「臨床・研究・教育」で医療の未来を変える 中島 啓

医師のキャリアコラム[Challenger]

医療法人鉄蕉会 亀田総合病院 呼吸器内科 部長 兼 内科チェアマン

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/コスガ聡一

各診療科に名が知られた指導医が在籍し、「ここで学びたい」と研修を希望する医師が全国から集まる亀田総合病院。その並み居るスター医師集団の中で、同院の研修医からの投票で5年連続、優れた指導医の称号であるベストティーチャーに選ばれたのが、中島 啓氏である。38歳の若さで診療科のトップに就き、「臨床・研究・教育」の3本柱の全ての分野において注目を集めている。書籍や雑誌での執筆、セミナーなどでの発信力も高い。その背景にあるのは、何度も挫折を繰り返しながらも、逆境に立ち向かう姿。果敢に挑戦を続ける原点には、医師としての志と揺るぎない信念があった。

最高の医療を届けるために 「臨床・研究・教育」に尽力

――よき臨床から、よき教育と研究が生まれる。よき研究から、よき臨床や教育も生まれる。

「臨床・研究・教育」という医療の3本柱、その全てにおいて高い評価を受け、頭角を現す医師がいる。亀田総合病院の呼吸器内科部長を務める中島 啓氏。冒頭の言葉は、中島氏の持論だ。

「私にとって臨床・研究・教育は一つにつながっています。全ては患者さんによい医療を届けたいという目標に向かって取り組んでいます」

亀田総合病院の呼吸器内科には、病院がある南房総地域のみならず、千葉県全域、東京都、神奈川県、茨城県からも患者が訪れる。年間750件の気管支鏡検査数は、国内でもトップクラスだ。その診療チームを率いるのが中島氏である。

臨床研究では、中島氏が2018年に発表した「23価型肺炎球菌ワクチンと4価インフルエンザワクチンの同時接種と逐次接種の免疫原性を比較する無作為化オープンラベル比較試験」の結果が、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)の国際ガイドラインに引用されるなど、世界にインパクトを与えている。

教育分野では、研修医の教育担当を任せられた2014~18年、そして2021年に、呼吸器内科のベストティーチャー賞を受賞。研修医の投票によって選出されるこの賞に、並み居る指導医の中から選ばれただけでもすごいが、5年連続で受賞したのは病院史上初である。

中島氏の下には、その姿に憧れて熱意のある若い医師たちが集まってくる。しかし、自身の医師人生のスタートは決して順風満帆ではなかった。何度も挫折を味わいながら挑戦する日々。その軌跡を追い掛けたい。

レールから外れることで見えてきた 目指すべき医師像

福岡県の出身で、1学年の生徒200人中、100人が医学部に入るような進学校に通っていた中島氏。負けず嫌いの性格で、成績は常にベスト10に入る優秀な生徒だった。友人たちの影響で医学部に進学したものの、勉強漬けだった高校生活の反動で、大学では遊んでばかりいたという。出席数も芳しくなかった。医学部での勉強に身が入らなかったのには理由がある。目標とする医師像が見えてこなかったからだ。

「大学では、臓器別の診療科に分かれていて、患者さんを診るというよりは疾患部位を診るような診療スタイルでした。それまで患者さんに寄り添う医療をイメージしていたので、自分がどんな医師を目指せばよいのか……。先が見えなくなってしまったのです」

ギリギリの成績で4年生まで進学したものの、いよいよ実習が始まるというタイミングで大学を1年間休み、アメリカへ語学留学した。高校、大学とずっとレールの上を走ってきたが、「そこで1回レールから落ちてしまった」と感じた。

「でも、落ちたからこそ、やりたいことをできたのだと思います。もし順調に進んでいたら、今、こんなにいろいろなことにチャレンジできていなかったはずです」

大学を休んでいる間、中島氏の人生を大きく変える出合いがあった。それは、父の友人の歯科医師から手渡された1冊の本。日野原 重明氏の『生きかた上手』だった。

「臓器や疾患だけを診るのではなく、患者さんを人として診る。全人的医療の考え方に『これだ!』とビビッときました」

悩んでいた心に光が差し込んだ瞬間だった。日野原氏の本には、これからは全人的医療を実践する医師をもっと増やさなければならないこと、よい医療を作るためには医学教育が重要であること、基礎研究だけでなく臨床研究が重要であることが書かれていた。

その考えに深く共感したことが、中島氏が「臨床・研究・教育」に全力で取り組むようになった原点である。目指すべき医師像がはっきり見えたことで、復学を決断。それまでの後れを取り戻すべく、一心に学業に打ち込んだ。

初期研修でのスランプ 人には無限の潜在能力がある

初期研修医になって半年、中島氏はまた挫折を味わう。ローテーションで外科を回ったときに、スランプに陥ったのである。

「もともとあまり器用な方ではないのですが、手技も診療もプレゼンも……、何もかもうまくいかなくて。特に外科での救急外来の対応には苦労しました。毎日『医者を辞めたい』と思っていました」

人生で一番つらい時期だった、と当時を振り返る。逆境を乗り越えるきっかけになったのは、ある先輩からのアドバイスだった。

――せっかく志を持って医師になったのだから、あと3カ月だけ頑張れ。それでも駄目だったら辞めればいい。

その言葉を聞いて「とにかく3カ月だけ頑張ろう」と、スイッチが入った。朝早くから回診に行き、夜遅くまで勉強する。起きている時間のほとんどを診療と勉強に充てた。一日一日、精一杯の努力をしながら過ごすうちに、いつの間にかスランプを抜けていた。

「もう無理だと思ったところから這い上がってこられたので、自分の命が救われたような気がしました。だから、これからの人生は人のために使おう、と心に誓ったのです」

この経験を通して、中島氏は「人には無限の潜在能力がある」と考えるようになったという。研修医への教育で、能力よりも人間性ややる気を見るようになったのは、このときの挫折があったからだ。

医師になって4年目で、後期研修医(専攻医)として亀田総合病院に赴任。呼吸器内科を専門に選んだのは、急性期から慢性期、緩和ケアまで関わり、幅広い疾患を診られるので、全人的な医療ができると考えたためだ。2、3年が経つ頃には、専門家として自信を持って診療できるようになり、迷うことはほとんどなくなっていた。

診療に自信がついたことで、力を入れ始めたのが教育である。中島氏の教育スタイルは、「9割認めて1割指導する」。研修医が考えた末に選択した治療法であれば、たとえ自分の意見とは違っていても、その判断を尊重する。

「もちろん患者さんに影響があるような間違った選択をしていれば正しますが、医療には必ずしも明確な答えがあるわけではありません。基本となる方針がずれていなければ、研修医の考えをできるだけ聞き入れるようにしています」

同院では、呼吸器内科が初期研修の必修科ではなかったため、一時はローテーションしてくる研修医はわずか2、3人のときもあった。それが、中島氏が指導をするようになると、口コミで希望者が増え、現在では20人前後が選択するほど人気を集めている。中島氏の指導をきっかけに、志望科を変更して呼吸器内科を専門に選んだ研修医も少なくない。

情報発信でリクルート 組織のロールモデルを目指す

2019年、38歳という若さで呼吸器内科のトップに就任した中島氏。病院全体で組織の世代交代が進められていたタイミングだったこともあり、研修医への熱心な教育が評価された形だった。引き受けるにあたってプレッシャーはなかったのだろうか。

「この地域の呼吸器内科診療が、全て自分の肩にのしかかってくるような重圧を感じました」

就任直後、同科は深刻な医師不足の問題を抱えていた。それまで10人いた常勤医が8人に減り、さらに翌年には7人に。そこで中島氏が取り組んだのが、業務の効率化だった。不要なカンファレンスをなくし、総回診も廃止した。それまでのやり方を変えることに批判があるのは当然。しかし、「この逆境を乗り越えるしかない」という信念は揺らがなかった。

中島氏が新たな組織づくりで大切にしたのは、専攻医に負担を掛けないことだった。医師が減ったことで生じた業務は、全て4人のスタッフで分担した。そうした中島氏の思いが伝わった結果だろう。現在では、多くの専攻医が研修終了後もスタッフとして残ることを希望するようになった。一時は7人まで医師が減ったが、現在は14人体制で診療に当たっている。

SNSでの情報発信も効果を挙げている。中島氏がTwitterを始めてから、病院見学者は約3倍に増えた。採用でも毎年定員を上回る応募がある。

「情報発信によって、より組織に合った人材が来てくれるようになりました。今後は、呼吸器内科のロールモデルとなるような組織づくりを目指していきたいです」

目指すは「有名有力」のリーダー 希望の光で持ち場を照らす

研究分野でも中島氏の功績は大きい。臨床医が研究をするメリットについて、こう語る。

「研究の視点や切り口になるようなクリニカルクエスチョンは、臨床の現場からしか生まれません。日常の診療の中にこそ新しい治療のアイデアが転がっているのです」

その一つの例が、「非HIVニューモシスチス肺炎のST合剤低用量治療」の研究である。これまでバクトラミンという薬剤を9~12錠服用するのが標準治療とされてきたが、副作用が強く、治療がうまくいかないケースが多かった。そこで、中島氏の研究グループでは、薬剤の量を半分にした治療を行っていたところ、副作用が減り、治る確率も高くなったのである。非HIVニューモシスチス肺炎の一般的な死亡率は30~60%とされるのに対し、中島氏の研究では90%以上の確率で治すことができた。この研究は海外でも注目され、現在では低用量治療が広まりつつあり、海外でST合剤低用量治療と標準治療を比較するランダム化比較試験も開始されている。中島氏はさらに研究を発展させて、国内での多施設研究に取り組んでいる。

「日々の診療が医師一人の経験として終わるのではなく、研究によって日本の医療、果ては世界の医療まで変えていくことができる。それが臨床研究の魅力です」

「臨床・研究・教育」の3本柱、さらには情報発信にも力を入れているが、中島氏にとってあくまでも優先順位のトップは臨床だ。

「今の時代、良い人材を集めるために情報発信や対外活動は欠かせません。でも私は、臨床の現場で頼りにされる医師であり続けることが、何よりも重要だと考えています」

発信力を持ちながら、確かな実力で臨床現場を率いていく。それが、これからの時代に求められるリーダー像だという。好きな言葉は「一燈照隅 万燈照国」。

「自分の持ち場を明るく照らすことで、さまざまな領域に光が広がり、この国の若い医師たちが夢や希望を持てるようになると信じています」

P R O F I L E
プロフィール写真

医療法人鉄蕉会 亀田総合病院 呼吸器内科 部長 兼 内科チェアマン
中島 啓/なかしま・けい

2006 九州大学医学部 卒業
雪の聖母会聖マリア病院 研修医
2008 済生会福岡総合病院 後期研修医
2009 亀田総合病院 呼吸器内科 後期研修医
2012 亀田総合病院 呼吸器内科 医員
2013 亀田総合病院 呼吸器内科 医長
2017 亀田総合病院 呼吸器内科 部長代理
2018 亀田総合病院 呼吸器内科 部長
2021 亀田総合病院 内科チェアマン兼務

資格

日本内科学会認定内科医
日本内科学会総合内科専門医
日本呼吸器学会呼吸器専門医・指導医
日本呼吸器内視鏡学会気管支鏡専門医・指導医
日本感染症学会感染症専門医・指導医
臨床研修指導医講習会 修了
緩和ケア研修会 修了
厚生労働省指定オンライン診療研修 修了

座右の銘: 一燈照隅 万燈照国
座右の書: 『言志四録』佐藤 一斎 著
好きな映画: ニュー・シネマ・パラダイス
影響を受けた人: 日野原 重明、ウイリアム・オスラー
好きな有名人: 稲盛和夫、料理研究家リュウジ
マイブーム: 料理、ドライブ、書店巡り
マイルール: 正々堂々
宝物: 娘からもらう手紙

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2022年8号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。