対話を重視した緩和ケアで、患者の「生きる力」を引き出す 西 智弘

医師のキャリアコラム[Challenger]

川崎市立井田病院 腫瘍内科 部長
一般社団法人 プラスケア 代表理事

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/緒方一貴

終末期医療に対応するイメージが強かった緩和ケアだが、近年ではがんと診断された時点で緩和ケア医が関わることの重要性が認知されつつある。緩和ケアの在り方が変化する中で、医師はどのように患者と向き合えば良いのか。川崎市立井田病院で「早期からの緩和ケア外来」を立ち上げた西 智弘氏も、これからの緩和ケアの在り方を追究している一人である。西氏が重視しているのは、患者との対話。最期まで生きる力を発揮できるように、対話を通して患者が「どう生きたいのか」を共に考える姿勢を貫いている。

外来は1日に2人が限界 対話を重視した緩和ケア

緩和ケアは、がんの終末期に行うもの。その概念が覆されたのは、2010年に発表された1本の論文だった。早期からの緩和ケアによって、患者の寿命が延びることが明らかになったのである。がんと診断された時点から緩和ケアの専門家が関わるべきだという考え方は、いまや世界中に広まっている。その流れを受けて、「早期からの緩和ケア外来」を開始したのが川崎市立井田病院である。立ち上げたのは、腫瘍内科医であり緩和ケア医の西 智弘氏。

2015年に外来を開設する以前は、緩和ケアを受けたいという依頼があっても、他院でがん治療を継続している患者は引き受けることができなかった。当時は、同院の緩和ケア科の初診を受けるのに2カ月待ちになったこともあり、全てのがん治療を終えた患者を優先せざるを得ない状況だったのだ。

「痛い、苦しいと言っている患者さんを、どうしてこんなに断らないといけないのだろう」

そう思ったことが、がん治療中の患者でも受け入れられる窓口を作るきっかけとなった。

早期からの緩和ケア外来の対象となるのは、川崎市内に住むステージⅣ以降の再発進行がんの患者。都内などの他施設で抗がん剤治療を受けながら、緩和ケアは地元の病院に通院したいというニーズや、いずれは緩和ケアへの移行が必要になるケースで、早めに関係性を作っておきたいというニーズに応えている。がん治療を継続しながら受診するため、中には病状が変わらないまま5年以上通い続けている人もいる。

西氏が緩和ケアで最も大事にしているのは、患者との対話だ。医師がベストだと思う治療を一方的に押し付けるのではなく、患者との対話を通して「残りの人生をどう生きたいのか」を問い続ける。十分な時間を取り、細心の注意を払って言葉を選びながらの対話には、かなりの集中力を要するため、外来では1日に2人の話を聞くのが限界だという。

そうして出した答えは、医学的にベストではなかったとしても、「患者の生きる力を引き出すことになる」と西氏は話す。

「自分の生き方を自分で決めることが、その人の生きる力になるのです。緩和ケア医の醍醐味は、患者さんの最期を有意義に締めくくれるよう後押しができるところにあります」

「魔法のような医療」に衝撃を受けた研修医時代

若くして緩和ケアを専門にする医師は珍しい。西氏はどうして緩和ケア医になろうと思ったのだろうか。

「元々は家庭医を目指していました。学生時代に先輩から、家庭医は臓器別に疾患を診るのではなく総合的に人を診ることができると聞いて、すごく面白そうだなと」

専門にするならこれしかないと、家庭医療コースがある病院を選んで初期研修を受けた。そこで目の当たりにしたのが、緩和ケアの力だった。

「内科病棟でがんの痛みに苦しんでいた患者さんが緩和ケア病棟に移ると、食事もできて歩けるようになっていたんです。こんな魔法みたいな医療があるんだ……と驚きました」

当時、「がんは痛いのが当たり前」「痛くても仕方がない」という考えが、医師たちの常識だった。しかし、それまで痛みを訴えても放置されていた患者が、適切な緩和ケアによって痛みが和らぎ、翌週には退院していくのである。もちろん、がんが治ったわけではないのだが、その変化は衝撃的だった。

緩和ケア医になろうと決意した西氏が、後期研修先に選んだのが川崎市立井田病院。緩和ケア科の外来から、入院、在宅医療まで幅広く手掛けていた。そこで西氏は、「魔法みたい」だと思っていた緩和ケアの厳しい現状を知ることになる。

「患者さんに『初めまして』と挨拶をした2時間後には、急変して亡くなってしまうということもありました」

家族から「何のためにここに来たのでしょうか」と問われて、返す言葉が見つからなかった。当時、緩和ケアは全てのがん治療を終えてから受けるのが一般的だったため、余命の短い患者を引き受けることの難しさを実感した。患者にやりたいことを聞いても、残された時間と体力を考えると、叶えてあげられないこともある。

「僕たちはプロフェッショナルとして、たとえ残された時間が1、2週間しかなくても、患者さんが望む最期を迎えられるよう関わっていきます。しかし、もっと前の段階から関わるべきだと思うようになりました」

そのためには、がん治療について学ぶ必要がある。そこで西氏は、栃木県立がんセンターの腫瘍内科に行くことを決意した。結果的に、腫瘍内科の専門医資格も取得したが、それはあくまでも緩和ケア医としてがん治療を行うためだったという。「より質の高い緩和ケアを提供したい」という一貫した思いを、西氏は当時から現在まで変わらず持ち続けているのである。

標準治療と非標準治療 両方の現場で見えてきたもの

緩和ケア医として、これまでがん治療にも向き合ってきた西氏。非標準治療のクリニックを見学した時期もある。後期研修を受けていた当時、地域にはいわゆる「がん難民」があふれていた。がん難民とは、がんの積極的治療ができなくなり、病院を追い出されてしまった患者たちのこと。行き場がなくなった患者の一部は、非標準治療のクリニックに助けを求めていたのである。

「『標準治療に見放された』と言う患者さんの言葉を聞くたびに、患者さんを救える医療は、標準治療の中にはないのかもしれないと。それで非標準治療の現場を見に行こうと思ったのです」

その結果分かったのは、標準治療で希望が絶たれた患者にとって、非標準治療は将来の効果が分からないため「もしかしたら……」と希望が持てる意味で精神的なプラス面はあるものの、決して一人一人の患者の生き方に向き合うような医療ではないということだった。

「結局は医師が一番いいと信じている治療を提供しているに過ぎませんでした。患者さんがどんなふうに生きたいのか、そのために一番適した治療は何なのかを選べる場所ではなかったのです」

非標準治療の実情を知った西氏は、標準治療を提供する栃木県立がんセンターにも学びに行っている。それは、両方を知らなければフェアではないと思ったからだ。実際にがん専門病院での医療を経験し、それまで「患者を見捨てている」ように感じていたことに誤解があったことも分かった。

「標準治療は、数多くの臨床試験をくぐり抜けてきた最善の治療。エビデンスを作る現場を経験したことで、その信頼性の高さを目の当たりにしました。また、がんセンターでは、全国の患者さんにより良い治療を届けられるよう研究開発を行う役割も担うため、治療ができなくなった患者さんを抱え続けるわけにはいきません。それが身に染みて分かったことで井田病院に戻ってからやるべきことが見えてきました」

がん専門病院で治療を終えた患者を、地域の病院の緩和ケア科で受け入れる。その気付きが、早期からの緩和ケア外来の開設にもつながった。

現在、西氏は非標準治療を受けたいという患者に対して、がんが治るエビデンスがないことを説明したうえで、「それでも受けたいのであれば止めません。でも、絶対にここにも通い続けてください」と呼び掛けている。病院とのつながりを絶ってしまえば、患者はがん難民になってしまう。そうならないために、「あなたを最後まで引き受ける医師は自分たちなのだ」と伝えているのである。

「がんが怖くなくなった」患者の一言が活動の支えに

西氏の緩和ケアへの取り組みは、病院外へと広がっている。2017年には一般社団法人プラスケアを立ち上げ、医療者と市民が気軽に話ができる「暮らしの保健室※1」をスタートした。現在は、川崎市内の4カ所で定期的に開催している他、常設の「暮らしの保健室」開設に向けて準備を進めている。

活動を通して、患者から言われた忘れられない一言がある。それは、何度もがんの再発をくり返していた患者からの言葉だった。

―― 私、がんが見つかったとしても、怖いと思わなくなりました。

それまで、がんの治療をするたびに「またがんが見つかるかと思うと怖い」と不安を口にしていた女性。心境が変化した理由を聞くと、

――暮らしの保健室に行くようになって、自分がひとりぼっちじゃないと気付きました。支えてくれる人たちがいるから、今は怖くないんです。

そう答えが返ってきた。

「周囲とのつながりがあれば人はこんなに強くなれるのか、と感動しました。たとえがんになったとしても、安心して生きていく方法があるのではないでしょうか」

西氏の活動の原点にあるのは、「社会的処方」の考え方である。薬を処方するだけでは解決できない医療問題に対して、地域とのつながりを処方することで問題を解決し、患者が自律的に生きる支援を行う。多様な専門家とつながるリンクワーカー※2が中心となり、その人が興味を持てるようなボランティアや地域活動を紹介している。

※1. 暮らしの保健室:新宿区で訪問看護師の秋山 正子さんが立ち上げたのが始まり。その後、各地で展開されている。医療者と市民が気軽に話ができる場所で、がん患者に限らず利用できる。
※2. リンクワーカー:地域活動やサークルなどのコミュニティを紹介し、人と人とをつなげる役割を担う。その活動は、地域住民同士のちょっとしたお節介の延長にある。

患者が自分の意思で自分の生き方を選べるように

西氏は緩和ケアを「exciting」だと表現する。

「緩和ケアというと終末期を穏やかに見守るようなイメージがあるかもしれませんが、実際には違います。救急対応もしますし、急変の連続で往診にも駆け回る。やらなければならないことが山のようにあります」

緩和ケアは、決して身体の痛みを取るだけの医療ではない。井田病院の緩和ケアユニット(PCU)では、患者の全身管理から、精神的なケア、家族のサポートまで含めて集中的に行っている。刻々と変わる状況を見極めながら、常に次の一手を打ち続けているのである。

西氏が目指しているのは、患者が自分の生き方を自分で選べること。患者が医療を自分の手に取り戻し、自らの意思で扱えるようになる「医療の民主化」が重要だと考えている。そうした未来に近付くように、社会のベクトルを少しでも変えていくことが、西氏の活動の目的なのである。

「患者さんが『こういう生き方がしたい』と言ったときに、それに応えられるような道をいくつも用意しておきたい。それが社会そのものを良くしていくことにつながると思っています」

P R O F I L E
プロフィール写真

川崎市立井田病院 腫瘍内科 部長
一般社団法人 プラスケア 代表理事
西 智弘/にし・ともひろ

2005 北海道大学 卒業
日鋼記念病院 初期研修
2007 川崎市立井田病院 総合内科/緩和ケア
2009 栃木県立がんセンター 腫瘍内科
2012 川崎市立井田病院 腫瘍内科/緩和ケア
2017 一般社団法人プラスケア 代表理事
座右の銘: 医療の民主化
愛読書: 若月俊一の遺言
好きな有名人: 勝海舟
マイブーム: 写真を撮る旅
マイルール: 叱るよりほめる
宝物: まちで培ってきた人間関係

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2023年4号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。