目の前の命に全力で向き合う、熱傷治療のスペシャリスト 上田 敬博

医師のキャリアコラム[Challenger]

鳥取大学医学部附属病院 高度救命救急センター 教授 兼 救急災害医学 教授

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/緒方一貴

救急医療のエキスパートであり、広範囲熱傷の治療で圧倒的な存在感を示す上田 敬博氏。全国にその名が知れ渡ったのは、2019年に起きた京都アニメーション放火殺人事件(通称「京アニ事件」)で、全身の9割以上にやけどを負っていた被告の命を救ったことがきっかけだ。誰もが無理だと諦めかけるような状況でも、決して治療の手を緩めなかった。上田氏からは、救急医療の最前線で多くの命と向き合ってきた医師ならではの落ち着きと、最後まで患者のために力を尽くそうとする強い覚悟が伝わってくる。これまでの常識を覆した熱傷治療への挑戦と、その情熱の源に迫った。

全身の95%の広範囲熱傷 世界※で初めて治療に成功

※人工真皮と自家培養表皮だけでの治療の成功は世界初。

2021年2月、鳥取大学医学部附属病院の高度救命救急センターに、全身の皮膚の95%にやけどを負った重症患者が搬送されてきた。全身が焼けただれている状態を目にしたスタッフたちの間には、「これは諦めるしかない……」という空気が漂う。その中で、ただ一人、上田氏だけは、「きっと助けられる」と考えていた。

広範囲熱傷は、熱傷面積が全身の皮膚面積の30%を超えると死亡リスクが非常に高くなるといわれている。損傷が真皮全層までに及ぶⅢ度の熱傷では、皮膚が再生しないため、熱傷箇所の皮膚を切除しなければならない。そのうえで、患者の健常な皮膚を、切除した箇所に移植するのが一般的な治療法だ。しかし、30%以上の広範囲熱傷の場合、切除した部分に植皮できる正常な皮膚はごくわずかしかない。さらに皮膚の移植は生着率が50~60%と低く、多くの場合は皮膚を重ねながら、何度も移植を繰り返す必要がある。熱傷面積が全身の30%でも救命が難しい広範囲熱傷で、95%の皮膚にやけどを負った患者を助けるのは不可能に近い。

それでも上田氏が「助けられる」と考えたのには理由がある。2年前に京都で起きた「京アニ事件」で、93%の広範囲熱傷を負った被告の命を救った経験があるからだ。

「同じやり方で治療をすれば助かるはず。周りのスタッフからは『先生、やめましょう』と言われましたが、僕はできると思っていました」

まず取りかかったのが、損傷した皮膚を丁寧に取り除き、表皮の下にある真皮の代わりにコラーゲンなどを材料とした人工真皮を貼る手術。次に、わずかに残っていた患者の健常な皮膚から自家培養表皮を作り、全身の熱傷箇所に貼り付けていく手術を行う。患者は体力的に長時間の手術に耐えられないため、約1カ月かけて計10回の手術を実施した。

搬送から6カ月後、患者はリハビリ病院へと転院。瀕死の状態から、自分の足で歩けるまでに回復したのである。これほど広範囲の熱傷治療に成功したのは、国内では初、世界でも例を見ない。

全ての経験がプラスに 救急の面白さに目覚める

上田氏が医師を志したのは、福岡で開業医をしていた父の影響だ。親戚に開業医が多かったこともあり、大学卒業後は実家に戻って医院を継ぐというのが、医学生時代に漠然とイメージしていた進路だった。

研修先に東神戸病院を選んだのは、阪神・淡路大震災のときの経験が背景にある。近畿大学の医学生だった上田氏は、震災直後から神戸市で支援活動を行っていた。有事の際に人命救助に力を尽くしていた病院で研修をすれば勉強になる、と考えたのだ。

東神戸病院で、救急の“洗礼”を受けたのは研修初日だった。救急搬送された心肺停止の患者を助けることができなかったという。

「もちろん上級医が処置をしていますし、研修を始めたばかりの自分が役に立つわけがない。でも、『何もできなかった』という思いが強く残りました。救急対応を身に付けるために真剣にやらなあかんと、そこで初めてスイッチが入りました」

二次救急を受け入れていた同院では、週に2、3回の輪番日を研修医が担当する。一晩で20台の救急車が来ることもある。上田氏は、月曜日に5日分の下着を持って病院に行き、泊まり込む生活を送っていた。しかし、そんな激務の日々にも「むちゃくちゃ楽しかったですね」と笑顔を見せる。次から次へと救急対応しなければならない状況に、心が折れることはなかったのだろうか。

「絶対にできるようになりたいという思いの方が強かったです。それに、唯一、研修医のときだけは失敗もプラスになる。上級医なら失敗は許されませんが、研修医は失敗も成功も全部自分の経験値になりますから」

熱い思いを持った同期や先輩たちと切磋琢磨するうちに、上田氏は次第に救急の面白さに惹き込まれていった。

自家培養表皮を導入した 広範囲熱傷の新たな治療法

上田氏が熱傷の専門治療を手掛けるようになったのは、救急医になって7年目のときだった。兵庫医科大学病院に勤務していた当時、熱傷専門のベテラン医師が脳梗塞になり、専門的な手術をできる人がいなくなってしまったのだ。その間に、何人もの患者が治療の手だてがないまま亡くなっていった。

「それを見るのが嫌だったんです。だから、誰もやらないなら僕がやろうと決めました」

それからは、一線を退いた同ベテラン医師の立ち会いの下、口頭で指示を出してもらいながら熱傷手術を学んだ。「とにかく必死だったので、しつこいくらい質問しました」と当時を振り返る。

2009年に自家培養表皮が保険適用になったことで、広範囲熱傷の治療は飛躍的に進化した。それまで全身の皮膚の30%以上に及ぶ広範囲熱傷では、アログラフトという亡くなった人の皮膚を移植する治療法を取っていたが、1カ月以内に死亡するケースがほとんどだった。延命にはなるものの根本的な治療法はなく、諦めるしかない状況だったのだ。

保険適用から数カ月後、上田氏は全国に先駆けて自家培養表皮を使った広範囲熱傷の手術を実施した。手術をした40代男性は、救命できただけでなく、その後、社会復帰を果たすまでに回復した。

「自家培養表皮を使えば広範囲熱傷でも命を救うことができる。画期的な治療法だと思いました」

自家培養表皮は患者自身の細胞を使うため、免疫拒絶反応が極めて少なく、ドナーからの提供を待たなくてもいいメリットがある。さらに切手ほどの大きさの皮膚から、体表全面を覆う表皮の細胞シートが作成できる。その一方で、健常な皮膚から細胞を培養するまでは最低でも3、4週間かかるため、いかに適切な全身管理をするかが重要になる。なぜなら広範囲熱傷では、最初の数日間が最も死亡するリスクが高いからだ。その全身管理でも上田氏は強みを発揮している。感染症の管理や抗菌薬の使い方、呼吸循環の集中治療など、徹底した全身管理で、自家培養表皮の移植へとつなげているのである。

同じ時期に開発された人工真皮も、広範囲熱傷の治療を後押しした。上田氏は、自家培養表皮と人工真皮を合わせて使うことによって、広範囲熱傷の新たな治療法を確立した。

京アニ事件以降、上田氏の元には全国から指導の依頼が殺到している。全国にいる日本熱傷学会認定熱傷専門医は365人(2022年6月現在)。救急医の中でも、重症熱傷の治療ができる医師は非常に少ない。

「重症熱傷は以前と比べて少なくなったものの、決してゼロにはなりません。僕が鳥取に来てからの1年間で重症熱傷の搬送は17件。対象人口が100万人に満たないこの地域でさえ、それだけの搬送があるのですから、都市部ではもっと専門医が必要なはずです」

重症の広範囲熱傷に対する治療は、決して自分にしかできないものではないと強調する上田氏。現在、熱傷治療の指針となる本の執筆を進めており、これまで以上に専門医の育成に力を尽くすという。

「ダメな人材なんていない」 鳥大救急の再建に奮闘

上田氏に、「“鳥大”(鳥取大学医学部附属病院)の救急を再建してほしい」と声がかかったのは京アニ事件が起こるよりも前だった。鳥取大学医学部附属病院の救命救急センター(現・高度救命救急センター)では、2009年に専属医4人全員が一斉退職し、地域を支える救急医療が崩壊寸前まで追い詰められていた。そこから立て直しを図っていたものの、うまくいっていない状況にあった。

これまでいくつかの病院で救命救急センターを再建してきた上田氏だが、それでも鳥大は周囲からは「無理だ」と言われるような無謀なチャレンジだった。なぜ決断できたのだろうか。

「困難な状況で声をかけてもらえるのは、それだけ自分に期待してくれているということ。めったにできない経験だから行ってみようと思ったんです」

2020年3月に上田氏が救命救急科長に就くと、センター内の雰囲気は一変した。それまではどこか「チャレンジして失敗するくらいならやらない方がいい」という消極的な空気があったが、「責任は全部自分が取る」と上田氏が言い続けたことで、スタッフたちは治療に対して積極的になっていった。

「もともとポテンシャルはあるし、向上心もある。ダメな人材なんて一人もいませんでした。でも、どうやったら伸びるのかが分からなかったのだと思います。まるで乾いたスポンジのように知識や技術を吸収していきました」

とはいえ、最初の半年は苦労したという。夜中に一人でICUを回って指示を出し直し、朝は誰よりも早く病院に行って患者を診る。官舎で眠りにつく前に「しんどい」と思うことが、何度もあったと振り返る。

救命できた経験が自信に 若手の育成に力を入れる

上田氏が着任して2年。一番大きく変化したのは、スタッフたちの気持ちではないだろうか。冒頭の95%の広範囲熱傷の患者をはじめとして、これまでだったら助けられなかったような重症患者を何人も救命したことで、「自分たちはできる」という自信が生まれたのだ。その変化は数字にも表れている。重症外傷の死亡率が、上田氏の着任前の12.9%から、着任後は8.8%に減少。敗血症での死亡率も21%から8.8%へと大幅に減少している。

最近、スタッフたちの成長を感じられた瞬間があったという。

「これまで外傷の初療や熱傷の手術のときなど、僕が処置室に入るまでは何も進んでいなかったんです。でも、最近では僕がいなくてもみんなが動いている。次から次へと処置をしている姿を見たときには、嬉しさのあまり鳥肌が立ちましたね」

上田氏が目指すのは、チームの連携が取れた高度救命救急センター。鳥大の救急を日本トップレベルに引き上げることが目標だ。

「今、やるべきなのは、若手や中堅の救急医の育成です。鳥大だけでなく、日本全体で救急医の地位を確立させていかなければなりません。そのために、これからも臨床の現場に立って指導していきたい」

上田氏にとって、忘れられない父の言葉がある。

「いつも『医療は楽しい』と言っていたんです。楽しいけれど、それは医師になった人にしか分からないと。父がそう言っていた意味が、今ならむっちゃ分かります」

P R O F I L E
プロフィール写真

鳥取大学医学部附属病院 高度救命救急センター 教授 兼 救急災害医学 教授
上田 敬博/うえだ・たかひろ

1999 近畿大学医学部医学科 卒業、東神戸病院 研修医
2001 大阪府済生会千里病院千里救命救急センター レジデント
2006 兵庫医科大学病院 救急・災害医学教室(救命救急センター)助教
2010 兵庫医科大学病院救命救急センター 副センター長
2014 兵庫医科大学医科学研究科(生体応答制御系)博士課程 修了
2016 Robert Wood Johnson Univ.Hospital 外傷センター
2018 近畿大学医学部附属病院 救命救急センター 講師
2018 近畿大学医学部附属病院 熱傷センター 設立
2020 鳥取大学医学部附属病院 救命救急センター 教授
2021 鳥取大学医学部大学院医学系研究科 救急災害医学 教授
2022 鳥取大学医学部附属病院 高度救命救急センター 教授

受賞歴

2012 カンボジア王国友好勲章
コマンドール カンボジア王国
2022 鳥取大学学長賞
——先進的取り組みによる救急医療への貢献

資格

医学博士
日本DMAT 隊員
日本救急医学会救急専門医
インフェクションコントロールドクター

座右の銘: 「雑草魂」という言葉を大事にしています。
愛読書: 愛読書というよりも、最近は小説家・平野 啓一郎の作品をよく読みます。
影響を受けた人: 父と平尾 誠二さん(元ラグビー日本代表監督)
好きな有名人: 平尾 誠二さん
マイブーム: ウクレレ、料理
マイルール: チャレンジすることをためらわない
宝物: ダン・カーター(元オールブラックス)にサインしてもらったラグビーボール

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2022年10号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。