緩和ケアと行動経済学的手法で循環器領域を改革 水野 篤

医師のキャリアコラム[Challenger]

聖路加国際病院 心血管センター・循環器内科/QIセンター・医療の質管理室 室長

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/皆木優子

(株)メディカル·プリンシプル社が運営する「民間医局コネクト」では、若手医師に向けたセミナーを開催している。そこで多くの研修医から「講演を聞きたい」とリクエストされる人気講師がいる。聖路加国際病院の循環器内科医、水野 篤氏だ。軽快なトークと分かりやすい解説で、高い評価を得ている。現在、循環器内科での診療に加えて、QIセンター・医療の質管理室室長として医療の質の向上に取り組んでいる水野氏。特に力を入れているのが、ハートチームと緩和ケア科が連携する「心不全緩和ケア」と、「医療における行動経済学的アプローチ」の研究である。これまでなかった新しい切り口から臨床現場を変えていく、水野氏の挑戦を追った。

循環器領域の緩和ケアで 患者の意思決定をサポート

国内でもいち早く循環器領域での緩和ケアをスタートさせた聖路加国際病院。チームおよび研究の中心となって取り組んでいるのは、循環器内科医の水野 篤氏である。緩和ケアはがん患者に対して行うものという認識が一般的だったにもかかわらず、なぜ循環器領域で緩和ケアを始めようと思ったのか。

きっかけになったのは、患者に対して入院時に実施していたアンケート調査だった。同院では、入院患者に対して、急変の際に「気管挿管を希望する・しない」、「心臓マッサージを希望する・しない」といった蘇生処置拒否(DNR)についてのアンケートを実施している。水野氏が院内死亡の患者に限定したアンケート結果を分析する研究を行ったところ、診療科によって患者の意向が大きく異なることが明らかになった。

「がん患者さんは、できるだけ痛みや苦しみのない緩和的な治療を求めているのに対して、循環器疾患の患者さんは積極的な治療を望む声が多く上がっていました。もちろん、循環器疾患では積極的な治療によって改善するということが影響しているのですが、この結果から、各診療科の医師たちの意向が、患者さんの意思決定に強く反映されているのではないか、と考えるようになりました」

循環器領域では、DNRに関して患者が本当に望む医療を聞き出せていない可能性があると水野氏は分析する。そこで取り組んだのが緩和ケアだった。

共通認識を持つために 診療科や職種を越えて対話

まず水野氏が始めたのが、緩和ケア科と循環器内科、心臓血管外科など複数の病院に所属する医師と多職種によるカンファレンスである。循環器領域の医師たちにとって緩和ケアは専門外。そのため、どのように診療に取り入れればよいのか分からない状態だった。

「そもそも『緩和ケア』が何を指すのかも、診療科や職種によって認識が違いました」

循環器疾患はがんと違い、治療経過の不確実性が大きく、治療方針の議論に医師以外のスタッフが加われないことが多かった。そこで緩和ケアカンファレンスでは、より個々の意見を引き出せるように、司会役は医師ではなく看護師が務め、それぞれ専門職の立場から議論を深めていった。

「対話を重ねながら、一つ一つの言葉を定義していく。それが暗黙知となって、スタッフ間の共通認識ができ上がっていったのです」

基本的な症状緩和については、緩和ケア医からモルヒネの使い方、呼吸困難の患者に対する対処法などを学び、循環器内科で対応できるようにした。現在では、より専門的な緩和ケアが必要になった場合に、緩和ケア医にコンサルテーションできるよう連携が取られている。

循環器領域における緩和ケアで、水野氏が大事にしていることは何だろうか。

「患者さんの意向を大切にする時間を持つこと。その姿勢が何より大事だと思います」

心電図読影と心臓聴診で 循環器診療の基礎を築く

水野氏が医療の面白さに目覚めたのは、研修医時代だった。「大学時代は全然勉強をしていなかった」と笑うが、神戸市立中央市民病院(現・神戸市立医療センター中央市民病院)での初期臨床研修が始まると、一転、寝る間も惜しんで勉強にいそしんだ。毎朝5時から自主的に開いていた勉強会では、20人いた同期がだんだんと脱落していく中で、最後は3人になってもやり続けた。

「とにかく勉強が面白かったんです。学んだことがすぐに臨床で使えますし、復習して誰かに教えると新しい発見がある。研修はハードでしたが、ものすごく楽しかったですね」

夜間の救急外来では、患者が絶えず、エコーを当てながら思わず寝てしまったこともあるという。そんな忙しい日々も、同期の支えがあったからこそ乗り越えられた、と振り返る。

各診療科をローテーションする中で、特に興味を持ったのが循環器領域での臨床診断だった。同院では、心エコーに加えて、防音室で録音した心音から循環器疾患の診断を行っていたのである。

「頸静脈波を録るのが難しくて……。できたと思って防音室を出ると、技師さんから『ちゃう!』と言われて、また戻って録り直し。おかげで循環器領域の身体診察は鍛えられました」

2007年に聖路加国際病院に赴任すると、専門に選んだのは循環器内科。救急から慢性期まで幅広く診療できることに加えて、内科領域の中でも外科に近いカテーテル治療に魅力を感じた。同院に赴任して最初の頃は、心エコーの読影スキルを身に付けるために、年間数千に上る院内全ての心エコーを読影したという。水野氏の循環器内科医としての実力は、こうして地道に経験を積み重ねることで身に付けた、確かな診断能力に裏打ちされているのである。

心不全緩和ケアを学ぶ トレーニングコース「HEPT」

循環器内科での診療に携わるかたわら、水野氏が進めているのが研究である。その一つが、日本医療研究開発機構(AMED)の助成を受けた「循環器疾患患者に対する終末期緩和ケアの質評価と教育プログラムの構築」に関する研究だ。

水野氏が研究をスタートさせた背景には、同院のQIセンターでの取り組みがある。同院では、2007年から医療の質を評価する指標であるQIを公表してきた。数値を示すことで、より質の高い医療の提供を目指している。2015年からQIセンターに所属している水野氏は、循環器領域における緩和ケアの指標づくりを研究のテーマに選んだ。

研究の結果、「意思決定支援」と「症状緩和」の二つの指標を作成し、それを基に、久留米大学の柴田 龍宏氏や、はりま姫路総合医療センターの大石 醒悟氏らと教育プログラムに発展させたのが、心不全に特化した緩和ケアトレーニングコース「HEPT」である。HEPTは日本心不全学会の公認コースになり、さらに2019年には診療報酬加算を取るための教育コースとしても認定された。

「臨床で実践するための診療報酬が算定されたことで、心不全患者への緩和ケアを広く認識してもらうことには成功したと思っています。大事なのは、このコンセプトを他の診療科にも広げていくこと。そのためにも、導入効果がどのくらいあったのかを検証していく必要があります」

水野氏は緩和ケアの効果を検証するため、他施設共同研究として遺族調査を実施している。同院では、心不全緩和ケアを導入する前の2016年までに第1次調査を実施しており、これから実施する第2次調査で導入前後の効果を比較する予定だ。

臨床での応用に向けた 行動経済学的なアプローチ

心不全緩和ケアと並び、水野氏がミッションに掲げているのが、医療現場における行動経済学的アプローチである。大阪大学で人間科学について研究をする平井 啓氏や大竹 文雄氏の下で学んだ後、2020年からはアメリカのペンシルベニア大学に留学し、行動経済学の研究手法を修得した。

医療現場での行動経済学的アプローチには二つの方法があると水野氏はいう。一つは、直接的に患者の行動変容を促す介入方法を工夫するもの。例えば、アプリを使い、運動をすればポイントをもらえるサービスなどである。水野氏はそうしたアプリの開発にも携わっている。

「ポイントを与えるしくみだと、一定の効果はあるものの持続するのが難しい。そこで、運動をしなければすでにあるポイントを減らしていくしくみにすると、損失を回避したいという意識が働き、継続しやすいことが分かっています」

もう一つは、行動経済学を意思決定のサポートに用いるもの。例えば、「神の手」と呼ばれるような外科医が執刀しても合併症のリスクはあり、ゼロにすることは難しい。術前の患者にその数値と、数値の解釈の仕方を説明することで、意思決定をサポートする。そうしたアプローチは、世界の医療現場でもまだあまり実践されていない。

「あと数年のうちに数値の精度が上がり、『何%の確率で予後はこうなる』ということがもっと明示されてくるはずです。その数値に対して、医師や患者さんがどのような判断をしていけばよいのか。道筋を立てていくのが私の目標です」

その際、医師が直接、患者に数値を伝えるのではなく、事前にデジタルで情報を提供しておくのがベストだと水野氏は考えている。医師と患者が共通の認識を持った状態で話し合うことで、これまで以上に患者の意思決定をサポートできるという。

「行動経済学的なアプローチを臨床で活用していくには、まだまだ試行錯誤が必要です。ただ、人の判断は合理的ではなく、診療では医師にもバイアスが働いている、など行動経済学の知識が一つの判断材料として役立つ場面は多くあるのではないでしょうか」

患者のために力を尽くす 医師は「最高の職業」

セミナーや講演会など、若手の育成にも力を入れている水野氏。モチベーションになっているのは、「医師の仕事の面白さを伝えたい」という気持ちだ。

「勉強を続けていくことで技術を常にアップデートすることができるし、医学を学ぶ面白さも追究できる。医師は最高の職業です」

数年前、「医師は最高だ」と感じる出来事があった。それは、忘れもしない年末の仕事納めの夜、妊婦が心原性ショックの状態で救急搬送されてきたときのこと。補助循環の導入で救命はできたものの、すでに胎児は死亡しており、CTで副腎にある褐色細胞腫も見つかった。通常であれば子宮を摘出するしかないケースだが、何とか妊孕性を残せないか。産婦人科、麻酔科、泌尿器科など複数の診療科トップの医師が集まり、白熱した議論を交わした。

「診療科の垣根を越えて『患者さんのために』と一つになれた瞬間でした。必死になって議論をしていたときの“熱さ”が忘れられません」

結果、奇跡的に子宮を残したまま腫瘍だけ摘出することに成功。医師たちが力を合わせて命を救った女性は、その後、母親になることもかなった。

「患者さんのことを考えるときに、その医師ごとの人生経験が生かされるのが、この仕事の素晴らしさではないでしょうか。若い先生たちは、たとえ今はまだ分からないとしても、どこかで必ず自分にしかできない意思決定を求められるときが来ます。それがうまくいったときに、この瞬間のために医師になったんだと、思えるはずです」

P R O F I L E
プロフィール写真

聖路加国際病院 心血管センター・循環器内科/QIセンター・医療の質管理室 室長
水野 篤/みずの・あつし

2005 京都大学医学部 卒業
2005 神戸市立中央市民病院(現・神戸市立医療センター中央市民病院) 初期研修
2007 聖路加国際病院 内科専門研修 内科チーフレジデント
2009 聖路加国際病院 循環器内科
2015 聖路加国際病院 QIセンター・循環器内科
聖路加国際大学 看護学部 急性期看護学 臨床准教授
2017 聖路加国際病院 QIセンター 副センター長
2019 順天堂大学 医学博士取得、グロービス経営大学院MBA(経営学修士)取得
2020 米国ペンシルベニア大学 Master of health care innovation

専門

循環器内科、医療現場の行動経済学の研究で第一線を走る研究者

研究

緩和ケア診療加算による医療の質評価項目への影響
患者参画による心不全患者と家族のQOL向上をめざしたナラティブ教材の作成
循環器領域における遺族調査

座右の銘: Pay it forward
愛読書: Thinking, Fast and Slow 、アイデアのつくり方
影響を受けた人: 竹下 清志、同期のみんな、西 裕太郎
好きな有名人: Official髭男dism、黒田 卓也
マイブーム: とりあえずしゃべってみる
マイルール: とにかく集中、一期一会
宝物: 写真とか動画、家族

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2022年11号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。