「10年後に後悔しないよう」 妻のひと言が背中を押した
岡山済生会総合病院の救急科医長として同院の救急医療をもり立てていた2017年頃、知らない人物から1本の電話が掛かってきた。現在、稲葉氏が所属するNGO組織ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)の大西 健丞(けんすけ)代表理事だった。内容は、PWJに初めての医師として参加し、医療部門の立ち上げから関わってほしいという依頼だ。
「PWJはもともとイラクで難民支援を行うために立ち上げられた組織で、日本で最も大きなNGOの一つです。しかし、それまで医師は在籍せず、医療分野の支援は行っていませんでした。そこで医療分野にも活動の幅を広げようと、大西代表が災害人道医療支援会のHuMA(ヒューマ)理事でもあった私の恩師に誰かいないかと相談して、名前が挙がったのが私だったようです」
大西氏から連絡が来たことで、稲葉氏はPWJの名前を初めて知ったという。PWJは国内外で活動の歴史も長く、NGOとしては大きな組織であるが、これまで医療分野では活動してこなかったため、医療関係者の中では知名度が低い。そのため稲葉氏も、電話が掛かってきて活動への協力を求められたとき、何度も断ったという。
しかし、いろいろと調べるうちに組織に興味を覚え「1回だけなら」と話を聞くことに。迎えのヘリコプターに乗り、本拠地のある広島県神石(じんせき)郡にまで出向くことになった。人里離れた山奥の事務所で大西氏から聞いた言葉は熱かった。大西氏は国力が減少する一方の日本を救えるのは行政でもなく民間でもない、第三者であるソーシャルセクターだと語った。そして稲葉氏に「日本を変える仕事を一緒にやってほしい」と熱く繰り返したのだ。
「ちょうど私自身、医師としてやりがいを感じる一方で、日本の医療制度の将来に危機感を覚えていたころでした。特に高齢者などに対して、本当に自分のやっている医療が患者さんを幸せにできているのか確信が持てないでいたのです」
大西氏の話を聞いて、心が揺らいだ。自分がいるべき場所は病院ではないかもしれない、と感じたからだ。しかし周囲の反応は冷ややかだった。また、「40歳手前で、これから自分の城を築いていく時期にもったいない」「クリニックもないところへ医者が行ってどうするのだ」と心配してくれる人もいた。そんなときに、背中を押したのは妻だった。
「今行かなかったらきっと10年後に『あのときチャレンジしていれば良かった』と言うに決まっている。とにかくやってみたら」
この言葉で、決心がついた。心を決めてからは仕事の引き継ぎなどに1年ほどをかけ、晴れて2018年にPWJ初の医師として常勤勤務をスタートした。被災地での活動がない時期は、月曜日は岡山済生会総合病院の救急外来で手術などを担当。火・木曜日はPWJの会議を複数こなし、水曜日は岡山大学病院の救命救急センターで集中治療など、そして金曜日は神石高原町のへき地診療所で働いてから午後はPWJの仕事をする。資金調達やワークショップ主催、人事・リクルート等、勤務医時代に比べて業務内容は多岐にわたるが、家族と過ごす時間は増えたという。