初期研修でのスランプ 人には無限の潜在能力がある
初期研修医になって半年、中島氏はまた挫折を味わう。ローテーションで外科を回ったときに、スランプに陥ったのである。
「もともとあまり器用な方ではないのですが、手技も診療もプレゼンも……、何もかもうまくいかなくて。特に外科での救急外来の対応には苦労しました。毎日『医者を辞めたい』と思っていました」
人生で一番つらい時期だった、と当時を振り返る。逆境を乗り越えるきっかけになったのは、ある先輩からのアドバイスだった。
――せっかく志を持って医師になったのだから、あと3カ月だけ頑張れ。それでも駄目だったら辞めればいい。
その言葉を聞いて「とにかく3カ月だけ頑張ろう」と、スイッチが入った。朝早くから回診に行き、夜遅くまで勉強する。起きている時間のほとんどを診療と勉強に充てた。一日一日、精一杯の努力をしながら過ごすうちに、いつの間にかスランプを抜けていた。
「もう無理だと思ったところから這い上がってこられたので、自分の命が救われたような気がしました。だから、これからの人生は人のために使おう、と心に誓ったのです」
この経験を通して、中島氏は「人には無限の潜在能力がある」と考えるようになったという。研修医への教育で、能力よりも人間性ややる気を見るようになったのは、このときの挫折があったからだ。
医師になって4年目で、後期研修医(専攻医)として亀田総合病院に赴任。呼吸器内科を専門に選んだのは、急性期から慢性期、緩和ケアまで関わり、幅広い疾患を診られるので、全人的な医療ができると考えたためだ。2、3年が経つ頃には、専門家として自信を持って診療できるようになり、迷うことはほとんどなくなっていた。
診療に自信がついたことで、力を入れ始めたのが教育である。中島氏の教育スタイルは、「9割認めて1割指導する」。研修医が考えた末に選択した治療法であれば、たとえ自分の意見とは違っていても、その判断を尊重する。
「もちろん患者さんに影響があるような間違った選択をしていれば正しますが、医療には必ずしも明確な答えがあるわけではありません。基本となる方針がずれていなければ、研修医の考えをできるだけ聞き入れるようにしています」
同院では、呼吸器内科が初期研修の必修科ではなかったため、一時はローテーションしてくる研修医はわずか2、3人のときもあった。それが、中島氏が指導をするようになると、口コミで希望者が増え、現在では20人前後が選択するほど人気を集めている。中島氏の指導をきっかけに、志望科を変更して呼吸器内科を専門に選んだ研修医も少なくない。