血管再生治療で潰瘍患者に希望を 田中 里佳

順天堂大学大学院 医学研究科 再生医学 主任教授
順天堂大学医学部 形成外科学講座 教授(併任)
順天堂医院 足の疾患センター センター長
[Challenger]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/緒方一貴

日本では糖尿病性足潰瘍のために、年間約1万人の患者が足の切断を余儀なくされている。しかし、日本にそうした難治性潰瘍に対する有効な治療法を行える医師はほとんどいないのが実情だ。その中で、形成外科医として多くの潰瘍患者を診ながら、再生医療の研究も主導する田中里佳氏が、画期的な血管再生治療の開発を進めている。実用化まであと一歩に迫ったその治療法とはどのようなものなのか。アメリカ・ロサンゼルスで生まれ育ち、「日本で医師になりたい」という熱い思いで行動を起こした、田中氏のこれまでの歩みとともに紹介したい。

ニーズの高い足病変治療 どんな症状も診る専門外来開設

欧米に比べて、日本の足の疾患に対する医療は100年遅れているといわれている。米国では足病医に国家資格があり、医学部と同じ6年間、足病学を集中的に学ぶ必要のある専門性の高い分野だ。再生医療の研究に興味を持っていた田中里佳氏は、東海大学の形成外科に入局した当時、同科の主任教授だった谷野隆三郎氏から足病変、中でも難治性潰瘍を専門にするよう勧められた。血流障害が主な原因である潰瘍は、治療法が確立されておらず、症状が進行すれば足を切断しなければならない。

「『形成外科にかかる患者さんで、最も再生医療を求めているのは難治性潰瘍の方だ』と。研究によって血管を再生できれば、効果的な治療法が見つかるかもしれない。再生医療を一番生かせる分野だと思いました」

ちょうどEPC(※1)と呼ばれる血管幹細胞を発見した、浅原孝之教授が東海大学に赴任したタイミングでもあり、田中氏は浅原氏の下で血管再生医療の研究を進めながら、潰瘍患者のための外来をスタートさせた。形成外科には他に潰瘍を専門とする医師はいなかったが、谷野氏からは「患者さんを診れば学べるから」と背中を押されていた。

「初期臨床研修を終えてすぐに足の専門外来を始めたので、何をすれば良いのかも分からない状況。それでも患者さんを診ながら勉強し、試行錯誤で治療を続けました」

折しも日本でフットケアの概念が広がり始めた時期と重なった。田中氏はその勉強会に参加するなどして足病学について学んだ。次第に治療の効果が出始めると、院内の医師たちからも患者を紹介されるようになる。患者が全くいないところからスタートした専門外来だったが、評判が広まり、多いときには1日100人近くの患者が押し寄せるようになっていた。

その後、田中氏は順天堂大学医学部附属順天堂医院に移り、大学病院で日本初となる「足の疾患センター」を開設。形成外科、血管外科、皮膚科、整形外科、循環器内科、糖尿病内科、腎臓内科、リハビリテーション科の各科と、フットケア専門の看護師が連携して治療に当たり、どんな足疾患の患者が来ても治療を行える体制が特徴だ。

「足の痛みの原因は血管、骨、皮膚…などいくつもあるため、診療科ごとではなく総合的に治していくことが重要です。足でつらい思いをされている患者さんは多く、生活全てに影響を及ぼします。当院の診療体制を一つのモデルケースとして全国に広めていければと思います」

※1 EPC(Endothelial Progenitor Cells):血管になる能力を持つ幹細胞。けがなどで組織や血管が損傷すると血液中のEPCが損傷部位に集まり、新たな血管を作って組織を修復する。

世界初、採血のみでできる血管再生治療を開発

田中氏が開発した新しい血管再生治療とは、どのようなものなのか。そもそも血管再生治療とは、血管を作り出す役割を担うEPC(血管幹細胞)の働きを利用し、血行障害がある部分に注射でEPCを移植する方法である。患者本人の細胞を使うため拒絶反応も少なく、安全な治療法として、すでに動脈硬化症や虚血性心疾患などで臨床治験が始まっている。しかし、糖尿病患者は糖尿病患者ではない人と比べてEPCの量が極めて少なく、質も悪いため、十分な効果が得られない問題があった。

そこで田中氏は、EPCを体外で増やし、質を向上させる方法として「ハイブリッド型生体外増幅培養法」を考案。EPCを培養することで、より多く、より質の高いEPCを得られるようにしたのである。また、EPCは血液中に0.01%しか存在しないため、これまでは治療のために大量の血液採取が必要だったが、ハイブリッド型生体外増幅培養法では、わずか200ccの採血から得たEPCで培養が可能になった。さらに培養時に特別な作業が必要ではなく、患者にEPCを移植する際には、局所麻酔で患部に注射するだけの非常に簡単な工程だ。

「目の前で苦しんでいる患者さんに少しでも早く治療法を届けるには、できるだけシンプルな方法にすることが重要でした」

採血だけで、しかもたった1週間でEPCを培養できるのは、これまで行われてきた他の研究との大きな違いで、世界初の成果である。田中氏の研究グループは、すでに10例の臨床研究を実施し、全例で痛みの改善、血流の改善、下肢温存ができた。

米国で育ち、日本に憧れ 己を知り自らの行動で切り開く

アメリカ・ロサンゼルスで生まれ育った田中氏。日本人の両親は実業家で、裕福な生活から一転、食事も満足にできないような生活へと変化の激しい幼少期を過ごした。幼いながらも「自分で身に付けた知識や技術で人の役に立つ職業に就きたい」という思いがあり、中学生の頃には医師になろうと決めていた。高校時代に選択した解剖学の授業も、医師になる夢を後押しした。

「授業で猫の解剖をしました。教科書に載っている神経や血管、臓器がそのまま目の前にあって、これが生命なのだと、神秘を感じました」

その一方で、日本人としてのアイデンティティーに悩む日々だったと振り返る。

「当時の私の周辺には日本人がほとんどいなかったので、学校でも差別を受けました。日本食のお弁当を持って行くといじめられる。でも両親は『日本人としてのプライドを捨てるな』と、絶対にサンドイッチには替えてくれませんでした」

自分は何者なのか――。米国にいながらも幼い頃から日本文化に親しみを持っていた田中氏にとって、日本は居心地の良い場所。次第に「日本で生活する方が自分には合っている」と思うようになっていった。

日本で医師になることを両親から反対され、南カリフォルニア大学の医学科に進学したものの、「日本に行きたい」気持ちは膨らんでいく。そこで、まずは奨学金で早稲田大学国際部に留学し、そこから医学部受験のための予備校に通うことにした。「1年間だけチャレンジして駄目だったら諦めて帰るつもりでした」と言うが、努力が実を結び、東海大学の医学部に合格。形成外科を専門に選んだのは、医学部5年生で米国のウェイクフォレスト大学に留学したときの経験が大きい。米国では学生でも研修医と同じくらい臨床に関わることができるため、いくつも手術を手掛けるうちに「自分に向いている」と確信したという。

「例えば、交通外傷で顔を損傷した患者さんを手術して、うまく再建できればその方の人生が変わりますよね。患者さんの明るい未来をつくる手助けをできることが、医師としてのモチベーションになると思ったのです」

大学院卒業後は最短で学位と専門医資格を取得。臨床では専門医資格の取得に必要な症例数を集めるために、周りの医師たちから驚かれるほど積極的な姿勢で臨んでいた。

「手術の予定表をチェックしながら、『これは私、これも私にやらせてください!』と率先して手を挙げていました。周囲に応援してもらえたからこそできたのだと思います」

着実に努力を積み上げるのが田中氏のやり方。専門医試験に向けては、何千問とある過去問を2年間かけて全て解いた。

「普通だったら半年も勉強すれば合格できるのでしょうが、私はそれでは間に合わないと思いました。だから目標を決めたら、そこから逆算してコツコツやる。何をするのにも、まずは『己を知ること』が大事だと思っています」

命がけのプレゼンで道開くRE01細胞による潰瘍治療

田中氏は形成外科医として臨床に携わりながら、再生医療の研究にも尽力する。2011年、田中氏が考案した潰瘍患者に対する血管再生治療が、内閣府の「最先端・次世代研究開発支援プログラム」に採択された。

大規模な助成を受けて立ち上げたのが「血管組織再生医療研究室」である。学位を取得してからわずか3年というスピードでの開設だったが、その背景には並々ならぬ覚悟があった。同プログラムへの申請が1次審査を通り、次のヒアリング審査までの1週間。田中氏は子宮外妊娠の手術を受けた直後で、病院のベッドの上で点滴治療を受けていた。出血があれば命に関わる状態。担当医からは絶対安静を言い渡されていた。それでも病室にパソコンとプリンターを持ち込み、ベッドに横になりながらヒアリングに向けた資料を作成する。当時の東海大学大学院医学研究科長の木村穣教授が、連日つきっきりで作業を手伝っていた。ヒアリング当日は両親に付き添われ車椅子で会場入りし、痛み止めの点滴をしながら発表。弱々しい声でやっとの思いで説明を終えた田中氏の口からこぼれたのは、「このプレゼンに命をかけて来ました」という言葉だった。

命がけのプレゼンテーションを経て審査が通ると、2015年に「難治性四肢潰瘍患者を対象とした自己末梢血単核球生体外増幅培養細胞(MNC-QQ細胞)移植による血管・組織再生治療」の臨床試験がスタートした。今後、田中氏が目指すのは、開発した技術を製品化し、薬事承認を受けることである。製品になるのは、患者本人から採取した単核球をもとに培養した「RE01細胞」と呼ばれるものだ。

「これまでさまざまなハードルを越えてきましたが、医薬品開発が一番高いハードルだと感じています」

RE01細胞は「生き物」なので、一定の規格をクリアしつつ品質の安定性を保つのが難しいのだ。2021年度からは大規模な治験が予定されており、そのためのベンチャー企業も立ち上げた。「5年以内には実用化させる」と田中氏は意気込みを語る。

潰瘍患者に対する新しい治療法の開発は、田中氏にとって研究者人生の第一ステップ。その先には、形成外科の専門分野を越えて、他科の医師たちと共に全身の血管病の治療薬を開発していくことも見据えている。

「血管は全身の疾患に関わるので、治療薬開発の可能性は無限大です。まずは潰瘍の治療薬を完成させて、治らなかった足疾患を治せるようにする。そんな未来を思い描きながら、日々の研究に取り組んでいます」

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2021年4月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

たなか・りか

2002 東海大学医学部 卒業
東海大学医学部附属病院 外科系 臨床研修医
2004 東海大学大学院 医学部医学研究科
基盤診療学系再生医療科 専攻
東海大学医学部外科学系形成外科 入局
2006 米国 ニューヨーク大学 形成外科学教室 留学
2008 東海大学大学院にて医学博士の学位取得
東海大学医学部外科学系形成外科 助教
2011 順天堂大学医学部 形成外科学講座 助教
2012 順天堂大学医学部 形成外科学講座 医局長
順天堂大学医学部 形成外科学講座 准教授
2017 順天堂大学医学部 形成外科学講座 先任准教授
2020 順天堂大学大学院 医学研究科 再生医学 主任教授
順天堂大学医学部 形成外科学講座 教授(併任)
順天堂医院 足の疾患センター センター長

受賞歴
2007 Plastic Surgery Research Award
2008 星医会最優秀論文賞
2012 日本創傷治癒学会奨励賞
2013 Diabetic Limb Salvage Conference 優秀ポスター賞
2016 日本医師会医学研究奨励賞
2020 東京都医師会医学研究賞奨励賞
Wound Healing Society医師賞

愛読書:『孫子の兵法』
影響を受けた人:今までに出会った人すべて、両親
好きな有名人:坂本龍馬
マイブーム:体のメンテナンス(アーユルヴェーダ、ヨガ、パーソナルトレーニング、鍼灸など)
マイルール:人を敬う、正直に生きる、人を愛する、感謝する、何事もすぐに諦めない
宝物:愛犬のトイプードル
座右の銘:己を知る。為せばなる為さねばならぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり