常勤の小児科医の存在が人口流出の抑止力になれば
大学を卒業する時点で小児科医になることを決めていたという今野氏。弘前大学医学部附属病院小児科の循環器グループに所属し、先天性心疾患や染色体異常といった重症患者の診療を担当していた。
「お母さんのおなかにいるときから診て、生まれてからも入院治療を続ける子も多かった。そのまま最期まで見届けたお子さんもいました。大学病院には重症例が集まるので深刻な患者さんが多いですが、その分やりがいもありました」
心境に変化が訪れたのは医師になって10年目の時。そのまま大学病院で専門的な診療を続けるか、地域の病院やクリニックで小児科医として新たな道を選ぶか。迷った末に湧いてきたのが、「地域で診療をしたい」という思い。その決めてになったのは、2011年に起きた東日本大震災だった。父の実家がある女川が、津波によって壊滅的な被害を受けた。女川のために何かできないだろうか、と考えたことが地域医療に踏み出すきっかけとなった。
女川をなんとかしたい――。その思いに突き動かされるように、震災から半年後には医療支援に向かう。もともと子どもが少ない町で、小児科医は必要ないかもしれない。それでも行動を起こさずにはいられなかった。
女川地域医療センターの前身である女川町立病院は、17mの高台に建てられていたが、1階部分まで浸水。被害の少なかったリハビリテーション室をパーテーションで仕切り、ようやく診察をしている状況だった。今野氏は1週間の夏期休暇を取って病院に泊まり込み、診療を行いながら改めてこの町にとっての小児科医の存在意義を問いかけていた。そのとき、ふと頭に浮かんだのは、ある新聞記事に書かれていた文章。それは「女性と子どもがいなければ町は衰退してしまう」というものだった。
「住みやすい、子育てしやすいといった、若い世代がこの町に残る理由の一つとして、『常勤の小児科医がいること』が挙がればいいなと思いました」
少ないとはいえ、子どもが一人でもいるのならば、この町に小児科医がいる意味もあるのではないか。
「……でも、たぶん私自身が女川に来たかったんだと思います」
それが本音だった。小児科医としてこの場所でできることをしたい。そのための理由が欲しかったのだと、振り返る。