新しいがん薬物治療を世界に送り出す不撓不屈の腫瘍内科医 設楽 紘平

医師のキャリアコラム[Challenger]

国立がん研究センター東病院 消化管内科 科長/先端医療科 先端医療開発センター 新薬臨床開発分野

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/佐藤恵 撮影/緒方一貴

薬でがんを治す――その目標に向けてまい進しているのが、国立がん研究センター東病院 消化管内科 科長の設楽 紘平氏だ。世界一、胃がんを診ていると言っても過言ではない設楽氏は、胃がんの新薬開発に向けた臨床試験を精力的に行っている。2020年に胃がん治療の適用となったトラスツズマブ デルクステカン、2021年に適用となったニボルマブなど、数々の薬剤を国内承認に導いてきた。がんは一筋縄ではいかない難敵だが、薬剤で克服できた人がいるのも事実。その存在に背中を押され、難題に挑み続けている。「趣味もないし、愛読書もない」と語る設楽氏が、唯一、貫いてきたがん治療への思いと歩みをうかがった。

長年変わらなかった胃がん治療に風穴を開けた

2021年11月、半世紀ぶりに胃がんの標準治療が更新された。切除不能な進行・再発胃がん(HER2陰性※1)の1次療法において、抗がん剤と免疫チェックポイント阻害剤ニボルマブ(オプジーボ)の併用療法が国内承認されたのだ。HER2陽性の進行胃がんでは、2011年に分子標的薬トラスツズマブ(ハーセプチン)と抗がん剤の併用が承認されていたが、今回、患者全体の85%を占めるHER2陰性の胃がん治療に、免疫療法という風穴を開けたインパクトは極めて大きい。

承認につながったのは、免疫チェックポイント阻害剤ニボルマブ※2と化学療法の併用を、標準治療と比較する「CheckMate649試験」の結果による。この試験を主導した一人が設楽 紘平氏である。承認後も長期観察を続け、2022年3月、『Nature』誌で長期の有効性を報告した。

さらに、今年1月に米国臨床腫瘍学会消化器がんシンポジウムにおいて、HER2陰性かつClaudin18.2※3陽性の進行胃がんの1次治療で、分子標的薬ゾルベツキシマブと抗がん剤併用の有効性を明らかにした「SPOTLIGHT試験」の結果の発表を行い、『Lancet』誌に報告した。ゾルベツキシマブは、今後の承認が待たれている。

「PD-L1分子の発現が高かったり、マイクロサテライト不安定性※4がある方にはニボルマブを、Claudin18.2陽性の方にはゾルベツキシマブを、という使い分けが、いずれ可能になると思います。胃がん患者の治療選択肢を増やせたことは間違いない。今は、さらに効果を高めるための試験を進めています」

治療を続ける患者に「もう、使える薬がありません」と言わなくて済むように。そして、効果の見込める薬にたどり着く前に命が尽きてしまわないように。新薬という光に手を伸ばし続ける設楽氏の原点は、日本のドラッグラグへの違和感だった。

※1 細胞表面にあるタンパク質で、細胞の増殖に関与する。胃がんの約15%にそのタンパク質の過剰発現が認められる(HER2陽性)。過剰発現が認められない場合はHER2陰性とされる。
※2 がんに対する免疫を抑制する免疫チェックポイント分子PD-1をブロックし、がんに対するリンパ球の抗腫瘍効果を高める抗体薬。
※3 細胞間結合様式の1つであるタイトジャンクションの形成に関与する膜タンパク質。Claudin18.2は正常組織では胃粘膜に極めて特異的に発現しており、胃がんの約40%で発現が高い。
※4 細胞が分裂する際に起こる、DNAの配列ミスを修復する機能が低下している状態。

がん治療の目標が定まったシニアレジデント3年目の夏

医学生時代、テレビでがん患者による署名活動を目にした。1996年にアメリカですい臓がんの治療薬として承認されたジェムザールが、当時の日本では使えず、適用拡大を求めてのものだった。

「患者さんたちは、薬の有効性も副作用も分かった上で使いたいと言っているのに、なぜ日本では使えないんだろうと強く思いました」

アメリカから遅れること5年、2001年にすい臓がん治療に適用された。このときの思いにより、設楽氏はがん治療の長い道のりへの第一歩を踏み出すことになる。

消化器内科のシニアレジデント時代を過ごした亀田総合病院では、標準治療で打つ手のなくなった患者を国立がんセンター(当時)に紹介していた。しかし参加できる治験がなく、戻ってくる患者が少なくなかった。

「がんセンターっていうけど、大したことないなと。そんなところで働くもんかと思っていました(笑)」

アメリカ留学を目指しUSMLEcertificateを取得したシニアレジデント3年目の夏、勉強会で青森・三沢病院の坂田 優院長に出会った。抗がん剤イリノテカンの治験結果の発表を世界で初めて行ったことで知られる坂田院長は、臓器機能が低下した患者の治療について講演していた。治療困難な根治不能がんが薬剤で改善した事実を目の当たりにして、設楽氏の目標が定まった。

「こういう勉強がしたいと思い、坂田先生の宿泊するホテルまで行き、『教えてください』と頼み込みました」

それから三沢病院に移るまでの半年間、設楽氏は担当している患者の経過などを毎日のように坂田院長にメールで報告した。すると、150通余りのメール全てに返信があった。

「必ず、僕の見立てと異なる見解が書かれているんです。アメリカではなく、青森に行ってこの先生から学びたい、その思いが強くなりました。メールは今でも全部取ってあります」

多くの研究と論文執筆で力を付け10年越しのリベンジを果たす

地域の中核病院として、往診はもとより看取りまで行う三沢病院では、ガイドラインでは対応し切れない場合の治療を多く経験できた。腫瘍内科医としての研鑽を積む中で、患者適応の見極めと新薬の必要性を思い知らされた。

2007年、設楽氏はバルセロナで開催された学会に出席。イギリスの高名な腫瘍内科医カニンガム氏が、「日本の胃がんは元々、予後がいい。他国とは違う」と述べたのを受け、勇気を振り絞ってマイクを握り「日本では一生懸命治療しているからです」と発言した。が、カニンガム氏の反応はにべもない。設楽氏にとって、ほろ苦い海外学会デビューとなった。

その後、愛知がんセンター 薬物療法部へ移り、4年間で40本以上の論文を執筆。部長の室圭先生には研究グループへの参加など、多くのチャンスをもらった。また、多くの論文指導を仰いだ疫学・予防部の松尾 恵太郎先生からは「研究のネタは現場にある」と教わり、今もその言葉を大事にしている。そして、新薬の開発に従事すべく現在勤務する国立がん研究センター東病院に移ったのが2012年。同院の大津 敦院長は、ドラッグラグを改善すべく奮闘していた一人だ。バイオマーカーを見極めることでいち早く新薬を患者に届けたいという院長の志に引き寄せられたのは、決して偶然ではないだろう。「がんセンターなんて行くもんか、と思っていたときから10年。自分の進むべきところは、やっぱりここだったんだなと思いました」

同院は、日本におけるがんの新薬開発をリードする拠点でもある。一般的に新薬開発は、製薬企業主導で行われることが多い。資金面でもスピードの面でも有意だが、学術的な進歩につながりにくいといった側面もある。そこで設楽氏は、企業治験と同時に医師主導治験にも積極的に取り組んだ。基礎医学やトランスレーショナルリサーチの専門家、海外の腫瘍内科医とタッグを組み、新しい治療法やバイオマーカーの研究を進め、次々と論文を発表していった。

そして2017年、欧州臨床腫瘍学会で研究の成果を報告した。設楽氏の発表を食い入るように見ていたのは10年ぶりに再会した司会のカニンガム氏であった。学会後には、「素晴らしい発表をありがとう!君のスライドが欲しい」とのメールが届いた。

「10年越しのリベンジを果たした気持ちでした。場所は、奇しくもあのときと同じバルセロナ。運命を感じましたね」

使える薬があることが患者さんの希望になる

2020年9月、設楽氏らの研究により、胃がんの3次治療への適用拡大が承認された抗体薬物複合体トラスツズマブ デルクステカン(エンハーツ)は、薬物治療の行き詰まりを打開する大きな一手となった。抗体薬物複合体は抗体と薬物を結合させた薬剤で、トラスツズマブ デルクステカンはHER2陽性のがん細胞に結合してがん細胞の中に薬剤を届ける。この適用拡大の承認プロセスの白眉は、日本と韓国で行われた第Ⅱ相試験において奏効率・生存期間ともに標準治療を上回る結果を得て、第Ⅲ相試験を待たずに世界初の胃がん適用が実現したこと。設楽氏はこの成果を米国臨床腫瘍学会で発表し、筆頭論文は『The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE』誌に掲載された。胃がんの新薬に関する論文が同誌に掲載されたのは初めてのことである。論文へのコメントはいずれもポジティブなもので、「他国での比較試験は必要ない」という最大の賛辞が送られた。

「これまで日本が数年遅れの承認だったのが、この薬は日本の承認がアメリカより4カ月早かった。ついに、逆転できたことは感慨深かったですね」

患者の署名運動を目にしたときから20年余り、このスピード承認は、設楽氏の念願でもあるドラッグラグ解消の一里塚となった。

「使える薬があるというのは、患者さんにとっての希望になる。新しい薬を増やし、かつ、薬の組み合わせによって治療効果を改善することを目指しています」

今年1月の米国臨床腫瘍学会消化器がんシンポジウムでは、ある男性患者を紹介した。胃がん手術後に多発骨転移を再発し、標準治療後に播種性血管内凝固症候群を発症していた。胃がんではまれなEGFR遺伝子増幅を認め、適応外としての抗EGFR抗体薬を最後の一手として使用した。その結果、容体は目を見張るほど改善した。退院後の外来時に撮った、患者夫婦と設楽氏が写る写真をスライドで見せながら「主治医より元気そうでしょ」と言うと、会場から笑いが起こった。「新薬の有効性、可能性とともに、医者と患者は一緒に戦っているということを伝えたかった」

残念ながら、その後、再びがんが進行して患者は帰らぬ人に。彼の妻に学会で報告したことを伝えると、「夫をサンフランシスコに連れて行ってくれて、ありがとう」と返事があった。

「臨床試験やエビデンスの創生は大事です。でも、数字や生存曲線だけを見ているわけではない。その中に患者さん一人一人の闘病があることを忘れずに、患者さんと研究をつなぐことができる臨床医でありたい」

新薬開発と個別化治療でがんを治す未来のために

肺がんや乳がんの新薬承認数に比べると、胃がん領域はまだまだ十分ではない。胃がんにはドライバー遺伝子が少ないこと、腫瘍内の不均一性、豊富な免疫抑制細胞など、特有の難しさが背景にあるという。

「遺伝子異常が二つ三つと重なっている場合もあるし、HER2を標的にして治療したら、HER2が消えて別のタンパクが現れたりもする。また、アクセルのないがん細胞が混じっているケースも多く、アクセルだけを攻撃しても十分ではない。だから単剤では効きにくく、抗がん剤や分子標的剤との併用が必要になるんです」

遺伝子治療の進化によって、臓器ごとの薬剤承認ではなく、臓器横断での承認が増えつつある。精度の高い個別化医療に舵は切られているが、それでも遺伝子を標的とした治療の対象になるのは全がん腫でみれば約10%といわれている。

「10%になるまでに20年近くかかっています。これからも“ちりつも”でやっていくしかありません」

座右の銘はないと語る設楽氏だが、「粛々と」という言葉を胸に刻んでいる。

「治療や研究で思うような結果が出たら患者さんも僕も嬉しいですし、そうでなければ落ち込みます。でもベストだと思った治療や、正しく計画して行った研究の結果に“良い”も“悪い”もなく、全ての結果に意義がある。一喜一憂せず、粛々と前に進むしかないと思っています」

周囲からは「科長なのに外来が多すぎ」と思われているかもしれない。カンファレンスに始まり、回診、外来、海外とのリモート会議、論文執筆など多忙を極める日々だが、目標はブレていない。

「治すことの難しいがんをもっと薬で治せるようにしたい。割合はまだ低いですが、ステージ4から生還できた人が実際にいるのですから。困難な道ですが、やりがいがあります」

P R O F I L E
プロフィール写真

国立がん研究センター東病院 消化管内科 科長/端医療科 先端医療開発センター 新薬臨床開発分野
設楽 紘平/したら・こうへい

2002 東北大学 医学部 卒業
2002 亀田総合病院
2005 三沢市立 三沢病院
2008 愛知県がんセンター中央病院
2012 国立がん研究センター東病院 消化管内科

資格

日本臨床腫瘍学会 がん薬物療法専門医
日本内科学会 認定内科医

これからのミッションは?: 患者さんと研究の間で活躍する臨床医を育てること
患者さんとの思い出: 2004年に初めて担当した胃がんの患者さんは、今も再発なく元気に過ごされています。「長生きできたことで娘の結婚式にも参加できて嬉しい」と喜んでおられ、僕も結婚式に招待していただきました。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2023年9号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。