転換点は、悪性リンパ腫を見逃された患者との出会い
もともと手技が好きで、内視鏡を扱う消化器内科を目指していた。最終的に母校の弘前大学小児科に入局した理由は尊敬する小児科医の敦賀 和志先生に誘われたことと、新生児があまりにかわいかったから、と顔がほころぶ。
エコーに対して強い興味を持つようになったきっかけは、大学病院に勤務していた専攻医2年目に経験したある出来事にある。ある日、二次病院から「CTは撮ってないけどエコーの所見で悪性リンパ腫が疑われる患者がいる」と連絡が入った。CTを撮ったところ、リンフォーマと呼ばれる悪性のリンパ腫でステージ4、すでに多くの臓器に転移している状況だった。
当時5歳前後だったその患者は、近隣の病院を受診して便秘症と診断を受けていた。しかし、ある時点から食事が取れなくなり嘔吐も繰り返し「さすがにおかしい」と二次病院を紹介され、エコーで見た医師が悪性リンパ腫と確信したという経緯だった。
この出来事は、弘野氏に大きなショックを与えた。当時、腸管はエコー検査ができないというのが一般的な考えだったので、弘野氏自身もルーティンでお腹にエコーを当てることはしていなかった。そのため、仮に自分が最初にこの患者を診察していたとしても、おそらく同じように悪性リンパ腫を見落としてしまっていただろうと思った。エコーで悪性リンパ腫の所見が取れることに衝撃を覚えた。患者はリンパ腫が腸管を圧迫して食事が取れなくなっていたのだが、初期の段階では便秘症と区別することは難しい。しかし、もっと早くエコーで見ていれば、ここまで悪化することはなかったのではないだろうか。
入院後、受け持つことになった患者親子の態度もまた、弘野氏を苦しめた。患者と両親から毎日「こんなに良くしてくれて、ありがとう」と感謝されるが、自分にはそう言われる価値はないと思った。
「最善の医療を提供できていないのに、こんなに感謝される。そのギャップの中でいたたまれず、悶々としていました」
幸いにして患者は化学療法が良く効いて、無事に退院できた。しかし「もっと早い段階でエコーをしていれば、進行前のリンパ腫を見つけられたはずだ」という思いが消えることはなかった。このことをきっかけに、月に1回のペースで東京に通い、エコーの勉強を始めた。青森県内には学べる場所がなく、東京の超音波機器メーカーが主催するハンズ・オン・セミナーに通い詰めた。
青森から東京まで研修に参加するには、参加費だけではなく前泊の宿泊費や交通費も含めて1回で12~13万円はかかる。その費用自体は問題なくても、研修を受けるための時間の捻出や、勤務先の同僚への負担まで考えると、決して小さな負担ではない。それをやり繰りして研修に参加していた経験があるからこそ、後に研修を開催する側となった弘野氏はその負担分までカバーできるほどの価値ある研修の提供を目指している。弘野氏は当時を振り返りこう話す。
「青森ではエコーを学べる場所がなく『学びたくても学べなかった』ことが何よりもつらかった。お金を払ったり時間をかけたりして学べることは、苦労ではない。むしろ明確な目的とやり方が見つかり、学べることが幸せでした」