「魔法のような医療」に衝撃を受けた研修医時代
若くして緩和ケアを専門にする医師は珍しい。西氏はどうして緩和ケア医になろうと思ったのだろうか。
「元々は家庭医を目指していました。学生時代に先輩から、家庭医は臓器別に疾患を診るのではなく総合的に人を診ることができると聞いて、すごく面白そうだなと」
専門にするならこれしかないと、家庭医療コースがある病院を選んで初期研修を受けた。そこで目の当たりにしたのが、緩和ケアの力だった。
「内科病棟でがんの痛みに苦しんでいた患者さんが緩和ケア病棟に移ると、食事もできて歩けるようになっていたんです。こんな魔法みたいな医療があるんだ……と驚きました」
当時、「がんは痛いのが当たり前」「痛くても仕方がない」という考えが、医師たちの常識だった。しかし、それまで痛みを訴えても放置されていた患者が、適切な緩和ケアによって痛みが和らぎ、翌週には退院していくのである。もちろん、がんが治ったわけではないのだが、その変化は衝撃的だった。
緩和ケア医になろうと決意した西氏が、後期研修先に選んだのが川崎市立井田病院。緩和ケア科の外来から、入院、在宅医療まで幅広く手掛けていた。そこで西氏は、「魔法みたい」だと思っていた緩和ケアの厳しい現状を知ることになる。
「患者さんに『初めまして』と挨拶をした2時間後には、急変して亡くなってしまうということもありました」
家族から「何のためにここに来たのでしょうか」と問われて、返す言葉が見つからなかった。当時、緩和ケアは全てのがん治療を終えてから受けるのが一般的だったため、余命の短い患者を引き受けることの難しさを実感した。患者にやりたいことを聞いても、残された時間と体力を考えると、叶えてあげられないこともある。
「僕たちはプロフェッショナルとして、たとえ残された時間が1、2週間しかなくても、患者さんが望む最期を迎えられるよう関わっていきます。しかし、もっと前の段階から関わるべきだと思うようになりました」
そのためには、がん治療について学ぶ必要がある。そこで西氏は、栃木県立がんセンターの腫瘍内科に行くことを決意した。結果的に、腫瘍内科の専門医資格も取得したが、それはあくまでも緩和ケア医としてがん治療を行うためだったという。「より質の高い緩和ケアを提供したい」という一貫した思いを、西氏は当時から現在まで変わらず持ち続けているのである。