を論文にして学会発表を行った。そうした地道な取り組みが実を結び、耳鼻咽喉科を専門科として確立した初代教授、故・金杉英五郎氏を記念して創設された金杉賞を受賞している。また嗅覚外来自体も、開設から10年以上が経過し、今では全国から多くの患者が訪れる。嗅覚に関する研究に対して、文部科学省から研究費も獲得し、嗅覚を専門とする後進やスタッフも集まるようになった。

「慈恵医大病院の耳鼻咽喉科は、鼻の手術件数や古い歴史で知られていますが、今では嗅覚にも力を入れていると少しは認識していただけるようになりました。私自身、まだ満足していませんが、ここまで走ってきたことが実を結び始めています」

森氏は、日本鼻科学会が2020年1月からスタートした、鼻科手術指導医制度の第1期暫定指導医にも名を連ねている。

「好酸球性副鼻腔炎の手術は出血しやすく、ほんの小さな傷で嗅覚が戻らなくなるリスクがあります。いかに正常な組織に傷を付けないようにするか、また術後の嗅覚が最大限改善するように細心の注意を払って手術しています」

常に手術方法や手技について試行錯誤を重ね、ベストを追究する。ストイックなその姿勢が報われるのは、やはり患者から感謝の言葉をもらったときだ。

「患者さんから術後に『先生、匂いを感じるようになって世界が変わりました!』と言われると、本当にうれしくなります。『よし、全ての患者さんにそう感じてもらおう』とやる気が湧きますね」

臨床の仕事に加えて、2020年6月からは医局長に就任した。一週間のスケジュールを聞くと、外来、病棟、手術などのルーティンに加えて、外勤、院外での手術指導、複数の学会への出席や講演、医局会、製薬会社との打ち合わせ、さらに研究、後輩指導や国内外の論文査読など…分刻みのスケジュールが続き、席の温まるいとまがない。

また自身の立場を「(人と人とをつなぐ)仲人のようなもの」と例えるように、医局長として全医局員140人の人事調整や困ったことの相談窓口も行っている。事実、2時間弱のインタビュー中にも数分おきに電話が鳴り、各部署や関連病院から調整連絡や相談などが相次いでいた。

医学を学ぶ中で感じた嗅覚への疑問が興味に

医師を目指したルーツは、歯科医として口唇裂・口蓋裂の口腔外科手術を専門としていた父の存在が関係している。

「父は学会などのたびに、子供だった私を相手にプレゼンテーションの練習をしていました。手術前後の写真を見せて『患者さんの口がこういう風にきれいになるのだよ』と。単純に『すごい』と感じました。思えばそれが医師を目指すルーツだったと思います」

同時に、幼い頃から鼻が悪く耳鼻科に通っていたことが耳鼻科専攻につながっている。

「近隣に3つの耳鼻科クリニックがあったのですが、どれも当時としては珍しい女性の開業医でした。自分の中で一番身近な医師は耳鼻科の先生でした」

歯科医の父をルーツに持ち、耳鼻科の女性医師に親しみを感じ、医師になるために筑波大学に入学した森氏だが、医学を学ぶ中である疑問にぶつかった。

「生理学の教科書で五感を学んでいるときに、視覚や聴覚などと比べて、嗅覚のページ数があまりに少なく、驚きました」

視覚や聴覚と比べると嗅覚の障害は生活への影響が少ないため、あまり研究が進んでいないということが分かった。森氏はまだ分からないことが多い嗅覚の分野に強い興味を覚えたという。

「嗅覚を感じる神経の分布はたった数平方センチメートル。そのような小さな範囲であれだけの深い感覚を呼び起こせる嗅覚というものに強い関心を持ちました」

耳鼻咽喉科の中でも嗅覚に興味を持った森氏は、卒業後迷うことなく耳鼻咽喉科の名門である慈恵医大の門をたたいた。だが、意気揚々と医局を訪問した森氏は出鼻をくじかれることになる。

「入局したいという私に対して、言われた言葉は『うちは女性にはきついよ』と。大変なショックを受けました」

男性中心の社会であることをやんわりと告げられた森氏は、ショックに打ちのめされたという。だがショックは次第に怒りに変わり、怒りはやがて原動力へと変化していった。

「どうしても慈恵医大の医局で学びたかったので、ここで負けるものか、と歯を食いしばりました」

無事に入局することはできたものの、男性中心の医局では当直室も整備されておらず、医局のソファで寝泊まりすることも日常茶飯事。人事異動で関連病院へ移るときは「今まで女性が来たことはない」「女性はお断り」と言われることすらあったという。

「時代的な背景もありますし、いろいろありました。ですが仕事に熱中しすぎて、気にする暇もありませんでしたね。手術もどんどん覚えていき、患者さんからは感謝してもらえる。自分自身では負けていないという自負もありました」

嗅覚の大家、Hummel教授の下で嗅覚の勉強に没頭した3カ月

最初の転機は神奈川県にある太田総合病院に異動したときに訪れた。3年半の修業中に内視鏡手術を数えきれないほど経験し、気付けば独りで手術ができるようになっていた。

「初めは本当に下手でした。何度やっても内視鏡が汚れてしまう。ですが当時の上司たちは文句も言わずに見守ってくれました」

2度目の転機は2009年、聖路加国際病院にクリニカルフェローとして異動したときだ。

「4年半にわたって器械の使い方から止血の仕方まで、一から学び直しました。鼻手術のスペシャリストである柳清先生に指導してもらい、学ぶことが多かったです」

聖路加国際病院に勤務後の2013年には、Smell and Taste Clinic, Department of Otorhinolaryngology, TU Dresden, Dresden, Germanyへ短期留学をした。

「Smell & Taste Clinic のThomas Hummel教授は嗅覚の大家。彼のラボにいたといえば、世界中どこに行っても通用するほどです。Thomasに国際学会でお会いして『ラボにおいで』と声を掛けていただき、どうしても行かせてほしいと医局に頼み込みました」

ドレスデンで過ごしたのは3カ月余り。しかしそこでの学びは他では得難いものだったという。

「医師になってから初めてどっぷりと勉強に没頭できた3カ月でした。子供の嗅覚というテーマを与えてもらい、嗅覚が子供の人生や将来に大きな影響を与えることを学びました」

「鼻を学びたい」という情熱から女性医師のリーダー的存在に

太田総合病院、聖路加国際病院と修練を続け、慈恵医大附属第三病院に異動して来たとき、森氏は本当の試練を感じたという。

「このときに初めて、上に誰もいない状態で自分が手術を指導する立場になりました。怖くて仕方なく、本当ならすぐにでも自分が手を出したい―。そんな気持ちを押し殺して、後輩の指導をするのが苦しかったのを覚えています」

自分自身が手術を行うのと、後輩が安全に手術を行うのを指導するのとでは天と地ほどに違いがある。

「自分が行っていたことを、言葉に変換して誰かに伝える。この作業がとても難しいことを知りました。後輩指導ができるようになったときに、外科医としてのブレークスルーがあったように思います」

初めて医局の門をたたいた日に「女性にはきつい」と言われたが、ふたを開けてみれば「鼻を学びたい」という情熱を持つ森氏に上司たちはチャンスを与え続けてくれた。

「実力のある先生の指導を受ける機会に恵まれていました。今思えば全ての試練は、私が成長するために与えられたチャンスであったと思います」

嗅覚の謎に魅了され、女性にとってはいばらの道ともいえる外科系の道をひたすら走ってきた。その軌跡は、後に続く女性医師へ道を開いてきたことになる。今では増えつつある耳鼻咽喉科専攻の女性医師のリーダー的存在だ。

「耳鼻科でキャリアパスを示してくれる女性医師の先輩はわずかでした。しかし全国の頑張っている女性医師を知るだけで、勇気が湧いてきたのを覚えています。自分のことを語るなど、本当は得意ではありません。ですが私自身が先輩医師の歩んできた道に勇気をもらったように、これから医師を目指す後輩たちのエールに少しでもなることができたら最高ですね」

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2021年2月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

もり・えり

2003 筑波大学医学専門学群 卒業
東京慈恵会医科大学附属病院 耳鼻咽喉科学教室 入局
東京慈恵会医科大学附属柏病院 初期研修
2004 東京慈恵会医科大学 耳鼻咽喉科学教室 助教
2005 富士市立中央病院 耳鼻咽喉科
2006 医療法人 愛仁会 太田総合病院 耳鼻咽喉科
2009 聖路加国際病院 耳鼻咽喉科 医員
2013 東京慈恵会医科大学附属第三病院 耳鼻咽喉科 助教
Smell and Taste Clinic, Department of
Otorhinolaryngology, TU Dresden,
Dresden, Germany
2014 東京慈恵会医科大学附属第三病院 耳鼻咽喉科 助教
2016 東京慈恵会医科大学 耳鼻咽喉科教室 助教
2017 東京慈恵会医科大学 耳鼻咽喉科教室 講師
2020 東京慈恵会医科大学 耳鼻咽喉科教室 医局長

研究分野 鼻科学:嗅覚・嗅覚障害・鼻副鼻腔炎症性疾患

愛読書:村上春樹・東野圭吾
影響を受けた人:両親
好きな有名人:MISIA・スガシカオ・山崎まさよし
マイブーム:ZUMBA
マイルール:週一回の体メンテナンス(整骨院)
宝物:我慢強い夫
座右の銘:与えられしチャンスを生かすべし