がん治療の目標が定まったシニアレジデント3年目の夏
医学生時代、テレビでがん患者による署名活動を目にした。1996年にアメリカですい臓がんの治療薬として承認されたジェムザールが、当時の日本では使えず、適用拡大を求めてのものだった。
「患者さんたちは、薬の有効性も副作用も分かった上で使いたいと言っているのに、なぜ日本では使えないんだろうと強く思いました」
アメリカから遅れること5年、2001年にすい臓がん治療に適用された。このときの思いにより、設楽氏はがん治療の長い道のりへの第一歩を踏み出すことになる。
消化器内科のシニアレジデント時代を過ごした亀田総合病院では、標準治療で打つ手のなくなった患者を国立がんセンター(当時)に紹介していた。しかし参加できる治験がなく、戻ってくる患者が少なくなかった。
「がんセンターっていうけど、大したことないなと。そんなところで働くもんかと思っていました(笑)」
アメリカ留学を目指しUSMLEcertificateを取得したシニアレジデント3年目の夏、勉強会で青森・三沢病院の坂田 優院長に出会った。抗がん剤イリノテカンの治験結果の発表を世界で初めて行ったことで知られる坂田院長は、臓器機能が低下した患者の治療について講演していた。治療困難な根治不能がんが薬剤で改善した事実を目の当たりにして、設楽氏の目標が定まった。
「こういう勉強がしたいと思い、坂田先生の宿泊するホテルまで行き、『教えてください』と頼み込みました」
それから三沢病院に移るまでの半年間、設楽氏は担当している患者の経過などを毎日のように坂田院長にメールで報告した。すると、150通余りのメール全てに返信があった。
「必ず、僕の見立てと異なる見解が書かれているんです。アメリカではなく、青森に行ってこの先生から学びたい、その思いが強くなりました。メールは今でも全部取ってあります」